押入れをあさっていたら、昔自分で撮った蒸機の写真が3枚だけアルバムに貼られているのを見つけ、スキャンしてみました。
もうこれを撮った場所からあちこち離れて何十年も経ってしまいましたが、いくつかの出来事を思い出しました。
撮ったときのことは覚えています。何かの行事を撮るのにカメラにフィルムを入れて歩いていたら、汽車が来たのでたまたま撮りました。
私は自分でわざわざ汽車の写真だけを撮りに行ったことはありません。
かなりやる気のない写真で、カメラをまっすぐ構えていないようです。
フィルムはネオパンSSで、現像はカメラ店にしてもらいましたがプリントは自分でやりました。
露光した印画紙を赤灯の下で現像液に入れると、じわーっと像が現れてくるのが楽しかったです。
横揺れしていたようで、テンダーと客車がそれぞれ逆方向に傾いています。客車は意外とピカピカでした。機関車はすぐ汚れてしまいましたが、たまにきれいにされていたので、私は模型の機関車がつや消しでもピカピカでも構いません。 客車のドアがぽっかり開いているように見えますが、旧客のドアは引っ込んでいるのでそんな感じに見えるだけです。ただ、走行中に開けることもやればできました。列車が完全に止まる前にドアを開けて飛び降りる人がたまにいて、特に通学客がそれをやって駅員に捕まると半ゴロシにされていました。 石炭がキャブの屋根の高さを越えて山積みになっています。 |
このときカラーフィルムが1枚だけ残っていたカメラも別に持っていました。どう持ち替えて撮ったのかわかりません。
私がカラーフィルムで撮った唯一のC57です。
先の写真のほうが感じよく見えますが、私の記憶にある蒸機の姿というのはこちらのイメージに近いです。セピア色の記憶っていうものはないですね…。 |
104号機が通り過ぎたあと、すぐに次のC57がやってきます。
やや流し撮りになっているのは偶然。 軽快なスポーク先輪の様子を見ると、トミックスがお金をかけてスポークの抜けた先輪を装着してきた理由もわかるような気がします。 |
これが何号機なのか気になって調べていますが、まだ決め手がありません。
エアタンク付近の配管の特徴から(タンク中央付近で立ち上がっている)144号機かと思いましたが、ドーム前の手すりとデフ手すりなどが違うようです。今は44号機ではないかと思っていますが、同じ側の配管がはっきり写っている写真が少なく、まだ確証はありません。
デフが104号機よりも大きく切り詰められていて、その前フチに手すりが合体していて握り棒がなく、端梁前面にも大きい柵状の手すりがついています。冬は手がかじかんで、デッキに立つときに握り棒をしっかりつかむことができないので、この大型手すりが役に立ちます。
ここでフィルムが巻き上がらなくなってしまい(リコー35Sというフルマニュアルのレンズシャッターカメラ)、その場でもたもたしていたら今度はD51が来ました。
少し歩いているだけで、汽車は上り下りと次々に来ます。
水洗が不十分だったようで、プリントの状態がかなり悪いのが残念です。
かまぼこドームとはよく言ったものです。戦時中で工数を省いているとはいえ、丸みをつけるなど最低限の意匠を凝らしているところが泣かせます。 |
ひどいカメラぶれで申し訳ありません。 そのあたりに畳まれてついているのは防風用のカーテンです。冬はこれを広げているのですが、効果は限られていたことと思います。 模型にも、切り抜きのプロフィル人形で十分なので、キャブに何か乗せてやるとそれなりに面白いです。 |
このあと巻き上げが本当にだめになってフィルムを切ってしまい、予定していた目的には使えませんでした。カメラ店に持って行ったら、ダークバッグの中でカメラを開けてフィルムを取り出し、撮影済みの部分だけを何とかパトローネに入れてくれました。
実はそれまで、興味本位で何度もカメラを分解したり組み立てたりを繰り返していたので、まともに動かなくなっていたのでした(絞りがバラバラになったときは泣きそうになった)。
トンネルに入る前には汽笛が鳴るので窓を閉める、のようによく言われますが、このあたりでは鳴らないことが多かったと思います。乗り慣れたお客が窓を閉め始めて、それにならって他の人も窓を閉めるという感じでした。 短いトンネルのときはいちいち閉めないこともありました。石炭がよく燃えているときは煙も薄いので短時間なら平気でした。