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若い母親のあなたへ4
家庭、、天国か地獄か
レストランで、何組かのカップルが向かい合っています。会話をしているのは結婚前、そうでないのが既婚者のカップルと大体区別できる場合が少なくないようです。
人格とは、他の人格との出会いにより何事かが起こされ、成長させられるものです。男と女が出会う。しかし結婚したらもはや何事も起こらない、というのなら悲しいことです。
結婚は人間関係の中では、最も密なものです。うまく行けば最高のものが得られます。しかしうまく行かなければ、それが地獄となり、子どもがその巻き添えを食うのです。
夫婦間の葛藤の原因は子どもの教育問題にあると言いますが、本当はそうではありません。それは単なるきっかけ、口実なのです。原因は、夫婦の間にある問題そのものなのです。
どんな問題でしょうか。それは「話し合っていない」という問題です。生れも育ちもまったく違う2人の人間が共同生活をしようというのに、十分な話し合いがなされていないのです。これではうまく行くはずがありません。そして間もなく、それぞれが信じているイメージや考えを前面に出して争いを始めます。争ったら感情的になり、次の段階へと移行していくのです。その最大の結果が、会話を避けるということです。そしてそのためのいくつかの方法を考え出すのです。
第1に、自分だけの計画を立て、忙しくします。
夫の場合は仕事の忙しさを口実に、いいわけを使い分け、母親は子育てを理由にします。私たちはいつも何かうまい理由はないかなと考えています。若いおかあさんたちも同様です。「子どもを育てるの大変なんだから!」
おかあさん、あなたの心の中で、ご主人よりもだんだんと子どもの比重が高くなっていませんか? 子どもと同様にご主人が大事ですよ!
第2に、沈黙するということです。
「話し合いをしていたら口論になってしまった。もうイヤだ。だからもう主人と話をしないようにしよう」沈黙は非常に大きな問題です。沈黙、それは愛の欠如です。お互いに何を考えようが関係ない、という態度です。沈黙ほど愛とかけ離れた姿はありません。あなたの子どもが何も話してくれなかったらどうですか。お母さん! 不安になりませんか?
「あの子、最近何も話してくれないけれど、どうしたのかしら?」
愛情のあるお母さんなら辛いに違いありません。何とか話そうと努めるのではないでしょうか。
人の話を聞くことは重要なことです。悩みを打ち明けようとしているときなら余計です。もしこちら側に聞く姿勢がなかったとしたら、
「あなたって、つまらないことを悩むのね! そんなあなたはつまらない人間ね!」
と言っているのと同じなのです。沈黙、愛のない開係は寂しいものです。
第3は、会話が続かないような言い方をすることです。
ご主人が夜おそく帰宅しました。「出先から電話しようとしたんだけれど・・・・・・」
「あなたはいつもそうなんだから!」
これで会話は終わりになります。また、人の批判や、グチばかりを言うのも、会話を避けるための有効な方法となってしまうのです。
第4に、怒りです。
怒りが爆発したその瞬間、会話が消滅します。女性ならワッと泣き出す方法も知っています。このようにして家庭が、夫婦間が地獄となっていくのです。もしもあなたが家庭を天国のようにしたいと思うのでしたら、ご主人との間にしっかりとしたコミュニケーションが必要です。よい夫婦から、よい子どもが生まれてきます。私たちの間違いは、根本的なことと周辺的なことを取り違えていることです。
例えば、精神的な弱さを持っている子の親が教会を訪れることがあります。子どもを何とか直してください、と訴えます。ときに教会に来るようになってからそのようなことが起こり、教会が恨まれてしまうこともあります。
子どもは試験管の中ではなく、家庭の中で育つものです。以前に述べましたように、幼児期に心の傷を受けたことが、思春期、結婚後、出産直後、に発病することがあるのです。子どもの問題は結局、家庭という名の夫婦関係に帰着するのです。
では、話し合いのための心得を学んでみましょう。
第1に、よく聞くことです。
最近人の話を聞く訓練のできていない人が多くなっています。これは要するに、わがままな人なのです。2つのことに注目してください。それは、「事実」ということと、「印象」ということです。「この前食事をしていたら(事実)、素敵な夫婦を見た(印象)よ」
会話の中から事実を見つけ、その時の印象を読みとるという作業です。
口べたのご主人であれば、いらいらすることもあるでしょう。愛するとは時間がかかるものと思って、やってみてください。
第2に、尊敬するということです。
絶対にご主人の話を軽蔑してはいけません。キリスト教徒の奥さんによく見られることですが、ご主人の宗教的無知をばかにすることです。聖書は言っています。「裁く者は、裁かれる」(マタイ7・2)夫を軽蔑している妻は、夫から軽蔑されるのです。
「へりくだって、互いに人を自分よりも優れた者と思いなさい」(ピリピ2・3)
人には得意な分野と不得意な分野があります。自分の得意な分野と、相手の不得意な分野を比較するということは、フェアではありません。互いの尊敬があるところに、真実の交わりがあるのです。
第3に、自分をさらけ出すことです。
「私は裸なので隠れました」(創世3:10)私たちはいつも隠し続けてきました。しかし、互いに自分自身を見せる必要があるのです。
「私、とってもうれしかったわ!」
顔とことばで、喜びや、悲しみを表わすことが必要なのです。
何も感じなかった、とはごまかしです。苦しいことも楽しいことも分かち合う、これが夫婦です。夫婦はすべてのことについて話し合うべきなのです。
家計が足りなければ、「足りません」
親戚づきあい、親の問題、とくに性生活、セックスフィーリングについて正直に語り合うことはとても重要なことです。
第4に、最後まで話し合うことです。
たとえ口論になろうとも、お互いの深い部分に触れて話し合い、愛を育てて行かなくてはなりません。「隣人に真実を語りなさい。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」(エペソ4・25〜27)
悪魔に家庭を破壊させてはいけません。夫婦で向かい合い、互いに手を取り、見つめ合う。これが必要なのです。
神様に信頼して始めてください。
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