勝利教会インターネットチャペル

若い母親のあなたへ5


  目に見えない世界と出会う


 戦後の日本は、物質主義に走りすぎてしましました。学歴や勤め先や給料に強く惹かれるのは、このためでしょう。しかしやがて失望するのです。
 人間の真の幸福は「目に見えない世界」との出会いによって得られます。このことを、お母さん! 教えてあげて下さい。
 今回は、身近にある、ごくありふれた事柄を通して、どうしたら「目に見えない世界」と出会うことができるかを考えましょう。このことによって、
 「生きるっていいことだなー!」
 とあなたのお子さんが考えてくれたら、何と素晴らしいことでしょう。

第1に、誕生日。

 お誕生会をしてあげると、子どもは大変喜びます。
 それは子どもは、自分の存在が歓迎されているかどうかについて漠然とした不安を持っていますが、これへの肯定的な解答になるからです。たしかに、聖書はこう言っています。
 「神は私(たち)を、世界の基の置かれる前からキリストのうちに選ばれました」(エペソ1:4)。
 そして神様は、いずれかの家族に送られました。したがってお誕生会の意義は、
 「神様から命をもらえて良かったね。おめでとう!」
 「このおうちに送られて良かったね。おめでとう!」
 というものです。

 私はよく息子と一緒にお風呂に入り、こう言いました。両手を肩幅ほどに広げ、
 「生まれたときはこんなに小さかった。それに比べて今は大きくなったねー!」
 息子は目を輝かせて聞いていました。
 「たしかに自分は歓迎されている!」
 と感じているからです。続けて、
 「お前が生まれて、お父さんもお母さんも嬉しかった!」
 人の誕生は、決して偶然ではありません。
 「私(神)は、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り」(エレミヤ1:5)。
 「あなた(神)が私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられた。・・・あなたの目は胎児の私を見られ」(詩篇139:13,16)。
 お誕生会とは、決して単にごちそうを食べる日ではなく、子どもが「神様によって名前を呼ばれ、造られた世界」と出会う時です。

第2は、自然。

 道を歩くとき、きれいな花を見ます。
 「近ごろ花の値段も高いことだし、摘んで帰ろう」
 と考えるよりは、
 「きれいだなー!」
 と感動するほうがいいですね。

 ある夜、子どもは虫取網を空中にむけて振り回していました。
 「どうしたの?」
 「あやちゃんが、あのお星さまを取ってって言うから。でも届かないなー???」
 子どもというのは、神様について大人よりよく知っていると言えます。
 「弟子たちは子どもを叱った。しかし、イエスは言われた。『・・・・邪魔をしないで私のところに来させなさい。天の御国はこのような者たちのものです」(マタイ19:13〜14)。
 −ごく最近まで神様のところにいましたから。

 ところで、いったい神様ってどんなお方なのでしょうか。
 「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常に良かった」(創世記1:31)。
 「求めなさい。そうすれば与えられます。・・・あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、誰が石を与えるでしょうか。・・・とすればなおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして求める者たちに良いものを下さらないことがありましょうか」(マタイ7:7〜11)。

 じつは、私には長いこと苦しんだことがひとつあります。お祈りをしても決して心は軽くならないのです。むしろ辛くなるばかりでした。
 やがて分かりました。「父」のイメージが悪かったのです。私の父は非常に厳格でした。恐ろしい父でした。私は、
 「天のお父様!」
 と言うたびに、心の傷がうずきました。いかに正しいイメージが大事であるかを知りました。
 美しい自然とのふれ合いを通して、「優しい神様の世界」との出会いを導いてあげましょう。

第3に、行事や出来事。

 ある人が大人になってから、こう述懐しました。
 「両親があるとき、笑いながら、楽しそうに一緒に何かをしているのを見て、何とも言えないような安心感を覚えました」。

 私たちはいろいろな出来事に出会い、無意識のうちに教育されています。今述べたことからなら、たとえば、愛、友情、家庭などの美しい世界について。
 私は時々、募金箱に寄付をします。するとそれを見た娘が聞きます。
 「お父さん、何をしてるの?」
 これは「人と人とが愛し合う世界」との出会いを、アレンジしてあげるためです。
 「弱いものと、みなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ」(詩篇82:3、4)。
 「愛の世界」との出会いは、私たちの人間性を高めるものです。

第4に、親しい者の死。

 別れることは悲しいことです。しかし、死という悲しい経験が、私たちを「天国という目に見えない世界」へ案内します。
 私の父は2年ほど前に亡くなりましたが、そのとき一緒にいた娘に言いました。
 「今、おじいちゃんは神様に連れられて天国へ行った。だから、ほら、うれしそうな顔をしているでしょう」。
 誰にでも来る死ですが、元気なときには、多くの人の気がつかない世界です。天国で、私たちは地上でのすべての行ないに対して正しく報われ、永遠の喜びの生活をします。
 イエス様は、このことのために十字架にかかられました。この天国があるから、私たちは様々な辛いことに耐えられます。
 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。私のために罵られたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜び踊りなさい。天においてあなたがたの喜びは大きいのだから」(マタイ5:10〜12)。

結論を言いましょう。

 私たちは、「目に見えない世界」において、子どもたちが神様と出会うように助けてあげなければなりません。
 しかし、そればかりではありません。神様のために生きることをも、教えなければなりません。というのは人は神様に造られましたから、神様のために生きるときに最も幸せであるからです。
 ちょうど、あなたに合わせて作られたスーツは、あなたに着られてピッタリのように。
 決して、「物」に執着するように育ててはいけません。それは「滅びる世界」です。あなたの大切なお子さんだからこそ、
   目に見えない神様のために生きる
 ことを教えてあげましょう。もっとも充実した人生を、あなたのお子さんにプレゼントしましょう。
 「私たちは見えるものにではなく、見えないものにこそ目をとめます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」(第2コリント4:18)。

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