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児童期に入ると、「学校」や「学校教育的な考え方」が生活の中に入ってきます。
(ここでは、個々の学校や学校の先生たちが、というより、「学校」に象徴される
価値観全体という意味で、「学校教育的な考え方」と表現します。)
その考え方は、学校だけではなく、
地域社会や家庭の中で、また、マスメディアを通して伝えられていきます。
そのため、わたしたちはその考え方に沿ったあるひとつの枠の中で
ものごとを考えてしまいがちなように思うのです。
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その結果わたしたちは、人というものは、一定の速さで一定の方向に進むべきだと
信じ込んでいることが多いのではないでしょうか。
そして、何かに追い立てられている感覚でいることが多いように思います。
子どもの成長は待ってはくれない、いま頑張らせないと将来取り返しがつかなくなる、
時間の流れをとても早いものに感じる、ぐずぐずしているわけにはいかない、…
そんな感覚が、わたしたちと子どもたちをどんどん追いつめていきます。
そして、そのような感覚の中、子どもの将来に不安を抱くことはないでしょうか。
その不安から、子どもをなるべくギリギリまで頑張らせようと
してしまうことはないでしょうか。
養育者の頑張り次第で、子どもの将来が決まるかのような雰囲気を感じていたり、
子どもに何かあったとき、育て方の問題だと言われてしまうことが多いため、
完璧な子育てをしなければと、養育者が頑張ることも多いのかもしれません。
さらに、養育者には、子どもとは直接は関係のない大変さもあります。
養育者自身の仕事や活動が忙しい時期だったり、
家族やまわりの人との人間関係が難しいこともあります。
養育者が、自分の生き方について、いま一度考えようと感じる時期と
重なることがあるかもしれません。
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それでも、そのような状況の中でわたしたちは、
子どもたちのために、そして自分自身のために、
みんな精一杯、日々を過ごしているのだと思います。
ただ、その頑張る気持ちからのよかれと思っての言動が、
結果的に子どもや自分を追いつめてしまうことがあるのかもしれないと思うのです。
たとえ養育者であっても、いつもいつも冷静でいるとか、
四六時中子どものことだけを考え、子どものことだけにかかりっきりになるなど、
できないことなのではないでしょうか。
わたしたちは、ときには子どもと一緒に歩き、ときには休み、
ときにはひとりで走ったりしながら、
自分にとっても子どもにとっても、より居心地のいいスピードと居場所を、
探しているのかもしれません。
そして、それこそが大切なことなのかもしれないと思います。
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