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わたしたちは、学校には行くべきであり、行くのが当然であると
考えていることが多いのではないでしょうか。
むしろ、あまりにも当たり前だと感じているために、
そのことについて考えることも、まれなのかもしれません。
また、「集団生活は大切だ」という考え方があり、
その集団生活を学べる場が学校であるととらえがちです。
ですから、もし子どもが学校に行けない、または行かない場合、
わたしたちは不安になってしまうことが多いように思います。
実際には、学校に行かないことを選ぶ子どもたちはいます。
それでもわたしたちが、その現実からものごとを考えることは
少ないように思うのです。
それだけわたしたちの生活の中に、「学校教育」というものが
当たり前のように存在しているのだと思います。
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また、学校に行く行かないだけではなく、「学校教育的な考え方」というものが、
わたしたちの生活に大きな影響を与えているのではないでしょうか。
皆さんは、大多数に合わせること、時間通りに動くこと、
自分のことよりまわりのことを考えること、
目標に向かって頑張ること、一度決めたことはやり遂げることなどを、
とても大切なことだと考えていませんか。
また、できたかどうかで評価されることや、なるべく早くできた方が評価が高いこと、
失敗をしたら罰を与えられること、目上の人の言うことを素直に聞くことなども、
当たり前だと感じているのではないでしょうか。
確かにこれらの中には、社会生活を営むために必要なものもあると思います。
しかし、わたしたちおとなは、それらの考え方だけを正しいと信じ、
子どもたちをその中に適応させていくことだけに
一生懸命になってしまうことが多いように感じます。
それ以外の考え方があるかもしれないのに、それらを吟味することなく、
画一的な考え方だけを、あまりにも信じすぎているのではないでしょうか。
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「学校」や「学校教育」「学校教育的な考え方」が間違っているとか、悪いものだと
言いたいのではありません。
むしろ、それらは必要であり、大切である場合が多いでしょう。
ただ、それらの考え方だけを正しいものだととらえ、
それ以外のものを間違っているととらえることで、
わたしたちは、 子どもたちに無理を強いてしまうことが多いように思うのです。
特に、子どもたちに、画一的であることと競争に勝つことを強いているように感じます。
しかもその考え方は、学校だけでなく、地域や家庭の中までも影響を与えています。
そして、ほとんどすべての空間が、
今の「学校教育的な考え方」によって動いているように感じられるのです。
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