1212年 (建暦2年 壬申)
 
 

5月7日 辛酉
  相模の次郎朝時主、女事に依って御気色を蒙る。厳閣また義絶するの間、駿河の国富
  士郡に下向す。彼の傾公去年京都より下向す。佐渡の守親康が女なり。御台所の官女
  たり。而るに朝時好色に耽り、艶書を通わすと雖も許容せざるに依って、去る夜深更
  に及び潛かに彼の局に到り、誘い出すが故なりと。
 

5月27日 辛巳 雨降る
  凡そこの間の洪水、河瀉の辺の人家水底と為ると。