國交途絶幾星霜, 修好再開秋將到。 鄰人眼温吾人迎, 北京空晴秋氣深。 |
國交 途絶 幾 星霜,
修好 再開 秋(とき) 將(まさ)に 到らんとす。
鄰人 眼 温かにして 吾人を 迎へ,
北京 空 晴れて 秋氣 深し。
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◎ 私感註釈
※田中角栄:大正七年(1918年)〜平成五年(1993年)。昭和四十七〜四十九年に在任した第六十五代の内閣総理大臣。昭和四十七年九月に中国を訪問し、国交正常化をなした。
※北京空港:この詩題は、わたしが仮に附けたもの。1972年(昭和四十七年)国交恢復に向けた熱意と、交渉の成就感に満ち溢れた作品で、北京空港、今日の北京国際航空站で作ったものといわれる。漢詩としてよりは、わたしの若い時の思い出に繋がる故、とりあげた。「北京談判」の際、この作品は新聞で揶揄的に報道された記憶があるが、それからもう三十年以上も経った。当時が懐かしく思われる。この詩は、大政治家の行動の際の感慨の詩であり、現代日中両国の交渉史の一頁を記したものである。それ故、詩壇の作品の如く、字句に拘ってこれを論評するのは不適切なことであろう。なお、当時、ニクソンと田中角栄が前後して毛沢東に会っているが、『人民日報』では、両者に対して異なった動詞を使って表現していたのが印象に残っている。たしか、“毛主席會見(了)尼克松…”、“毛主席接見(了)田中角榮…”のようだった。(古い記憶なので、「了」が附いていたのかどうか、自信がありませんが…。ニクソンと田中角栄とで「格」を違えられたのかな?という憶測をしたので心に残っています。その『人民日報』も散佚して、もう確かめる術がありません。時は流れ去りました。) 蛇足になるが、田中首相が「…ご迷惑をおかけし、…」と言った部分の中国語訳が“添了麻煩”と逐語訳されて、「“添了麻煩”とは何事か!」と抗議の揺さぶりがあったことも、記憶に残っている。後になってから、なるほど、これが交渉であり、談判であるのか、さすが縦横の計の本場だと…。この話題はあまりにも羶いものとなるので、ここで擱く。 ・空港:一般に日本語で使われるが、この作品にはこの語が定着しているようなので使う。我が国の総理大臣が現代(中国)語の“航空站”や“機場”を使うというのも、おかしな感じではあるし、悩ましいところである。
※國交途絶幾星霜:国交が途絶してから何年過ぎたことだろうか。 ・國交途絶:国交が途絶える。 ・幾星霜:何年。 ・星霜:年月。歳月。星は一年に天を一周し、霜は毎年降るところから謂う。
※修好再開秋將到:(両国の)修好が再開されるときが、もうすぐやっくる。 ・修好:国と国とが交流すること。親しく交わること。 ・再開:再開する。 ・秋:とき。諸葛亮の『前出師表』に「臣亮言。先帝創業未半而中道崩。今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。……臣不勝受恩感激,今當遠離,臨表涕泣,不知所云。」に由来する。 ・將:まさに。まさに…んとす。将然形を表す。 ・到:いたる。到来する。
※鄰人眼温吾人迎:隣人は温かい眼差しで我々を迎える。 ・鄰人:ここでは、中国(人)を指している。 ・眼温:眼差しが温かである。 ・吾人:わたし。われわれ。われら。一人称。 ・迎:迎える。
※北京空晴秋氣深:北京の空は晴れて、秋の気配が深く漂っている。 ・北京空晴:北京の空は晴れて。 ・空:天空。 ・秋氣深:秋の気配が深い。
◎ 構成について
押韻しない。次の平仄は、この作品のもの。
●○○●●○○,
○●●○○○●。
○○●○○○●,
●○○○○●○。
平成16.6.12完 平成19.9.25補 平成21.2.15 |
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