天荒 | ||
河上肇 | ||
人老潛窮巷, 天荒未放紅。 狗吠門前路, 雲低萬里空。 |
人は 老いて 窮巷に 潛み,
天は 荒れて 未だ 紅を放たず。
狗は 吠ゆ 門前の路,
雲は 低る 萬里の空。
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◎ 私感註釈
※河上肇:明治十二年(1879年)〜昭和二十一年(1946年)。マルクス主義経済学者。山口県の人。東京帝国大学卒業後、大学教授となり、次第にマルクス主義に近づき、やがて、新労農党、共産党と活動して、治安維持法違反で検挙された。主義のため、信念を貫くために地位と名誉を捨てた。詩作は検挙後に始めたというが、その詩は、作者の専門外とはいうものの、見事なものである。詠物、叙景の詩が文人の作詩の主流となっている現代日本詩では異色で、興味をそそられる慨世の作品群を遺している。謂わば、屈原の慷慨と熱を帯び、陸游の風韻に学んで、陶潜に近づいた、昭和の放翁であろうか。でも何故か、日本の歌『北歸行』「建大一高旅高 追はれ闇をさすらふ………。わが身容るるにせまき 國を去らんとすれば…」を聯想してしまう。富も名誉も捨てる決断……まこと、涙流れてやまず。
※天荒:天上の空模様が、荒れすさぶっている。気候はまだまだ厳しい。昭和十三年、作者が六十歳の時の心象を反映した風物である。 *この語、後出・一休宗純の『陋居』に基づこう。この語・「天荒」は、深読みすれば「天皇」に通じる(「天荒」:〔てんくゎう;tian1huang1〕、「天皇」〔てんくゎう;tian1huang2〕)が、如何なものか。以下、各詩句で、勘ぐることができるものがあるが、もはや文字獄を来す?こともなかろう。作者・河上肇の『腥風不已』に「戰禍未收時未春,天荒地裂鳥魚瞋。何幸潛身殘簡裡,腥風吹屋不吹身。」がある。
※人老潛窮巷:人(=わたし)は袋小路の貧しげな路地裏で年老いて。 ・人老:人は年老いた。室町時代・一休宗純の『陋居』に「目前境界似吾癯,地老天荒百草枯。三月春風沒春意,寒雲深鎖一茅廬。」とある。 ・潛:〔せん;qian2○〕ひそむ。かくれる。また、くぐる。ここは、前者の意。 ・窮巷:〔きゅうかう;qiong2xiang4○●〕袋小路状の細く貧しげな路地。東晉・陶潛の『歸園田居』五首其二に「野外罕人事,窮巷寡輪鞅。白日掩荊扉,虚室絶塵想。時復墟曲中,披草共來往。相見無雜言,但道桑麻長。桑麻日已長,我土日已廣。常恐霜霰至,零落同草莽。」とある。
※天荒未放紅:天上の模様は、荒れすさぶって(気候は冬の厳しさで)、まだ、花を著けることもない。 *「天荒」(てんくゎう)は、まだ、共産主義思想を身につけた人を釈放していない。 ・天荒:天上の空模様は、荒れすさぶっている。空が荒れすさぶ。前出・一休宗純の『陋居』に「目前境界似吾癯,地老天荒百草枯。」とある。 ・放紅:花を咲かせる。 ・放:(花が)咲く。草木の芽が出る。同義に「開」「咲」「笑」がある。「開」は○、「咲」「笑」は●になる。 ・紅:はな。必ずしも赤い花とは限らない。江戸・尾池桐陽の『雨中海棠』「芳園三月雨濛濛,露蘂煙英漸放紅。想見華C初出浴,嬌姿無力立春風。」とある。また、共産主義思想を身につけた。革命的な。と言った意味もある。
※狗吠門前路:犬が門前の路でほえて。 *官憲の走狗が、門前の路で気炎を上げている。 ・狗吠:〔こうはい(くはい);gou3fei4●●〕犬がほえる。東晉・陶潛の『歸園田居』五首其一に「少無適俗韻,性本愛邱山。誤落塵網中,一去三十年。羈鳥戀舊林,池魚思故淵。開荒南野際,守拙歸園田。方宅十餘畝,草屋八九間。楡柳蔭後簷,桃李羅堂前。曖曖遠人村,依依墟里煙。狗吠深巷中,鷄鳴桑樹巓。戸庭無塵雜,虚室有餘閨B久在樊籠裡,復得返自然。」とある。 ・狗:イヌ。人をののしる趣がある。「走狗」等。
※雲低萬里空:雲が遥か彼方までたれこめている。 ・雲低:雲がたれこめる。南宋・陸游の『山南行』に「我行山南已三日,如縄大路東西出。平川沃野望不盡,麥隴桑鬱鬱。地近函秦氣俗豪,鞦韆蹴鞠分朋曹。苜蓿連雲馬蹄健,楊柳夾道車聲高。古來歴歴興亡處,擧目山川尚如故。將軍壇上冷雲低,丞相祠前春日暮。國家四紀失中原,師出江淮未易呑。會看金鼓從天下,却用關中作本根。」とある。 ・萬里:遥かな。長大なさまを謂う。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「紅空」で、平水韻上平一東。この作品の平仄は、次の通り。
○●○○●,
○○●●○。(韻)
●●○○●,
○○●●○。(韻)
平成22.6.18 6.19完 令和元.11.13補 11.18 |
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