二龍山 | ||
伊藤博文 |
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望臺塞下二龍山, 歴歴戰圖眉睫間。 殘壁猶存攻守跡, 血痕和土土斑斑。 |
望臺塞下 の 二龍山,
歴歴たる 戰圖眉睫 の間 。
殘壁 猶 ほも存 す 攻守の跡,
血痕 土に和して 土斑斑 たり。
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◎ 私感註釈
※伊藤博文:政治家。天保十二年(1841年)〜明治四十二年(1909年)長州藩出身。幼名利助。後、俊輔。号は春畝。松下村塾に学び、木戸孝允に従い、尊王攘夷運動に参加。後、討幕運動に従って、維新政府樹立に貢献した。欧州よりの帰国後、華族制度、内閣制度の創設、大日本帝国憲法・皇室典範制定、枢密院設置など、天皇制確立のために努力。明治十八年(1885年)、初代総理大臣・枢密院議長となる。日露戦争後、初代韓国統監となり、併合強化への一歩を踏み出した。明治四十二年(1909年)、満洲視察と日露関係調整のため、渡満の際、ハルビン駅頭で韓国人・安重根に暗殺された。詩集に『藤公詩存』(明治四十三年 博文館)がある。
※二龍山:ロシア軍の二龍山堡塁のある山。遼東半島の南端にある旅順(現・大連市旅順口区)の真北2キロメートルの地にある堡塁を構築した山地。日露戦争・旅順攻囲戦での激戦地。ロシア軍要塞の機関銃掃射のもと、日本軍兵士は果敢に突撃を繰り返し、極めて多数の戦死者を出した。なお、二〇三高地では、明治・乃木希典に『爾靈山 』(=二〇三(高地))「爾靈山嶮豈攀難,男子功名期克艱。銕血覆山山形改,萬人齊仰爾靈山。」がある。
※望台塞下二龍山:望台にある(ロシア軍の砲台)のほとりにある二龍山(堡塁)は。 ・望台:ロシア軍の砲台名。旅順の北北東にある。旅順攻囲戦での最終攻撃地点。二龍山堡塁の南東にある標高185メートルの山。 ・塞下:とりでのほとり。
※歴歴戦図眉睫間:ありありと作戦地図では、ごく近いところ(である)。 ・歴歴:あきらかなさま。ありありと。一つ一つはっきりと。 ・戦図:作戦地図。晩唐・曹松の『己亥歳』に「澤國江山入戰圖,生民何計樂樵蘇。憑君莫話封侯事,一將功成萬骨枯。」とある。・眉睫間:ごく近いところ。=「眉睫之間」。 ・眉睫:〔びせふ;mei2jie2○●〕眉毛とまつ毛。非常に近いところの喩え。
※残壁猶存攻守跡:くずれ残った壁には、まだ攻撃と守備の痕跡がのこっており。 ・残壁:くずれた壁。佐佐木信綱の『水師營 の會見』に「旅順 開城 約成 りて,敵の將軍 ステッセル。乃木大將と會見の,所はいづこ水師營 。 庭に一本 棗 の木,彈丸あとも いちじるく,くづれ殘れる民屋 に,今ぞ相 見る 二將軍。 『さらば』と握手 ねんごろに,別れて行 くや右左 。砲音 絶えし砲臺 に,ひらめき立てり日 の御旗 。」とある。 ・猶存:まだ…がのこっている。
※血痕和土土斑斑:血の痕が点々と土に融け合って、土がまだらに(染(し)みに)なっている。 ・血痕:血の跡。 ・和:とけ合う。和す。 ・斑斑:〔はんぱん;ban1ban1○○〕まだらなさま。点の多いさま。点々とした(血の跡)。飛び散った(血の跡)。清末・秋瑾の『寶劍歌』に「炎帝世系傷中絶,茫茫國恨何時雪?世無平權祗強權,話到興亡眦欲裂。千金市得寶劍來,公理不恃恃赤鐵。死生一事付鴻毛,人生到此方英傑。饑時欲啖仇人頭,渇時欲飮匈奴血。侠骨崚嶒傲九州,不信大剛剛則折。血染斑斑已化碧,漢王誅暴由三尺。五胡亂晉南北分,衣冠文弱難辭責。君不見劍氣棱棱貫斗牛?胸中了了舊恩仇,鋒芒未露已驚世,養晦京華幾度秋。一匣深藏不露鋒,知音落落世難逢。空山一夜驚風雨,躍躍沈吟欲化龍。寶光閃閃驚四座,九天白日闇無色。按劍相顧讀史書,書中誤國多奸賊。中原忽化牧羊場,咄咄腥風吹禹城。除却干將與莫邪,世界伊誰開暗K。斬盡妖魔百鬼藏,澄C天下本天職。他年成敗利鈍不計較,但恃鐵血主義報祖國。」とある。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「山間斑」で、平水韻上平十五刪。この作品の平仄は、次の通り。
◎○●●●○○,(韻)
●●●○○●○。(韻)
○●○○○●●,
●○○●●○○。(韻)
平成25.4.23 4.24 |
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