廬山煙雨 | |
北宋・蘇軾 |
廬山煙雨浙江潮,
未到千般恨不消。
到得還來無別事,
廬山煙雨浙江潮。
******
廬山の煙雨
廬山 の煙雨 浙江 の潮 ,
未だ到らざれば千般 恨 消えず。
到 り得 還 り來 れば別事 無し,
廬山 の煙雨 浙江 の潮 。
****************
◎ 私感註釈
※蘇軾:北宋の詩人。北宋第一の文化人。政治家。字は子瞻。号は東坡。現・四川省眉山の人。景祐三年(1036年)〜建中靖國元年(1101年)。三蘇の一で、(父:)蘇洵の老蘇、(弟:)蘇轍の小蘇に対して、大蘇といわれる。
※廬山煙雨:廬山のきりさめ。 *第一句(起句)と第四句(結句)とが同一にできるのは、近体詩では、それの平仄の配列が同じ(○○●●●○○(韻))ため。このような作品例は極めて少ない。なお、この作品には禅の深い意味が蔵されていると謂われるが、ここでは、通常の詩作として解釈する。「廬山と物の見方」については、蘇軾に『題西林壁』「看成嶺側成峰,遠近高低各不同。不識廬山真面目,只縁身在此山中。」がある。また、似た形式の詩については、日本・伴林光平の『辛酉二月出寺蓄髮時作』「本是~州C潔民,謬爲佛奴説同塵。如今棄佛佛休恨,本是~州C潔民。」がある。 ・廬山:〔ろざん;Lu2shan1○○〕江西省の九江市の南にある山塊(『中国第百科全書 中国地理』、『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)24−25ページ「両浙路 江南東路」にある)。陶潛は南山と詠ったこともある。陶淵明の隠棲した近くにある山、。廬山地図。 ・煙雨:煙るように降る雨。きりさめ。晩唐・杜牧の『江南春絶句』に「千里鶯啼拷f紅,水村山郭酒旗風。南朝四百八十寺,多少樓臺烟雨中。」とある。
※廬山煙雨浙江潮:廬山のきりさめと、浙江の銭塘江の潮の遡上(とは天下の奇観である)。 *「廬山煙雨浙江潮」の句の読み下しで、「廬山は煙雨 浙江は潮」と読むのを見るが、日本古典の『枕草子』「春はあけぼの…夏は夜」のような日本語古語の係助詞(ある事柄を取り立てて強調し、他と区別しつつ判然と提示意を表す)の「…は」とするのは適切か。このような句の構成の場合、普通には「廬山の煙雨 浙江の潮」と、格助詞の「の」を入れて読み下す。漢語で謂えば「廬山(者/是)煙雨 浙江(者/是)潮」なのか、「廬山(之)煙雨 浙江(之)潮」なのか。ここは、「廬山(之)煙雨 浙江(之)潮」で、「廬山の煙雨 浙江の潮」と読み下すのが通常だろう。 ・浙江潮:中秋の明月の頃、浙江省の銭塘江を潮が遡上することを謂う。中唐・白居易の『憶江南』 二に「江南憶,最憶是杭州。山寺月中尋桂子,郡亭枕上看潮頭。何日更重游。」とあり、中唐・劉禹錫の『浪淘沙』に「八月濤聲吼地來,頭高數丈觸山迴。須臾卻入海門去,卷起沙堆似雪堆。」とあり、清末〜・蘇曼殊は『本事詩』で「春雨樓頭尺八簫,何時歸看浙江潮。芒鞋破鉢無人識,踏過櫻花第幾橋。」と使う。この外、秋瑾も屡々詠う。秋瑾の場合は「江南の地の革命思想の潮流」の意で使う。
※未到千般恨不消:まだ行っていない時は、いろいろと心に思い悔やむことが消えない。 ・未到:まだ行っていない。 ・千般:〔せんぱん;qian1ban1○○〕いろいろ。種々。さまざま。千万(せんばん)。 ・恨不消:心に悔やむことが消えない。 ・恨:心に残り、(自分に対しての)うらみの極めて深いこと。残念がる。また、後悔する。ここは、前者の意。
※到得還來無別事:(しかしながら)帰って来てみれば、どうって事は無く。 ・到得:行き得る。行くことができる。 ・還來:戻ってくる。帰ってくる。 ・還:〔くゎん;huan2○〕帰る。(元の状態に)戻る。帰る。 ・無別事:別にどうって事は無い。 ・別事: 普通とかわった事。特別な事柄。
※廬山煙雨浙江潮:廬山のきりさめはきりさめで、浙江の銭塘江の潮の遡上は、潮の遡上(に過ぎない)。
***********
◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「潮消潮」で、平水韻下平二蕭。この作品の平仄は、次の通り。
○○○●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●○○●○●,
○○○●●○○。(韻)
2012. 3. 1 3. 2完 2019.12.20補 |
次の詩へ 前の詩へ 金陵舊夢メニューへ ************ 詩詞概説 唐詩格律 之一 宋詞格律 詞牌・詞譜 詞韻 唐詩格律 之一 詩韻 詩詞用語解説 詩詞引用原文解説 詩詞民族呼称集 天安門革命詩抄 秋瑾詩詞 碧血の詩編 李U詞 辛棄疾詞 李C照詞 陶淵明集 花間集 婉約詞:香残詞 毛澤東詩詞 碇豐長自作詩詞 漢訳和歌 参考文献(詩詞格律) 参考文献(宋詞) 本ホームページの構成・他 |