Bobby Vinton International Fan Club of Japan, newsletter, no.36 Feb. 15, 2008 |
Focus on the Bobby Vinton Show(1975-78)
ボビー・ヴィントン・ショウ(1975−1978)特集
1 ヴァラエティ・ショウについて
さて、本題にはいる前に"Variety Show"について少しおさらいをしておこう。
日本でも放映された"Ed Sullivan Show"がその典型である。コメディーあり、
曲芸あり、物真似あり、そしてエンターテイナー達のパフォーマンスありと、もり沢山
で、ホストのパーソナリティがその存続に大きな影響力を持っている。日本でもかって
"Perry Como Show""Sing along with
Mitch""Andy Williams Show""This is
Tom Jones""Julie Andrews hour""Sammy Davis,
Jr. Show"などが一時期放送
されたことがあった。
全盛は’60年代,’70年代とされ、’80年代になると次第に衰退し"Dolly"(1987-1988)
Regular: Dolly Partonが最後とされている。ボビーのショウが登場した’70年代は、さま
ざまなスター達が通常,夜のゴールデン・タイムに1時間のヴァラエティ・ショウを持っていた。
人気の高かったのは、"Carol Burnett
Show"(1967-1979), "Sonny & Cher Comedy
hour"(1971-1977), "Tony Orland &
Dawn"(1974-1976), "Donny [Osmond]& Marie
[Osmond](1976-1979)などだが、’60年代から続いていた"Andy
Williams Show""Glen
Campbell Goodtime Hour"が’70年代はじめに終了し、TV
Producer達は新しいホスト役
を人選していた。ここまで紹介したショウはいずれもネットワークショウで、北米の大半の地
域で観る事ができたが、Syndicated Showになると映画でいう配給方式にあたり、番組の
購入が前提となった。
そこで、登場し30分番組ながら高い支持を集めたのが2人のボビーをホストに採用した
"Bobby Goldsboro Show"(1972-1975)と"Bobby Vinton
Show"(1975-1978)である。
”ハニー”のヒットで知られるボビー・ゴールズボロのショウは"Henry
Mancini""Vikki Carr"
"Johnny Mathis"それにボビー・ヴィントンをゲストとして招くなど高い視聴率をあげた。
日本での知名度はヴィントンをさらにしたまわっているなど、どちらかというと日本での人気
に反比例した人達がホスト役を務めていたのも皮肉である。
日本で放映されなかったことも大きく影響している。
2 ボビー・ヴィントン・ショウ
@ショウの開始まで
ボビーがこのショウのホストに採用されるまでには、紆余曲折
があった。Chris BeardというカナダのTV制作者がラスベガスで
テンポのよいボビーのショウに魅せられ、ショウのホスト役にと考えた
のが、きっかけで、同時期にEpicからLP"Greatest
hits"が再発され
TVでもさかんに宣伝され、ベスト・セラーになっていた事もTV局のスタ
ッフの目にとまり、何人かの候補者の中から、”愛のメロディー”で人気
を盛り返していたボビーの抜擢が決まったようだ。ただしネットワークショウ
ではなくシンジケート方式(映画でいう配給方式)でTV局で放送の権利を
獲得する必要があった。スタッフ達の努力もあり北米の主な都市のTV局
で放映され、米国ではCBS、カナダではCFTO & CTV Networkが
実権をにぎっており、CBSが関係していた事が、後に番組の存続を左右
することになる。
Aショウのスタッフ
番組の制作にあたったのは、以下の人達である。
Executive Producers: Alan Byle & Chris Beard
Producer: Alan Thicke
Director: Mike Steele
Musical Director: Jimmy Dale
Musical Consultant: Bob Morgan
などで、過去に"Andy Williams Show"(1969-71)
"Sonny & Cher Comedy Hour"(1971-77)なども
てがけている。ショウはトロントのスタジオに数百人の
ファンを集めてライブで録画収録された。
アンディのショウはNHKで土・日の午後に
散発的に放映されたこともあり、覚えている方もいるだろう。
オリジナルの"Andy Williams Show"(1962-67)とは内容的に
かなり異なり、スタジオに数百人のファンを集め、コメディーを
取りいれアンディも若い世代へのアピールを狙ったショウだった
が、オリジナルのショウのような評価は得られず2年間で終焉した。
"Sonny & Cher Comedy Hour"はコメディ中心だが、数多くの
エンタテイナーがゲストとして登場した。ボビーもその内の一人で
ある。こちらの方は高い視聴率に支えられ、現在3枚組のDVDが
米国で発売されて好調な売れ行きを示している。
Bショウの構成
ショウは3年契約。30分番組でコマーシャルを差し引くと25分程度
の短いプログラムでオープニングでボビーが一曲披露したあと民族衣装
をまとったPolkaLadyがゲストを伴って登場、ゲストとのやりとりのあと再
度オープニングナンバーを歌う。このあとレギュラーのFreeman
King,
Jack Duffy, Billy Vanとゲストのからんだコメディ・スケッチなどが続き、
ゲスト歌手の場合はボビーとのコーナーがありボビーとのDuoないし単独
でヒット曲を披露する。
ボビーの往年のヒット曲、スタンダードナンバーを一曲歌うコーナーや、
スタジオのファンの前で得意の楽器演奏やAl
Jolsonなどへの
トリビュートなどでファンとの交流をはかる場合もあり、クロージングとなり
ここではゲストとボビーが”愛のメロディー”を合唱して終了する。
C豪華なゲスト陣
当初は、"Donna Fargo""Anne
Murray""Tanya Tucker"などカントリー
系の女性歌手が中心だったが、徐々に枠をひろげ"Petula
Clark""Patti
Page""Joanie Sommers""Freda
Payne""Lesley Gore""Phoebe Snow"
"Lanie Kazan"ベテランでは"Abbe
Lane""Teresa Brewer"それに"Ethel
Merman"まで登場している。ソウルでは"Spinners"が2度でているのを始め
"Donna Summer"をはじめてこの番組がTVで紹介している。
もっとも出場回数の多いのはやはり、コメディアンで"Arte
Johnson"それに
「エド・サリヴァン・ショウ」にもよくでていた"John
Byner"の2人が7回出場している。
歌手ではカナダで制作されていたことも関係して"Anne
Murray"の3回が最高
である。男性歌手では、"Freddy
Fender""Jim Stafford""Dion""Trini
Lopez"
それにソングライターの"Paul Williams"などもでており、いかに豪華な陣容かがわ
かる。
Bobby & Petula Clark
Dボビーのパフォーマンスとホスト役
シリーズ物のホストは今回がはじめてのボビー、ゲストの紹介のしかたなどは
どちらかというと素人的、逆にそれが親近感をいだかせたかもしれない。
それ以上に、この番組の最大の見せ場は、ボビーがソロで往年のヒット曲や
スタンダードを歌うシーン、なかには、コメディーの中で歌われるナンバーもあるが、
完全にソロで歌う時のボビーはやはり、素晴らしい。いずれも口パクでなく生で歌っ
ており、エピソード#2の”ブルー・オン・ブルー”#5の”ミスター・ロンリー”#7の
”愛の告白”などは特によく、バックのJimmy Dale
Orchestraが比較的オリジナル
に近いアレンジで演奏しており、特に”ミスター・ロンリー”これまで観たどの映像より
よく、感動的だ。
オープニング・ナンバーとしては, Another
Saturday night(Sam Cooke)、I'm walkin'
(Fats Domino)、Runaway(Del Shannon)、Do you wanna dance(Bobby
Freeman)や
Travellin' band(CCR)、When will I be loved(Everly Bros, Linda
Ronstadt)などをとり
あげている点からボビーがロックン・ロール”の影響を少なからず受けているのがわかる。
よく比較されるアンディ・ウイリアムスとの違いはアンディがロックン・ロールから距離を
おいているのとは対照的に、プレスリーの映画「監獄ロック」などもボビーはバンド・リー
ダー時代に鑑賞したという事実にもあらわれている。
その一方「ジョルスン物語」を何度もみ、ショウのなかでもAl
Jolson Medleyを披露する
などショウビジネスの伝統を受け継いでいこうとする姿勢もでている。ロックンロールと
ボードビリアンという異質のものを同時に消化してきたボビー。あるいはこれがボビー
の評価を中途半端なものとしてしまったかもしれない。
Bobby & Loretta Swit(女優)<Episode#2>
Eまとめ
ボビーがショウの放映当時、出演したあるラジオ番組で語ったところによると、司会者
の30分では短いのではという問いに対し<30分で十分、できなかったら翌週やればいい。>
とかわしている。またショウはかなり先取りされ1975年の6月頃から収録が開始され、一週
間で4つのエピソードを制作し、コメディーなどもほとんど1テイクで、歌も事前に録音するので
なくその場で生で歌ったそうだ。今回、入手したファースト・シーズンの10プログラムをみると
ボビーがスタジオに集めたファンとの交流をいかに大切にしているかがよくわかる。
カリスマ的な雰囲気はなく近所の歌の好きなお兄さんといった感じで、コマーシャルを差し引
いた25分で実力を完全に発揮しているとは思えない。どうみても時間が足りない。彼の持てる
力を10とすれば6程度しかでていない。
ファースト・シーズンは高い視聴率に支えられたが、アメリカのCBSのスタッフはショウの構成
に、納得せず、ボビーは、自伝"Polish
Prince"(M. Evans, 1978)の中で次ぎのように述懐して
いる。”CBSはショウの成功は制作とコメディーが、よかったからでボビー・ヴィントンがよかった
訳ではないと分析し2年目から内容を大幅に変更、ゲストが大幅にフューチャーされ、民族的
な背景も排除され自分自身の登場シーンが減ってショウの最初のスピリットがなくなってしまった。”
この結果ボビーは2シーズンと3シーズン目の内容には納得せず、徐々に意欲を失っていき
契約を更新しない道を選んだ。それでもカナダでは以前高い支持をえて、継続を打診されたよう
だ。2,3シーズンの番組は見ていないので何とも言えないが、カナダ人はボビーのパーソナリティ
と歌唱力に魅了されていたのは間違いない。
参考文献として"Complete directory to prime time
network & cable TV Shows; 1946-
present(Ballatine Books, c1995)を利用したがここでは、52episodesとなっているが3年間
で52という数字は少なすぎるので, TV guideのホームページで調べたところ74episodesと
されており、詳しいエピソードの内容も掲載されている。ただし、放送日、エピソード#が記録
されていないのが難点。
ホームページに詳しいショウの内容をリストしてあるので感心のある方はご覧いただきたい。
All time great albums<あの1枚>
Bobby Vinton Show/ABC ABCD924(Dec. 1975)
Producer: Bob Morgan, Musical director: Jimmy Dale
邦盤”ボビー・ヴィントン・ショウ”(日本コロムビア)1976‐12月発売
YX−8053−AB
最高位:161位
The Bobby Vinton Show theme, Runaway(#8), Killing me softly with his song, Build me up Buttercup, Help me make it through the night(#8), Bad bad Leroy Brown, Way we were(#7) /Travellin' band(#6), United we stand(#8), Love Story, When will I be loved(#4), I'm walkin'(#15) And I love you so |
|
ABCD-924 | Hit songs from the hit TV show |
( )は紹介されたエピソード# 二人だけの世界"United
we stand"はショウでは
アン・マレーとのコンビで聴かせる。
このアルバムはショウのサウンドトラック・アルバムではなく、ショウで好評をえた
ナンバーをスタジオで再録音したもので、アレンジはTVで使われたものがそのまま
で、ボビーはスタジオ録音にもかかわらず、生に近い歌声を聞かせる。
ABCにおける3作目あたる本作品では、歌唱力をいかんなく発揮し、その実力
を存分に示している.”悲しき街角””トラヴェリン・バンド””アイム・ウオ−キン”は
ショウのオープニングで歌われた。自身のヒットがはいっていないのが残念だが、
この時期のボビーの充実ぶりは充分つたわってくる。日本では、一年後の1976年
になって"Serenades of love"(YX-8052/ABCD957)「愛のセレナーデ」と順番を逆
にしてのリリースだった。日本では当時”パロマ・ブランカ”が朝の番組で使用された
こともあってヒット、結果的にこのLPの発売につながった。この頃、ボビーを来日させ
ようという動きもあったが、不運にも本国アメリカのABCレコードでスタッフの移動
がありボビーの理解者が少なくなり、このあと"Name
is love(AB981)(YX8096)
「愛のつづり」を発表しただけで、ベスト盤も発売されることなくABCレコードを離れ
ることになり、来日公演も宙にういてしまった。
又,ボビーはABCに残した音源をひきあげ自身のRexford
Productionsで管理する
ようになりABC(現ユニヴァーサル・ミュージック)は彼の作品の発売権を持っていない。
<New release>
CD)Polka in paradise/Jimmy Sturr and his Orch
Special guest: Bobby Vinton/Rounder 11661-6115-2(July 11,
2006)
Put a light in the window, Monopol, Polka in paradise (Bobby Vinton), Wake up early in the morning, Give me a kiss, Dance with me, Roll out the barrel one more time, Miss Molly, Sweet memories of yesterday, Diamond ring, and others |
|
Polka in paradise | Rounder 11661-6115-2 |
日本では無名な"Jimmy Sturr and his
Orch."だがRounderレーベル
からポルカ系のCDを何種類か発売している。ボビーはこのバンドを
気に入っていてバックバンドとして採用したこともあり、ジミ−からの要請
に応じて、このCDのタイトル曲の録音を快諾した。録音日は明記されて
いないが、比較的最近の録音のようで、大変、貴重である。ポルカとボビー
この関係はファンなら忘れてはいけない。
.
<New Release in Japan>
映画「ミスター・ロンリー」の興行にあわせて、1964年のオリジ
ナルLPが、日本ではじめて紹介されます。紙ジャケット仕様のCD
で発売日は3月19日。
1ミスター・ロンリー、2オールウエイズ、オールウエイズ 3ティナ、4とこしえに貴方を、5ライフ・ゴーズ・オン、 6ラーフィング・オン・ジ・アウトサイド、7シング・コールド サッドネス、8緑の草原、9アイル・ネヴァー・スマイル・ アゲイン、10昔知っていた人、11サテン、12愛される こと |
|
Epic/EICP-967 | ミスター・ロンリー(Original no. Epic BN26136) |
録音データ:1
1962年2月16日(New York)
10、11 1964年6月2日(New York)
3,5,6 1964年6月19日(New York)
7,8,12 1964年9月24日(Nashville)
2,4 1964年10月1日(New York)
9 1964年11月6日(Nashville)
4 とこしえに貴方を"Forever yours I
remain"はバート・バカラックの作品。
アレンジもバカラック自身が担当。その他にRobert
Mersey, Garry Sherman,
Charles Calello, Stan Applebaum, Bill Walkerなどが編曲者として名を連ねて
いる。LPチャートでは1965年はじめからランクされ13週ランク・インし最高位
18位を記録している。発売から44年たってやっと日本でも評価されたのは、
彼の実力の証明。このCDでは、20代後半ながら落ち着いたボビーの誠実な
歌声が心に残る。是非、コレクションに加えていただきたい。
<Video紹介>
Polish Americans 90min.
Production: WLIW21 New York, WMHT Schenectady &
WVIZ Cleveland.(c)1998
ポーランド系アメリカ人は、米国人口中の約1千万人で全体の約3%にあたり
州別ではNew York州、Illinois州、Michigan州、ボビーの生まれたPennsylvania州
はそれについで4番目にあたる。トータルの人口では、Wisconsin,
Michigan,
Connecticut, Illinois, New Jerseyの順でボビーの”愛のメロディー”は、こういった
州を中心に米国全土へのヒットにつながっていった。それは、歌詞の一部にポーランド
語を使ったからに他ならない。
ここでは、俳優のStefanie Powers, 作家のSuzanne
Strempekなどとともにボビー
が登場し、ポーランドとの関わりを述べる。ボビーは何度もインタビューにでてくるが、
収録は彼の劇場でされたようだ。特に目新しいエピソード等はなく、ライブの映像は
カナダでの"Live in concert"からのそれが使用されている。"My
melody of love"
(愛のメロディー)が、ポーランド系アメリカ人のテーマソングとなっていることがこの
ビデオからもわかる。
特に専門的な内容なので一般向きとはいえないが、さまざまな人種からなるアメリ
カ合衆国でのポーランド系アメリカ人のこれまでのあしどり、その果たしてきた役割
などをインタビューやフィルムをもとに紹介している。
日本で知られたポーランド系アメリカ人としては、女優のジェーン・シーモア、ローレン・
バコール、映画監督のビリー・ワイルダー,元シカゴのピーター・セテラ、リベラ−チェなど
がいるが、ここには登場していない。
<Bobby Vinton Live: Songs from my heart>鑑賞記
さて、ここからは、前回の会報で特集した<ボビーのライブ映像資料
を見よう>の続編です。ブランソンの劇場で収録され全米で放映され
ヴィデオ化(DVD)された素晴らしい映像にまた、2人の方から、感想
をお寄せいただきましたので、ここに掲載します。アメリカでのボビーの
人気を支える中心層は中年女性です。前回は男性からみた鑑賞記でしたが、
今回はボビーの大ファンでいらっしゃる2人の女性評論家の文章を堪能してい
ただきましょう。
「みんなに見てほしいハートフルなコンサート」
菅沼正子(映画評論家)
ホッホー! なんともすばらしい。ぜいたくな80分。67歳であんな
に歌えるとは!むかしと全然変わらないじゃないか、いや、それ以上に
円熟したその歌唱力に圧倒される。すごいエネルギーだ。
私は、ボビー・ヴィントンが大好きだ。彼の歌う歌は心に響く。珠玉の
名曲<ミスター・ロンリー>がそのまま映画のタイトルになった「ミスター・
ロンリー」(2月2日公開)はオープニング早々、オリジナルの歌がたっぷ
り聴かれる。若い、実に若い声。甘い、実に甘い声。メロメロにとろける
ような甘い声。寂しくて、悲しくて、目にはうっすらと涙がにじむ。
「ぼくはひとりぼっち、さびしい、愛しい人はだれもいない。訪ねてくる人
も手紙もこない。ひとりぼっちでさびしい」・・・・・・孤独のわびしさを切々
と訴える。思わず抱きしめてやりたくなる。
これだ。これが私をボビーに惹きつけたのだ。60年代半ば、3人の
ボビーというのがいて私はだんぜんヴィントン派だったけれど、あれから
40余年、ダーリン派、ライデル派はどうしているのだろうか、思いは走馬
燈のように脳裏をかけめぐる。
デヴィッド・リンチが<ブルー・ベルベット>にインスパイアされて同名の
映画を作ったように、「ミスター・ロンリー」もあの歌の寂しさがモチーフと
なって,主人公たちの孤独を際立たせている。
さて、今回見せていただいたDVD、これは貴重品だ。冒頭でもふれた
ように、ほんとうにすばらしい。感激で胸がいっぱい。キューンと痛い。
痛いけれどホンワカとあったかい。全体の構成がみごと。ハートフルで、
ボビーの歌とキャラクターがうまく表現されている。観客と合間のセリフ
と選曲、すべてが一体感を持たせた全員参加型で、その演出も自然体
でとてもいい。
あの有名な<トゥナイト>を詩を変えてまるで持ち歌のように歌い、「
今宵はようこそ」と観客の心を一気にコンサート会場に引きつける。彼が
歌えばどんな歌でも自分の持ち歌として聴かせる。プレスリーの<ハウン
ド・ドック>さえボビーの歌になっている。歌唱力の豊さの証明だ。
ステージを大きく使って、足の動きが軽やかでとてもきれい。私はボビ
ーの前歴をよく知らないが、ひょっとしてスポーツマンではなかったろうか
、と思いながら見ていると、ママの登場で「少年時代はサッカー小僧だっ
た」と教えてくれた。
このママがすごい。胸元が大きく開いたまっ赤なス−ツ。知的で、いか
にも教育ママといった感じなのに、すごく艶っぽい。歌も上手いが、ダンス
の上手さは抜群。もうアメ−ジングだ。観客のスタンディング・オーベー
ションも当然、茶の間の私も思わずそうしたんだから。ボビーのママだから
歳はいわずもがなだが、ポジティブの「この親にしてこの子あり」か。
ボビーがあの歳にして、立て続けに歌っても、息切れもしてないし、声が
枯れてもいない。まさに天性のものなのか。それとも歌手は歳をとらないの?
そして3人の娘に<リンゴの木の下で>を歌わせるのも上手い選曲。「り
ンゴ」はいろいろな意味を持っている.元気であったり、目の中に入れても
痛くないという愛らしさの象徴でもあるのだ。美しく育った娘たちを見てくれ
というボビーのメッセージなのだ。
息子のロブも良かった。ハンサム。肩組んで歌う姿はお父さんのソックリさん。
お父さんよりもいい顔をしてる。いや、ボビーも若い頃はあのような甘いマスク
と容姿だったのかも。だって当時はテレビ放送は日本では見られないし、ビデオ
だってなかったんだから。私の愛したボビーは歌と歌声だけだったのだ。息子の
ロブの艶のある声はお父さん譲り。「キミだって、やる気になればポーリッシュ・
プリンスJrになれるさ」と励ますパパ・ボビーのやさしいまなざし。ボビーは若い
頃「ポーランドのプリンス」と呼ばれていたそうだ。どうやらこの家族、ポーランド
からの移民だろうと推測できる。
ラスト・イニングに入った<サンライズ・サンセット>あたりから郷愁の境地。
どんなに苦しいことも悲しいことも、家族の絆の強さは何ものにもかえられない、
と愛のぬくもりを熱唱する。そしてフィナーレの<愛のメロディー>。哀愁をおびた
美しいメロディーとスケールで、ピシャリとしめくくる。心優しい暖かさとぬくもり、
家族の絆の強さにあらためて感激した。
最後にひとつだけ疑問に思ったのは、奥さんはなぜ出てこないの?ということ。
ボビーも結婚30年と言っているのに。私は、20年ほど前のボビーの来日公演の
とき、彼と屋形船で東京湾クルージングをしたことがある。そのとき、本命を落とす
には外堀から切り崩せとばかりに、奥さんとばかり話しをしていた。「<ミスター・
ロンリー>の頃のGI時代は私とラブラブだったのよ」という裏話もあの時奥さんが
明かしたもの。* それはさておき、「家族」が崩壊しつつある今日の社会、嫌な
事件ばかりが報道されているが、そんな今日だからこそ、このDVDは多くの人に
見てほしい。そしてファミリータイズというものを味わってほしい。(文・菅沼正子)
*奥さんのドリーはこの時期、劇場の売店を経営していてステージには登場しな
かったし、次男のクリスも劇場のマネージャーでやはりステージには出ていない。
菅沼正子さんのProfile
映画評論家。静岡県生まれ。著書に「女と男の愛の風景」「スター55」「エンドマーク
のあとで」。NHKラジオ深夜便で「思い出のスクリーンメロディ」を2002年から2005
年まで担当。
菅沼さんを最初に知ったのは、「毎日グラフ」の記事で、1987年の来日
公演の模様を写真をいれてレポートされているのを偶然,発見したことにはじまります。
ボビーの大ファンであるということで、今回,原稿を書いていただきました。
<Bobby Vinton Live : Songs from my
heart>鑑賞記
鈴木道子(音楽評論家)
ボビー・ヴィントン,最近懐かしい歌声がテレビCMで流れているが、1960年代に
ヒットやレコードを盛んに出していたシンガーたちは、今も健在で見事な歌声を聴か
せてくれている人たちが少なくない。中でもビング・クロスビー、フランク・シナトラの
流れを汲むクルーナーたちは、気張らない声の出し方も、長く現役を続けている。
歌手仲間の憧れの的ジョニー・マティスはじめ、アンディ・ウィリアムス、ボビー・
ヴィントン等はその代表的な歌手といっていい。
今回計らずも2002年3月にアメリカでテレビ放映(PBSチャンネル)された
"Bobby Vinton Live, Songs from my heart"(ブランソンのブルー・ヴェルヴェット・
シアターのライヴ)のDVDを見て、彼の健在ぶりがことのほか嬉しかった。懐かしさ
だけでない衰えを知らぬ彼の歌のうまさと、ファミリー・ショウ的な心温まるステージは、
彼の優しい人柄もうかがえて、観るものをほんわりとした気分に包み込んでしまう魅
力に満ちていた。
ボビーのことを、アンディとともに盛んに書いていたのは、もう40年前のことになる
から、なじみの顔は青年ボビー。そんなこともあって、最初はオジサン(おじいさんで
はありません)になった彼に、別人を見る思いがしたが、慣れてしまえば面影は残っ
ているし、往年のスウイートな声の艶こそ失われているが、相変わらずのいい声。
「Mr.ロンリー」の高音もちゃんと出る。滑らかな歌声はそのままに、歌のうまさが
快い。
『ウエスト・サイド物語』の「トゥナイト」を下敷きにしたオープニングもよく、すぐに
「涙の紅バラ」や「ブルー・オン・ブルー」をくりだしてファンを喜ばす。自分のシアター
を持って常打ちを重ねているエンターティナーの手馴れたステージ構成だが、80才
近い(?)ママが登場したのにはビックリ。しっかりした歌も達者なら、脚線美までご
披露してしまう芸人魂に感心。会場のSOと一緒に私も拍手を送りたい。こういうママ
からボビーは根性を受け継いでいるのだなあと思ったりする。また息子や娘たちも登場
して、ファミリー・ショウの和やかさを演出する。
ボビーのもう一つの呼び物は、多彩な楽器演奏者としての一面だろう。学生オーケ
ストラのリーダーとしてデビューしただけあり、グレン・ミラー・スタイルのオーケストラが
彼自身に因んで「ぺンシルヴェニア6500」を演奏した後、ボビー自身がトランペット、
サックス、クラリネット・ソロなどをバンドをバックに披露。お愛嬌でない本職の腕前で
楽しませる。ダンサーたちも彩りをそえて、一大リゾート地を訪れる観光客をもてな
していた。大半はリタイア組みだが、若い女性たちの姿も見える。
曲目は「ブルー・ヴェルヴェット」の大ヒットは勿論、ロイ・オービソンの「クライング」も
よかったし、ショパンに因んだメドレーや陽気なポルカで雰囲気を盛り上げたり、家族
総出で『屋根の上のヴァイオリン弾き』の「サンライズ・サンセット」を歌ったりと多彩な
音楽で楽しませる。また、客席に分けいって親しく交流するなど、家族的な雰囲気に
満ちた暖かいショウ。日本にも熱心なファンが多いのだから、CMが流れている間に、
ボビーにはぜひ来日してもらいたいと思った。
鈴木道子さんのプロフィ−ル
日本における女性ポピュラー音楽評論家の草分けの1人として今日まで数多くの
アーティストのアルバムのライナー・ノートを書いておられる。ボビーもその内の1人
で手元にあるボビーの日本盤LP6枚に鈴木さんの署名が見られる。おそらく、日本
で一番ボビー作品のライナーを書いた評論家といえるだろう。1964年にでた
「ブルー・ファイアを歌う」(エピック PS6014)のライナーのなかで「ミスター・ロンリー」
について「ジョニ−・マティスをほうふつとさせます。」と述べられ早くからジョニ−・マティ
スの影響を見抜いておられたのが1番印象に残っている。事実、筆者が彼の劇場で
”好きな男性歌手は?”という問いに対し彼は、迷わず”Johnny
Mathis"と回答した。
近著は「アメリカン・ミュージック・ヒーローズ」(ショパン 2005)で訂正箇所があり
近々、再版されるとのこと。その他に訳書も多く「サッチモ〜ニュー・オリンズの青春」
「ボブ・ディラン」などがある。
最近は,Barbra Streisand, Joni Mitchell
に傾倒しておられボビーにごぶさた気味
のご様子で今回、最近のボビーを知っていただこうという趣旨でDVDを鑑賞していただ
いた。
編集後記
今回、"Bobby Vinton Show"の1部が入手できたので、特集を組みました。
ボビーのパフォーマンスの箇所だけをまとめたDVDが発売されないかなと
期待したいるのですが、それだけでも充分,鑑賞にたえうるいい作品になる
と思います。
<Bobby Vinton live: Songs from my heart>については前号に続き素晴
らしい原稿をいただきましたので、掲載させていただきました。是非、このDVD
が日本でも発売されるのを願うばかりです。
まもなく映画「ミスター・ロンリー」(監督ハーモニー・コリン)2007年度作品
が日本でも公開されます。監督がボビーの「ミスター・ロンリー」を気に入って
いるのが、この映画誕生につながったようで、これでますます「ミスター・ロン
リー」がより人気曲となるのは間違いないでしょうし、それ以上にボビー・ヴィ
ントンという素晴らしい歌手の再評価につながればありがたいのですが、、、
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