第5回  少年法と死刑
 
 光市の母子殺害事件は、ついに13年の長きにわたった最終の結論がでて、一般のわれわれを安堵させた。
 つまり、当時少年だった被告といえども、改悛の情は見られないとして、弁護側の上告を棄却し、死刑が確定したのである。

 法の正義がここにようやく結実したものであるが、この長さはいかばかりだろうか?これほど長くかける必要性があった理由がよくわからない。
 この事件については、この「つれづれ」でも何度か取り上げてきた。→@A
 根底にあるのは、「被告が犯行当時、何歳であろうとも、罪の重大さに見合った刑罰は必要であり、少年だから/更生の可能性があるからといって、いたずらに刑を軽くするのは間違っている」という点である。
 実は、「当時少年だったから死刑にならなくて済む」と考え、実際2審までは無期懲役でいけていた。ところが最高裁で差し戻されると、突然被告側は、「殺意がないと言い張っていた」という主張を展開し始めた。これが「命乞い」に映ったことは誰の目にも明らかであり、それは確実に「死刑回避に動き出した」弁護側の戦術の変化であり、そうまでして被告を生かせたいという苦肉の策といえた。
 しかし、この作戦は裏目に出た。「罪に対する反省をしていない」と看破されたのだ。結果として、彼は死刑になることを弁護団に後押しされた格好である。皮肉なものである。
 
 実名も取りざたされているが、死刑が決まった=もう娑婆に出てくることはないからといって急に名前を出すのはいかがなものかと考えるのである。本来であれば、報道姿勢は一貫性を旨とすべきであり、死刑確定だから、名前出してもいいだろう、と判断する今の新聞社の、浅薄な考え方には賛同しかねる。そもそも実名などはどうでもいい話であり、そこが知りたいわけでは到底ない。

 刑は固まった。冤罪でもない。この上は、「6ヶ月以内」に粛々と刑を執行してもらいたい。それくらいやってくれないと、本当に民主党・政府を支持する層はいなくなってしまうかもしれない。
 


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