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2007年度社団法人 南長野青年会議所 理事長 小坂 浩一
  <はじめに>

今すべきことは何か。この時代に生まれた一人の人間として、自分達が、置かれている状況をどう受け止め、そこに何を想い、次に自分自身がとるべき行動をどう決めたらよいのか。未来に対して、どんな夢を描いたらよいのか。何もかもが簡単に見つからず、複雑になってしまった難しい時代。その時代の真っ只中に私達がいる。

国家、社会、街を語る前に、まず自分達を語ろう。

かけがえのない自分の家族や友人達、近所の人たちや子供達とどんなふうにこの街で暮らしていきたいのか。その想像力を豊かに持つこと。まずそこから始めよう。国家を語り経済を語るより、もっと大切なことだ。なぜなら国があって、私達が存在するのではなく、私達が存在してはじめて成り立つのが国家なのだから。


  <豊かさについて>

井戸から地下水を汲み、山でたきぎを拾い、かまどにくべてお米を焚く。畑でとれた大豆からみそをつくり、その家ごとに代々続くみそしるの味があった時代。

初夏には、小麦の収穫。その脱穀は夕闇までおよび、あたりを蛍が飛び交う。子供達はその蛍をつかまえ蚊帳(かや)に放し、夜はそのほたるが放つ、光のまたたきを見ながら眠りにつく。古きよき時代の日本の風景ではあるが、注目すべきはここにお金が登場してこないこと。「買う」という行為が見当たらないこと。それに対して今は、お金があればなんでも手に入る時代。だが、逆に言うと、水さえもお金を払わなければ飲めない時代。

昔は貧しかったというが、その代わり、お金に人の暮らしが束縛されることはなかった。本当に昔は貧しかったのだろうか?考えれば考えるほど、次第になんだか、自由でとても豊かな暮らしに見えてくるのは、私だけはないはずだ。

人の暮らしは、お金があるから豊かなのではなく、人が生きていくために行う営みそのものに、豊かさがあるのだということを、私たちはもう一度、過去の暮らしから学ばなければならない。今の世の中の貧しさは、すべてのことがお金を通してしか得ることができなくなってしまったという生きる手段の貧しさにある。食べ物も、着るものも、子供の遊び道具さえも。


  <本来の祭りを取り戻す>

私達が本来手にすべき豊かな社会とは、お金の束縛から逃れ、単に人として生きていく為の手段を豊富に持つことなのだ。外で元気に遊ぶ子供たちは、次々に新しい遊びを創造し、大人も子供も、明日の糧を育てることに汗を流す。うちの子もよその子も、みんなが、かけがえのない大切な存在であることが実感できる世の中。そんな世の中で、私たちが行う祭りは、ただのお祭り騒ぎではなくなり、五穀豊穣を神と自然に感謝する本来の祭りとなる。


  <綱領の実践>

自分たちの未来も、自分たちが暮らしていく社会も、作り、考えて決める権利を私たちは持っている。青年としての英知と勇気と情熱をもって、南長野青年会議所伝統のかがり火の精神のもと、私たちが暮らすこの場所に、私たち自身の考え方にもとづいた、明るい豊かな社会を示そう。

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