「私の体験的ノンフィクション術」/佐野眞一/2001年、集英社新書

 この手の本では、立花隆「知のソフトウェア」以来の感動を覚えた。これは記者・ルポライター必読の古典になり得る本だと思う。「ノンフィクションは小文字の文芸」との持論には納得である。
 早大文卒、出版社、業界紙出身、PCは一本指操作。というと絵に描いたような古臭いマスコミ人を想像するが、佐野はその枠内での、スーパー正統派ノンフィクションライターである。7歳年上の立花隆がインターネットを使いこなし世界中の情報を駆使する(つまり枠外)時代だが、佐野は純和風を保つ。だからこそNHKにも出るし、作品は国語の教科書にも採用される。

 特段、権力監視を使命とする訳でもなく、自身でもジャーナリストという言葉は使っていない。愚直に歩き、見て、聞いて、事実を積み重ね、背後にある大きな時代や真理を描き出すノンフィクションライター。効率性やカネ儲けなどは関係ないと言わんばかりで、それだけに、いい仕事ばかりしているな、と尊敬の念が生まれるのだろう。そこには、政治的意図や市民活動家の側面は全く見られない。立花隆のように抽象的な未知の真理(宇宙や脳)を探求するため文献にあたり専門家に会い、といった座学系ではなく、興味の対象はあくまで人が中心で、とにかくフィールドワークをベースとした徹底的な現場系だ。その点では本多勝一に近い。仮説を立て、とことん取材し、検証していく。絶滅寸前の貴重な人種と言えよう。

 ただ、ノンフィクションライターという仕事が、このような希有な人、つまり経済的成功などどうでも良い奇特な変人だけに許された仕事ではいけないと思う。コマーシャリズムとジャーナリズムが両立される仕組みさえ作ってしまえば、一般的に認知される普通の職業になり得るのであり、読者のために良い仕事をした人が良い生活ができるという正常かつ当り前の市場原理が働くのだ。それを妨げている障害(再販など経済的規制やマネジメントノウハウの欠如、新規参入意欲のなさ)を取り除けばよい。そのような社会は、民主国家にとって健全である。その時こそ、この本に収められたノウハウは活かされるだろう。

 早大文卒ルポライターという点では38年生れの鎌田慧と似ているが、佐野には市民運動臭が全くない。また、同年(47年生れ)の沢木耕太郎といい、46年生れの猪瀬直樹といい、「団塊の世代」であり、同世代内競争が激しい一方、就職活動時に大学紛争真っ最中という「時代」が生み出した「異端」とも思える。この3人は、ともに大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞しているが、3人とも方向性が異なり、独自の世界を築いている。さて、そのジュニアにあたる我が世代は、同じように世代内競争は激しかったが、大学では学生らしい反骨精神のような空気は綺麗サッパリ消え去っていた。年金もろくに貰えなければ、団塊の世代が作った借金も返さねばならない(国債の償還)。本来はこの不公平に対し剥き出しの世代間闘争があって然るべきであるが、至って大人しくそれが運命と言わんばかりの無気味な静寂を保っている。そのような中から、果たして、どのような人材が生まれてくるのだろうか。(2002年3月)→「書評」に戻る

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 宮本の姿勢には、その頃ちょうど読みはじめたファーブルの「昆虫記」に通じるものも感じた。‥「誰が本を殺すのか」のなかにも書いたが、本は遅効性のメディアである。冷や酒のようにずっとあとになってから効いてくる。

 ‥宮本は日本の村という村、島という島を回り、七十三年の生涯に合計16万キロ、地球をちょうど4周する行程をほとんど自分の足だけで歩きつづけた男である。その旅はのべにして4000日にも及んだ。 

 ‥司馬遼太郎が最も畏れた日本人が宮本常一だったということを知る人は少ない。

 ‥日本におけるルポルタージュの草分けは、明治年間、東京の下層社会に入り込み、その世界を克明に報告した松原岩五郎の「最暗黒の東京」(岩波文庫)や、横山源之助の「日本の下層社会」(岩波文庫)などの社会派作品といわれる。
 ‥大学ノートに宮本独得の小さな文字が横書きのカタカナでびっしり書かれている。カタカナはひらがなに比べてくずしようがないため読みやすく、メモをとるには最適である。

 ‥たった1人生き残った開拓漁民の梶田富五郎に会ったとき、宮本は富五郎の話を一言ももらさず記憶にとどめ、近くの宿に帰って、頭に刻み込んだその記録を一心不乱に書き留めた。宮本の取材方法はいつもこうだった。話し手の前に突然ノートを開けては、相手は絶対に本当のことをしゃべってくれない。長年の旅の経験で宮本はそのことを骨の髄まで知っていた。それでいて相手の語り言葉は宮本が文字化すると、正確をきわめた。‥私には宮本のような才能は到底ないが、宮本にせめてあやかって、取材メモはなるべくとらないようにしている。メモをとる場合は、せいぜい日時と固有名詞くらいにとどめ、あとは記憶にできるだけ叩き込む。日時や固有名詞も本当ならとらない方がいい。トイレに行くふりをして席を外し、マッチ箱や紙ナプキンにメモすれば、大事なことも忘れないですむ。もちろんメモをとらなかったがゆえに相手の話を忘れてしまうこともある。しかし、私からいわせれば、忘れるようなことは実は大したことではない。ノンフィクションライターにはそれくらいの「見切り」も必要である。相手のある取材で最も重要なことは、相手に話の流れをつくらせることである。取材は警察の取り調べでもなければ、検察の尋問でもない。相手の話を引き出すという行為は、いうなれば、川下りの船頭の操作に似ている。基本的には相手の流れにまかせ、ポイントに差しかかったところで、棹を入れてコントロールする。

 ‥あなたの作品を読むと映像が目の前に浮かんでくるようだ。そんな過褒の言葉をもらうことが時々あるが、それはこのときの体験がバックグラウンドにあるからかもしれない。まず自分の頭のなかで書くべきものを一度映像化し、それをシナリオのように言語化する。この基本的流儀は学生時代のシナリオづくりからいまもかわっていない。

 ‥私は戦後ルポルタージュの傑作をあげろ、といわれたとき、あの泡立つような東京オリンピック前後の世相を描破した開高の「ずばり東京」(朝日新聞社、現在文春文庫より刊行)を、ためらいなくあげる。人物ノンフィクションでは、文士たちの素顔をあますところなくスケッチした同じく開高の「人とこの世界」(河出書房新社、現在中公文庫より刊行)である。

 ‥前にも述べたが、私は「小文字」だけで「世界」を描くことがノンフィクションの最大の要諦だと思っている。それはいいかえれば、相手の「語り口」だけで「情景」を浮かび上がらせるということである。地の文はあくまで「台詞」を浮き立たせるためのもので、なるべく簡潔な方がよい。

 最初はデモにも積極的に参加したが、組織幹部の官僚的な体質や、まもなくやってくる内ゲバの季節の予感から、運動とは一定の距離を置くようになった。そんな状況で学生時代を過ごしたので、有名企業につとめようなどという考えは、はじめからなかった。企業の方でも、授業にほとんど出ず、好き勝手な学生生活を送った男の採用など毛頭考えていなかったろう。

 ‥当時の私の心象風景を知って貰うためというよりは、ノンフィクションのテーマは、外部にあるのではなく、生きる過程で自分のなかにマグマのように溜まってきた名状しがたい感情のなかにある、ということを知って貰いたいからである。その感情に言葉で何とか決着をつけることが、私のもの書きとしての出発点となった。

 ‥いうまでもないことだが、「取材」とは「発見」であり、その「発見」がまた新たな「取材」行為を生み出し、事実をさらに深化させてゆく弁証法的な足取りのことである。

 ‥「いいテーマ」とは、テーマ自身が時間とともに成長していく課題のことである。それはともかく、ダイエーという当時あまり実態を知られていなかった企業を取材するに際して、私は、よくある企業モノと差別化するため、売上高や経常利益といった経営の指標を示す数字は最低限しか使わないようにしよう、と思った。そのかわりに誰にでもわかる「小文字」の世界でこの巨大流通帝国の実態を描くこと、それにこれまでダイエーが誰にもみせてこなかった密室を覗いて読者に報告すること、その2つを心に決めた。その狙いの一端は、それまで一切公開していなかったダイエー研修センター、通称スーパー大学に三拝九拝して泊り込んだときの取材ルポを読んでもらえば、わかってもらえるだろう。
 
 ノンフィクションを書くにあたって最も大切なことは、まず自分なりの「仮説」を立てることである。‥警視庁を失職した正力を拾ったのは、時の内務大臣の後藤新平だった。それではなぜ後藤は正力を助け、読売新聞に送り込んだのか。当時、後藤は朝日新聞と険悪な関係にあった。朝日は後藤をさんざん叩き、その余勢をかって白虹事件というジャーナリズム史上有名な筆禍事件まで引き起こした。白虹とは中国の古典などにみられる文言で、内乱の予兆を意味する。大正デモクラシーの勃興は、革命を煽動するがごとき言説を新聞に許すまでに熟していた。新聞のこうした台頭は、権力側にとってきわめて危険なものに映った。その代表格が後藤新平だった。自分の意のままにコントロールできる新聞をつくりたい。そう考えていた後藤にとって、警視庁で辣腕をふるってきた正力が浪人となったとの報は、願ってもないチャンスだった。その送り込み先として白羽の矢を立てたのが、読売新聞だった。当時の読売が赤字経営で屋台骨が揺らいでいたことも好機だった。後藤は正力に資金を提供して読売を買い取らせ、後藤の意を受けて読売に送り込んだ正力は、読者の目を政治からそらす、大衆娯楽紙に読売を仕立てあげていった。囲碁や将棋はいまはどこの新聞にもあるが、こうした娯楽レジャー面を最初につくったのは正力だった。日本初のプロ野球球団・読売巨人軍をつくったのも、ひとえに読売拡販のための正力の戦略だった。こうして、正力が乗り込んだとき発行部数は10万部にも見たず、インテリたちからはイエローペーパーと蔑まれていた読売は、世界一の発行部数を誇る新聞への道をひたすら驀進していった。‥正力を描くことによって日本におけるメディアの大衆迎合性(ポピュリズム)が描けるのではないか、それは日本の大衆がたどってきた軌跡を描くことにもつながるのではないか。

 ‥ある意味で金銭の苦労以上に苦しいのは、孤独との闘いである。「巨怪伝」のような長い書き下ろしの仕事に入ると、ノンフィクション作家の生活は島流しにあった囚人同然になる。誰も読んでくれないかもしれない手紙を空瓶に入れて無人島から流すような生活が延々と続く。

 ‥大宅文庫の存在はたしかに有益だが、私は情報の「あたり」をつけるライブラリーと考えており、大宅文庫で検索した記事をそのまま引用することはほとんどない。‥私はノンフィクションとはどれだけ無駄を重ねられるかで作品の質が決まる文芸だと思っているので、そのことはあまり気にしない。宮本常一流にいえば、資料収集の過程でどれだけ「道草」をくえるかが、やせ我慢を含めての重要なポイントである。それに、大宅文庫でとった雑誌記事は必ずしも無駄にはならない。記事の内容の正確さはさておき、その当時のジャーナリズムが、当該の事件や人物をどうみていたかという点について、大いに参考になるからである。次の作業は、大宅文庫であたりをつけたものに別のスクリーニングをかけることである。人物情報に関して言えば、私の場合、日外アソシエイツから出ている「伝記評伝全情報」を使う。これには主だった人名が50音順に出ており、その人物についてこれまで書かれた評伝類が網羅されている。これを使って、主だった登場人物について書かれた単行本をすべて抜き出す。‥次に待っているのは「資料批判」というプロセスである。膨大な資料を1つ1つつきあわせていくと、必ず矛盾が出てくる。‥今度はいよいよ当事者情報である。関係者に実際にあたっていく作業で、ふつう「取材」といわれる行為が、これにあたる。しかし私からいわせれば「取材」行為は、最初の「仮説」をたてることからすでにはじまっている。

‥ノンフィクションは追いかけっこの要素を多分に含んでいる。生き証人がいるうちに会わなければ、その証言は永遠に消えてしまう。キーパーソンを見つけたら、とにかく駆けつけて話を聞く。ノンフィクションライターには、何よりもまず、このフットワークの軽さが要求されている。

‥どうしてそんな重要なネタを握っている人に次から次へと会えるんですか。そんな質問をよく受ける。しかし結論からいってしまえば、生きた人間へのアプローチについては秘訣もなければ王道もない。1人の人間を訪ねる。話を聞いて取材が終わる。そのあと私は必ずこう尋ねることにしている。「あなた以外にこの点についてご存知の方はいないでしょうか。もし心あたりの方がいらっしゃったら、申し訳ありませんが、紹介状を書いてもらうなり、連絡していただくことはできませんでしょうか。それが無理なら、連絡先だけでもお教え願えないでしょうか」こういって断られたことはいままで一度もない。‥「巨怪伝」の取材でこうして会った関係者は2百人近くにのぼった。

 ノンフィクションで最も重要な作業と私が考えている「構成」の問題について、できるだけ詳しく述べていくことにしよう。私はノンフィクションをつくるには、3つの大きな塊りがあると思っている。1つは「取材」という塊である。これまでに述べてきたことでもわかるように、「取材」とは、単に関係者に会って話を聞くということではない。「仮説」から出発して「文献」を漁り、実際に関係者に会うまでの流れ全体が、私にいわせれば「取材」である。2番目が、これから述べる「構成」という塊である。そして3番目が、「執筆」という塊である。このうち、一番苦しく、挫折の恐れが最もあるのが、この「構成」という工程である。

 ‥ノンフィクションライターの力量とは、けだし、「仮説」が「事実」によって裏切られた時点でひき返してしまうか、それとも、それらを新しい「謎」として受け止め、さらなる「事実」追及に向かって自分を鞭打てるかどうかの差である。いずれにせよ「取材」には、いま日本でこの「事実」を知っているのはオレしかいない、という喜びが必ず間歇的に湧いてくる。しかし、2番目の「構成」には、そうした喜びはほとんどないといっていい。‥「取材」した成果をただ並べただけでは「ぶどうジュース」にしかならない。それを手で揉み、足で踏んで「熟成」させることで、はじめて「ワイン」が生まれる。この作業は文字通り肉体労働である。

‥中国では昔から、霊感がやってくるのは馬上、○上、枕上というのが通り相場になっているが、私の場合、さしずめ「輪上」ということにでもなろうか。

‥鉄棒にたとえていえば、ノンフィクションには大きく分けて「順手」と「逆手」の2つの手法がある。‥そのテーマについて書かれた文献資料があるかないか、その違いにあるというのが私の認識である。
 
‥場合によってはプライバシー侵害の訴えが起こされるかもしれない。しかし、自分がそうした状況にいつさらされるかもしれないことを覚悟し、表現の自由について悩み続けることが、もの書きたる者の矜持であり、最低の条件であると私は考えている。朝日新聞は事件発生当時、彼女の顔写真まで載せながら、東電の圧力を恐れたからなのか、しばらくするとこの事件を「電力OL事件」「渋谷OL事件」という呼称で報じるようになった。これでは「電波少年」と同じではないか。こういうまやかしこそ彼女の尊厳を傷つけることに彼らは気づいていない。

‥企業を取材する際はいうまでもなく、個人を取材するときも登記簿の閲覧は重要な情報源となる。目的欄を閲覧することで、その企業を本当に牛耳っている影のオーナーがみつかることも少なくない。

‥私が当初から抱いていた疑念は、ゴビンダに有罪判決を言い渡した裁判官個人の過去の履歴を洗って、確信にかわった。彼は、若い頃青法協運動に参加していた「アカい裁判官」だった。エリート裁判官コースに進むにあたって、司法当局が差し出した「転向」の踏み絵を彼は間違いなく踏まされたはずである。それが「逆バネ」となって、検察側に歓迎される判決をいつも書いてきたのではないか。それではゴビンダの再勾留措置を決定した判事はどうか。驚くべきことに、彼は14歳の少女を買春して児童買春禁止法違反容疑で警視庁に逮捕され、つい最近、懲役二年の有罪判決を受けた上、法曹資格まで剥奪された男だった。殺された東電OLの深深としたまなざしは、「司法の闇」という一見もっともらしい言説を突き抜けて、裁判官たち個人の薄っぺらな「心の闇」まであぶりだしてしまった。私がノンフィクションをやめられないのは、トンネルを抜けて向こうの青空がみえるようなこういう瞬間を何度も経験してきたせいである。

 誰にでも電話をかけてくるブッチホンの小渕のことだから、インタビューの申し込みの手紙を出せば、ひょっとすると直接本人から電話がかかってくるかもしれない。ダメモトでやってみるだけやってみるか‥‥。この恐いもの知らずの戦法が結果的に功を奏した。‥現職総理に記者クラブ以外の人間がインタビューするのは、あとにも先にもまったく例がなかった。

 取材とは、世間に流布されているイメージに疑いをもつことからはじまる。
‥井上ひさしがいっているように、「難しいものを易しく、易しいものを深く、深いものを面白く」書くのが、もの書きたる者の王道である。それがどんなに困難なことであるにせよ、もの書きたる者はそれをひそかな目標にしなければならない。

‥「日本のゴミ」(ちくま文庫)というルポルタージュを書いたとき、「業界用語」は一切使うまいと決意した。ここでいう「業界用語」とは、市民運動家たちがよく使う「地球にやさしい」とか「ゴミゼロ社会をめざす」とかいった一見口あたりがよく、その実、何もいっていないに等しい政治的スローガンのことである。‥われわれは「運動家」ではない。もの書きとして忘れてはならないことは、ややもすると独善的なエコロジー運動に陥りがちな市民運動家のようにゴミを一方的な忌避の対象として考えるのではなく、ゴミは「面白い」という観点をもつことである。‥商品経済の流れの最川上に、商品の生産過程を置き、その商品が流通、消費のプロセスを経て廃棄される段階を最川下とする。その川を最川下の河口から最川上の水源まで遡ってみたとき、日本の経済社会の構造がありのままの姿をさらけだしてくるのではないか。‥川上から川下まで、「串刺し」にするという手法は、あとから述べる「だれが本を殺すのか」でも使った。

‥いうまでもないことだが、「事実」を提示することで「批評」とする方法は、ノンフィクションがもつ最大の武器でもある。

‥ノンフィクションの要諦として、よく「神は細部に宿りたもう」という言葉が引き合いに出される。大筋からみて一見関係のない話、誰も見向きもしそうにない話をどれだけ集め、それを全体のなかにどうちりばめていくかが、私が持論とする「小文字」で書くということの具体的な意味である。それは宮本常一の父親が宮本に贈った「人の見残したものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがある」という言葉にも通じる。

‥「みたことがない」ものは書かない。これがノンフィクションであろうと何であろうと、文章を書くときの鉄則である。

‥これまで述べてきたことを私なりに整理していうと、@自分だけの視点を持つことA独自の切り口を見つけることB埋もれていた人物を発掘すること、この3点がノンフィクションの最重要要素ということになる。

‥江副が父親のことをあまりにも頑なに語ってこなかったからとでもいうしかない。強い沈黙の背後には必ず人にはいいたくない何かが隠されている。これはカンというよりは、私なりの経験則だった。

‥ノンフィクションを書きつづける最大の原動力は、やはり、自分のなかに生まれるモチーフの内発的衝動の強さである。他人がなんといおうが決して降ろさない志の旗の高さである。中内功と彼が創業したダイエーをテーマとした「カリスマ」は最初の取材から数えれば20年がかりの仕事だった。途中、中内から名誉毀損で訴えられながら、これだけ長い時間持続することができたのは、中内ダイエーに対する私の思いがそれだけ複雑で深かったからとしかいうほかない。

‥読者からの批評は「本」を成長させる何よりの栄養素となる。生まれたばかりの「本」が、こうした過程を経て一人前の本になるまでには十年はかかる、というのが荒戸の言葉に共感した私の持論である。前にも述べたように、本はきわめて効き目の遅い、しかし一度効いたら激烈な影響を読者に与える「暴力的」なメディア である。