突然ぢゃが、ちと「まつり」が寂しいによって(寂しくしてゐるのはお前ではないかッ(^^;))、賑やかしに一筆参らせ候。これはある違乱人の実話を材料にしたるところの、みすみどの怖がる"とびぃの質問"におでぁる。 それと言ふは、さる茶道雑誌のこらむに載するつもりにて稿を起こしてござあるが、その前に各位のお答へを頂戴したく、かくは相成ったる次第。 そのお方が日本語の習得を始めたる時期に、友人の結婚式の写真を見て「カワイソウデスネ」と言ひました。但し、彼は"結婚は人生の墓場なり"なんどのつもりにてかぅ言うた訳ではありませぬ。 されば借問す。実際はどのやぅなことを伝へたぅて言うたるものでありませうや。またかかる言ひ誤りの起きたる原因は那辺にありや。 吾と思はうお方も思はぬお方も「RE:カワイソウ」のへっだにて、気隨にお答へ召されいかし。 98/ 2/23_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")
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きゃーっ、こわいっ。こんなところに質問が増殖してる!(笑) 早いところ怪答を提出して楽にならなきゃっ!
<こたえ> ・・ほんとかなぁ?(^^; ☆み☆ mido@mth.biglobe.ne.jp ☆ど☆
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3歳半になるウチのムスメが1歳ちょっとの頃、実家の母が死にまして・・・ で、彼女が2歳になったばかりの頃のアタシの書き込みなんですが、
> おばあちゃんの写真見て、「いたい〜。ね〜んね。か〜いい」って言
> と妙な気がしていたけれど、この場合は「可哀想」のつもりだったの
その違乱人さんは、「可愛い」に、楽しそうとか嬉しそうの「そう」を付 けたんでっしゃろか・・・?
「美しそうな人ですね」みたいな感じ。「可愛らしそうな人」か・・・ ムスメの場合は、「そう」が抜けておったらしいが
宦@☆ミ |
ぢいどのいやさとびぃどのおかえりなされませ。 日本語しか話せない分際で違乱紳士の日本語を取沙汰するのはいささか気が引けますが、ご出題の一件。 違乱紳士は写真を指して「可愛らしい(花嫁)ですね」と言ったようです。「らしい」形を思いだす過程で、同じ推量の語群から「そう」(面白そうなど)が先に出てしまったのでしょう。 われわれが「可愛らしいですね」と(花嫁)を省略して形容詞を形容動詞化して使いますが、正確ではありません。違乱紳士の「可哀想ですね」は、形容動詞を正確に使っていて申し分ありません。 形容動詞は品詞に数えない説もあって面倒なものですが、形容詞を形容動詞化して使うことがままあってやはりそれは耳に障ることがあります。「面白いです」などと言うのがそれです。この場合、語尾に「ね」とか「な」とか同意を求める終助詞を添えると落ち着いてしまうことも不思議ですネ。 本題と関連する質問ですが、ある在日の女性が「奇麗わ」と言いました。「奇麗だわ」の「だ抜け」なんですが、このほうが音声が美しいので周囲も正さずにいたのでしょう。私も同感です。この語形の生まれる法則性がありますか。 海砂
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みすみど・卯舟御前・海砂大将のお三方より早速のお答へを賜り、忝なぅ存じまする。本題の方はまちっと店晒しにさせて頂き、派生したる下記の案件につきれす致しまする。
> 本題と関連する質問ですが、ある在日の女性が「奇麗わ」と言いました。 歴史的に見れば、日本語の本来の形容詞の数は極めて少ないといふ特徴がござあり、ために形容動詞にはこの欠を補ふ任務が課せられ来たといふ事情がござありまする。 キタナイ(あるいはミニクイ)の対義語の役割は、現代語にてはお示しの形容動詞キレイダが果たしてをりまする。しかるに、形容動詞は元来語幹に相当する名詞にダ(文語はナリ)を接続させて生まれたるものにて、「わぁ、キレイ」・「キレイねぇ」なんどやぅに、語幹のみを独立させて用ゐることが珍しくありませぬ。 しかるに、このキレイといふ形は、語尾にイの形を持つ点においてキタナイとはまさに好一対。これが本来は漢語であることを忘れさするほど、現代の日本語に溶け込ぅでをりまする。お示しの在日女性の用ゐたるところの「キレイわ」といふ表現は、まさに「キタナイわ」との対比より類推的に生まれたる形にござありまする。 ト、すれば、早晩キレイのイが活用語尾として動き出すは火を見るより明らかにて、「キレ(ー)カッた・キレ(ー)クなる・キレ(ー)クない」なんどの活用形が登場する(あるいはすでに登場してゐる)は当然の理にござありませぅ。 これを日本語の乱れなんどいふ規範より単眼的に批判するは、言語の生命の面白さには気付かぬお方の所業にござありませう。 塔婆守
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