連 句 入 門

上級編




  【16】 人情の区別(★★)


自他場の原則として、
 1.人情の句は2句以上続けなければならず、人情無しの句(場の句)は2句までは
   続けてもよいが、それ以上は続けない。
 2.自なら自を3句は続けない(3句続くと観音開きつまり輪廻になる)。

●人情自

[私または私が扮する人物]が登場し他に人物がいない情景が、人情自です。

        種芋や花のさかりを売りありく    翁   

詠者は種芋売りに扮して<売りありく>ので、人情自になります。他人を含んだり匂わせたりしない自分だけを表現するものです。

●人情他

[私]以外の人物が登場する情景が、人情他です。詠者の[私]が居合わせているわけですが、関わりを持たない限り不在と看做すことになります。

        追たてて早き御馬の刀持    去来   

●人情自他半

 [私または私の扮する人物]と[他の人物または人物たち]が互に関わり合う
  情景です。

        碁仇をなだめて帰す十三夜     

●人情無し(場の句)

文字通りの人情なしで自然の叙景などが詠まれます。人情句が続くと、とかく重くなったり放縦に流れたりします。場の句で交わしたり引締めたりしますから重要な役割を担います。
    
        寂莫と参る人なき薬師堂    尚白   

寂莫であると嘆じている詠者が居合せているわけですが、これも不在と看做します。妖怪の類である幽霊や一つ目小僧などは人情なしと扱われます。



芭蕉一門が人倫句を連らねるようになって、その結果、貞門式目の人倫二句去りが空文化したので、後に蕉門の北枝によって貞門式目に替る「人情自、他、自他半、場の句打越を嫌」が案出されたものと考えられます。

意図するところは、人倫句が連なることを是としたうえで、単調を避けるための工夫であったわけです。

人情については判定の難しいものがあります。東明雅先生(『連句入門』の著者)は人情句の扱いに最も厳格な研究者ですが、その東先生が「人情については、三分の理があれば良い」と言っておられます。人情論議に熱中して肝心の句趣をおろそかにしてはならないとする戒めです。

縞(しま)と呼ばれる留意点があります。自、半、場、場、自、他、場、場と付け続いた場合、確かに打越には障りませんが、人情句2句、場の句2句が交互に現れることが、やはり単調な進行となります。


⇒ 次のページへ


  目次に戻る
  表紙に戻る