突発馬鹿企画第3弾「ネターズ地獄行きの旅行日記・海外編」前編
注:この旅行日記は、私が旅行中に記した日記から書かれたものです。
正直言って、まともな日記を書けるような環境ではなかったし、
また、逐一全ての出来事を記録するつもりもなかったので、
一部に事実とは異なる記述があるかもしれません。
  ですが、この日記の内容は『ニンフィ』のセリフを除いて90%以上の精度で
ノンフィクションであると言いきれます。
  っつーか、実は第2弾の注と全く同じなんですが。
こんてんつ
「同行者リスト」(すぐ下です)

0日目・西暦2002年2月28日

1日目・西暦2002年3月3日

2日目・西暦2002年3月4日(日本では3日)

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同行者リスト
(第2弾の同行者リストにいた人物と同一人物がいますが、名前は変えてあります)

・『熊に萌える』Steven:っつーか、私の事です。このHPの管理人です。
 

・『幼児に萌える』gob:最近は、あまり幼児萌えとか叫ばない幼児萌えの変態。
 

・『テンガローンに萌える』黒生:今回の旅行でテンガロンハットを購入。
                                          そのせいで、私に激しく絡まれることになった悲劇の男。
 

・『ロボに萌える』ORE:今回の旅行の発起人にして幹事。
                              ネターズにしては珍しくネタ的行為を嫌うまともな人。
                              だが、極度のロボ萌えゆえ、逸般人と化している。
 

・『犬猫に萌える』ニンフィ:今回もまたひっそりとついてきた見えない同行者にして、
                                   このHPの影の薄い受付嬢。

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西暦2002年2月28日
「おーばーびぎにんぐ」

  前回の旅行から半年近くが過ぎようとしていた。
(前回のは西暦2001年9月11日からスタートしたようです)
あまりにも平穏すぎる私の生活。
  この平穏がずっと続くものだと思っていた。
  もう、あの忌まわしい(?)ネタまみれの旅行で受けた心の傷(?)も癒えかけ、
そのまま何事も起こらずに私は一生を過ごすはずだった。
 
 
 
 

  なのに!!
 
 

  再びネタまみれの旅への招待状が私の元に届いた!!
この素晴らしき安息の日々を破るのは誰だ、と思ったら今回の幹事であり
計画発起人であるOREさんじゃないですか。

  というわけで、OREさんの緊急招集を受け、旅行の説明を受けに行ったのがこの日だったりする。
実際に話が出たのはもっと前だけど。既に全員パスポートの取得も終わってるし、
書類やら何やらも書き終わってたし。実に面倒だった。

  海外旅行など、一度中学か高校の頃に行ったきりだ。
もちろん、私は満足に英語など話せはしない。
不安要因はいくつかあったが、そんなことを気にしていると眠れなくなってしまう。
そういう事はなるべく考えないようにしていた。
  前回の旅行では残念ながらORE氏は参加できなかったが、
今回は「ネターズ」の4人全員そろっての旅行だ。
  どうせ今回の旅行でもろくでもない事が起こるに違いない、とこの時既に覚悟していた。

ニンフィ:「『ろくでもない事』って何のことなの?」

Steven:「い、いやぁ、誰かがパスポート盗まれるとか、

片腕一本ぐらいなくなるとか、場合によっては……。」

ニンフィ:「あ、あのねえ、戦場に行くんじゃないんだから。考えすぎよ。」

Steven:「でもねぇ、やっぱ、日本の常識が通じないとこに行くわけだし。

用心しても用心しすぎることはないんじゃないの?」

ニンフィ:「だからってねえ、それは妄想に近くない?」

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西暦2002年3月3日
「逃亡者」

  偶然だが、この頃日本は全国的にちょっと冷え込んでいた。
  寒さからの逃走、というわけだ(個人的には寒いのは嫌いじゃないけど)。
  前回の北海道旅行で手慣れているせいか、それとも幹事のOREさんがしっかりと
しきっているせいなのか、これといったトラブルに巻き込まれる事なく無事行きの飛行機に
乗り込む事ができた。
って、普通は誰でもここまでは何事もなくくるはずなんですよね
あまりに平穏すぎる旅立ちだっただけに、逆に不安が湧いてくるような気がしないでもなかったが。

  機内で、暇つぶしのためにポーカーをする。
私はポーカーなんてゲームの中でしかやった事がないので、役とかがさっぱり
分からなかったりするのだが、いわゆる「ブタ」になる人が殆どいない、というのが
異常事態である事に気付く事はできた。
  あまりにも運がよすぎるためか、やはりろくでもない事が起こる前触れか、
と内心びくびくしていた。

  ポーカーにも飽き、しばらくすると機内で「ラットレース」という馬鹿映画が上映され始めた。
周りの人間の6,7割は既に寝入っていたと思うが、私達一同は「ラットレース」に密かに盛り上がった。
  この映画があまりにも面白すぎたため、結局私は一睡もせずに次の日を迎える事になってしまった。
(っつーか、「ネターズ」は全員起きてたけど)

ニンフィ:「『睡眠が至上の快楽』といってはばからないあなたがよく眠らずにがんばれたわねぇ。」

Steven:「ほんと、ちょっとだけ自分で自分を誉めたい気分になったかも。」

ニンフィ:「ま〜、仕事してたわけじゃないし、そんなに偉くはないんだけどね〜。」

Steven:「それは言わんといて!」

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西暦2002年3月4日(日本では3日)
「越える者」

  誰か一人ぐらい気分が悪くなって吐き出す奴が出てくると思ったのだが、
そんなことは全くなく(っつーか、「ラットレース」で盛り上がり過ぎ)、
無事ホノルル空港にたどり着いた。
  しかし、眠いのに何故か外がやたらと明るいのには参った。
例の「時差」という奴らしい。眠いのに朝、というのは海外旅行ならではの異常な体験だと思う。
よほど眠かったのか、この日の私の日記メモには殆ど何も書いていないが、
そこはそれ、私の記憶を使って補完していきたいと思う。
  着いた時の第一感想は、「全然暑くない!」それだった。

  かなり眠かったのだが、寝ると余計に時差ボケがひどくなるらしいので、
無理をしてダイアモンドヘッドに行く事にした。
だが、多少時間が余っていたので、ダイアモンドヘッドの前に水族館に行ってみたりした。
何か「これは飲んだら体に悪いですよっ!!」と全身全霊の力を込めて
主張しているかのような毒々しい色のジュースを飲んだり
クラゲが楽しかったりした事ぐらいで、本当にごく普通の水族館だった。

  その後、私達はダイアモンドヘッドへ登る事になる。
ちょっとした思い出を作った後、私達は帰ろうとしたのだが
……帰りのバスがない!!
  これはネタになるのか!?と思いきや、待ち構えていたように
(っつーか、実際待ち構えていたに違いない)タクシーの運転手のオバサンが話し掛けてきて、
(もちろん日本語で。そうじゃないと分からないし)乗せてくれる事になった。
乗る時点で、絶対ぼったくりに違いないと思った私やORE氏は人を見る目がなかったようだ。
ただのいい人だった。といっても、もちろんお金はきっちりと取られたが。
まあ、その報酬は当然だが。

  ホノルル市内にたどり着いた時にはとっくに日も暮れ夜の雰囲気ばっちり。
噂のオウムも見たし。ネタついでに一発やってもらおうかとも思ったが、
さすがにそこまでの勇気はなく。
  とりあえず手近にあったファーストフードで適当に腹を満たし、
その日はホテルに帰る事にしたが、
既にホテルまでのバスが終わってますが!?
ええ、ホテルまで歩きましたよ……。すっごい疲れたけど。

  今回の旅行で拠点となる場所、「アラ モアナ ホテル」の居心地はなかなかのもので、
思わず一日中部屋でゴロゴロしていたいという気分に駆られるほどだった。
こういうのを、本当の意味での最高の贅沢だと思うのは私だけなのだろうか?
私達が泊まったのは二人部屋が二つだったのだが、この部屋、中が繋がっていて、
事実上4人部屋のような作りになっていた。
  鼾がうるさい私と黒生氏が同じ部屋で、鼾が気になって眠れないらしい
ORE氏とgob氏が同じ部屋。
  この日は時差ボケでふらふらだったり、歩きで疲れていたせいもあって
全員さっさと寝てしまったような記憶がある。

ニンフィ:「やっぱりろくでもない事がおきたわね〜。」

STEVEN:「ま、まあ、このぐらいなら笑って済ませられるんじゃないの??」

ニンフィ:「まあね〜。あなた、実はもう少しで病院送りにされそうになったでしょ?」

STEVEN:「観光旅行に行って病院送りじゃ笑えないしな……。」

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