** メヌエット 2 **


物心ついた頃には、もう世の中は戦争へと突き進んでいて。大戦が始まる前から既に

孤児だったアキラにとって、『新品』というのは長く縁のないものだった。それが慈善家から

施された玩具であれ、軍事教練で支給された武器であれ。

 家族制度のもと国に養われていたから、たしかに大戦中も衣食住はしっかり保証されて

いた。けれど富裕層でもない子供に贅沢が許されるほど、甘い情勢でもなかった。

 だから、なのだろうか。新しいものを手にするときは、わけもなくドキドキする。真っ白な

雪の上を一番最初に歩く時のような不思議な胸の高鳴りが、いつもは静かなアキラの顔を

隠しきれない喜びでほんのりと紅く染めた。

「はい、できたよ」

 締め上がった帯をポン、と叩かれてくるりと身体を反転させられる。

「すっごく良く似合ってるよ、アキラ」

 リンにそう言われ、おそるおそる姿見を覗いてみれば。

藍色の浴衣に身をつつみ、気恥ずかしそうな表情をした自分がこちらをじっと見ている。

リンが手放しで褒めるほど似合っているかはわからないが、少なくともサイズはぴったりだ。

わるくない。

「さ、準備もできたし、行こう」

 大きな手が誘うように、優しくアキラへと差し伸べられる。それに笑顔で頷き、アキラは

リンの手に指を絡ませた。



 日の落ちた神社の境内を、人工の光の玉が数珠繋ぎに連なって煌々と照らす。その下に

ずらりと並んだ露店と行き交う見物客の多さに、アキラは目を瞠った。

「すごいな……」

 さほど広いとはいえない参道を、いったいどこから沸いたのかと思うほどの人が隙間なく

埋め尽くしている。ざっと見た感じだと、千人近くはいそうだ。普段は本当に閑散とした、

人口は二百人にも満たない小さな田舎町だというのに。

 目を丸くして驚くアキラに、リンはくすりと笑って肩をすくめた。

「これでも小さいほうだよ。都市部のほうの有名な祭りだったりすると、数万はいくから」

「……そうなのか?」

 桁違いの数を言われても、見たことがないアキラにはいまいちピンとこない。

「それよりもさ、せっかく来たんだから見て回ろうよ」

 数に圧倒され立ち尽くすアキラを促すように手を引き、リンは手近な露店に入る。赤い

暖簾を捲れば、噎せるような湯気と香ばしい匂いが二人を迎えた。

「オッチャンッ、それ二つちょうだい!」

 リンの注文にあいよ、と威勢のいい返事をした店主が目にも留まらぬ早さで焼きモロコシを

包んで渡す。リンはそれを受け取ると、すぐに次の露店へとアキラを連れて移動した。

 はじめて体験する祭りはなにもかもが新鮮で、アキラの興味をすくずる。見知らぬものも

多いけれど、側にいるリンが面白おかしく説明してくれるおかげで退屈することもない。

むしろ時間を忘れて聞き入っていたせいで、気がつけば花火の上がる時間が迫っていた。

 賑やかな雰囲気に浸っていたアキラの意識を、花火の始まりを伝えるアナウンスが

引き戻す。周りの人々が移動し始めたのを見て、アキラは控え目にリンの袖を引いた。

「リン、そろそろ行こう」

「もうそんな時間?……おじさん、ソレ一つでいいよ」

 袋に詰められた綿菓子をリンが受け取って、二人は歩いてきた参道を引き返した。

「あ、アキラ。そっちじゃないよ」

 前を行く親子連れに続いて階段を降りようとしたアキラを、慌ててリンが呼び止める。

「え?でも……──」

 たしか花火が上がるのは神社の下の河川敷のはずだ。道に設置された案内の立て看板

にもそう書いてあるし、人の波もそちらに向かって流れている。

 けれどリンは首を振り、問うような眼差しを向けるアキラを強引に人混みから連れ出した。

「下だと人がいっぱいで、良く見えないって。こっちのほうに穴場があるんだ」

 そう言って、リンは鋪道からやや外れた──薄暗い闇に飲み込まれていくような──

場所を指さす。河川敷へ向かう人々からは死角になった其処には、たしかに何処かへと

続く石段があった。

「せっかくだからさ、綺麗に見える所に行こうよ」

 強くリンに促されては、アキラも嫌とは言えない。街灯ひとつなさそうな道に、多少不安を

感じないでもないが。

「……リンが、そう言うなら」

 暫しの逡巡の後ぼそぼそと答えれば、ぱっと花が咲いたようにリンが笑う。それが眩しくて

アキラは一瞬見惚れてしまった己を恥じるようにうつむき、小さなため息をついた。

 結局のところ、自分はこの笑顔で頼まれたらけっして逆らえないのだ。それがどんなに

無茶でも、恥ずかしいことであっても。

「じゃ、行こっか」

 目に見えて上機嫌になったリンはしっかりとアキラの手を掴んで、石段を上がっていく。

捲れ上がる浴衣の裾を片手で抑えながら、アキラは遅れないようにリンの後を追った。


 
 
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