** メヌエット 3 **



 リンの言う穴場とは、公園の中にある社の形を模した小さな四阿だった。

 神社の後に聳える小山──もとは禁足地とされた鎮守の森を、大戦前に旧政府が公園に

指定して一般にも開放した。そのとき遊歩道が作られ、道に沿うように幾つか設置された

休憩所のうちの一つらしい。もっとも戦後の混乱ですっかり忘れ去られていたせいで、

至るところに雑草が生い茂り、今はろくに手入れをされることもなく朽ちるに任せたままだ。

地元の人間ですら、覚えている者は少ない。

「……よくそんな場所知ってたな」

 石段の急な勾配ではずむ息を誤魔化しながら、アキラはリンの説明に感心したように呟く。

それを背中で受け止めてリンはくすりと笑った。

「俺って昔から色々探検して回るのが好きでさ……だから、見つけたのも偶然だよ」

 こともなげにリンは言うけれど、それだけではないとアキラは直感する。

いくらリンが好奇心旺盛でも、何もない──しかも荒れ果てた野山に好んでいくほど物好き

だとは思えない。まして今は義足で、昔ほど自由がきかないというのに。

 ……もしかして。今日の花火のことを知って、わざわざ探してくれたのだろうか。いまだに

人混みの苦手な自分のために。昔、ケイスケのことで落ち込むアキラを励まそうとして、

お気に入りの場所へ誘ってくれたように。

 まさか、と否定しつつもアキラは顔を赤らめる。ほんの少しだけ、そうだったらいいと考えて。

そんなふうに心を浮き立たせる自分が、たまらなく恥ずかしかった。

 まともにリンの姿を見れなくて、アキラは目を伏せる。激しくなる動悸が聞こえてしまうのでは

ないかと、そればかり気になってろくに前を見ていなかったアキラは、立ち止まったリンの

背中にあやうくぶつかりそうになって、慌てて踏みとどまった。

「ほら、ついたよ」

 そう告げてリンが生い茂る雑草をかき分けると、深い紺色の闇に建物の影が浮かび上がる。

近づいて見上げれば、たしかにリンの話した休憩所のようだ。使えるかわからないが、小さな

手洗い場まで備え付けられている。

 リンは勝手知ったるといった様子で先に中へ入り、塗装の剥げた木組のベンチに座る。

戸惑うアキラと目が合うと、にっこりと微笑んで手招きした。

「さ、アキラも座って」

 促されるまま、こわごわといった感じでアキラは腰を下ろす。見た目に反して、それは意外に

頑丈でアキラが座ってもびくともしなかった。

「ほら、見て」

 すっ、と形の良い指が暗闇を指す。

周りは草で道もわからないほどだというのに、社を見下ろせるその方向だけは鋏で切り取った

ように何もなく、はるか河川敷まで見渡せる。神社に灯された溢れるような光の海が、ずっと

向こうまで続いて煌めく様に、アキラは暫し見とれた。

いつも眺めている町の明かりとは違う、色とりどりの柔らかな光。一つ一つは小さいけれど、

それが寄り添い互いに輝く姿は燃えさかる命のようで、本当に美しかった。

 どれくらい、そうしていたのか。景色に心を奪われたアキラを引き戻すように、リンが声を

かけた。

「まだ花火は上がらないみたいだし、何か食べない?」

 リンの提案にアキラは我に返り、こくんと頷く。手に持っていた袋を空け、先ほど買って

貰った綿飴を口に運ぶ。リンも持っていた包みの一つを取り出して勢いよく封をあけた。

 祭りの喧噪もさすがに此処までは届かないのか、辺りは水をうったように静かで、ときおり

思い出したように虫の声が聞こえる。下は人の熱気で汗ばむほどだったけれど、今は草の

匂いのする冷たい風が吹きつけて、すこし肌寒いほどだ。

 そんななか、特大のフランクフルトをほお張りつつリンは密かに隣のアキラを盗み見る。

眼下に広がる祭りの光に浮かび上がるその姿はどこか儚げで、それでいて目を離せなくなる

ような強烈な印象でリンを捕らえる。

(……やっぱり、色っぽいよなぁ)

 襟から覗く、眩しいほど白くほっそりとしたうなじ。鮮やかな青の浴衣の裾からチラチラと

見える、すらりとした太腿。そのどれもがリンの中にある劣情を揺さぶり、たまらない気分に

させる。

 たった布切れ一枚纏っただけなのに、この匂い立つようななまめかしさはなんなのだろう。

無心に綿飴を舐める横顔すら扇情的で、リンは目のやり場に困って何度も生唾を飲み込む。

沸き上がる凶暴な衝動をなんとか押し殺し、気づかれぬよう静かにため息を吐き出した。

 こんなに色気を撒き散らしているのに、アキラ自身は自覚どころか気づいてさえいない

のだから、困ったものだと思う。

 参道で露店をひやかしている時だって、妙に熱っぽい視線に何度も出くわした。

リンがしっかりと手を繋いで無言の圧力で牽制していたからこそ行動に移す者はいなかった

けれど、アキラひとりだったら絶対に危なかった。

(自重してって言っても、わかんないだろうな)

 本人に自覚がないものを慎めといっても無理がある。無法地帯で常に死と隣り合わせだった

トシマならともかく、格段に治安の回復した今の世情で『男に気をつけろ』と諭したところで、

反発しこそすれ素直に聞くとは思えない。

 妙なところで頑固でそして果てしなく鈍いのだ、アキラは。

普段は人見知りが激しくて、慣れないと野生の獣みたいに警戒するくせに。

「あっ……」

 小さな声が聞こえて、リンは顔をあげる。アキラの眼差しの先へ視線を向けると、真っ暗な

夜空にパッと朱色の花が咲いた。打ち上げが始まったらしい。

 さっきの花が合図だったようで、次々と鮮やかな光が生まれては地上に落ちていく。一瞬の

輝きが生み出す美しさと迫力に呑まれ、アキラはうっとりとした表情で微笑んだ。

「……綺麗だな」

 たしかに、空に踊る花火は綺麗だ。燦然と輝いて消える様は目を奪われる。

けれど、リンが釘付けになったのはソレではなく。花火で照らされたアキラの姿を目の当たり

にして、リンは声を失う。

 恍惚とした、夢見るような顔。薄く開かれた唇に、空を見つめる潤んだ瞳。それらすべてが

一瞬でリンの胸に燻る火種を燃え上がらせる。抑えきれない熱が理性を食い破り、アキラに

むかって流れ出す。

 いけない、と。

頭の奥で、もう一人のリンが叫ぶ。けれど、もう遅い。

 気づいた時にはもう、アキラの唇を塞いでいた。

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