この魅力的なものがたりは一体どこでり広げられたのでしょう。


位置関係図
    (ミニ説明と本文参照付き)

 
 
 
 
 
     
 
   
   
         
     
 
   
   
 
   

この図はものがたりの記述から知られる、子供達の行動範囲のおおよその位置関係図です。あくまで架空の場所であり、実際に種山ケ原周辺にこのまま存在する地形ではありません。

ポインタを合わせるとミニ説明が表示され、クリックすると本文を参照します。ブラウザによっては上の図が乱れる場合があります。その場合はこちらをごらん下さい。

シーンの推移 9.1遠景→運動場→教室 9.2嘉助の家の前→途上→運動場→教室 9.4途上→湧水→上の野原入口→土手の中→野原→栗の木の下→湧水→帰途 9.6教室→上流方向→たばこ畑→葡萄藪→帰途 9.7教室→さいかち淵 9.8運動場→岩穴→教室→さいかち淵 9.12一郎の家の中→外→中→嘉助の家の前→教室

 

小さな

 学校とその周辺の様子は作品の記述に草稿の推敲過程※1も合わせて考慮してみますと、いろいろに想像することができます。ここでは試みに一つの例を挙げてみることにします。

学校の見取り図

 岩穴はもう一ヶ所運動場に近いところにもあるのかもしれません。方角は上が北であることも考えられます。

9.1一年生が川下?から土手を回り、門を入って教室の中を見る。教室の一番前の席に三郎がいる。川上から嘉助らが来る。一郎が川上から来る。一郎らが窓の下へ行く。先生が職員室に来ている。先生が玄関から出て来る。三郎があとにつく。笛が川向こうの山にこだまする。みんなが玄関に向かって整列する。左の低学年から順に前を通り、右手の昇降口から教室に入る。教室でも運動場側は低学年、廊下側が高学年らしい。教室のうしろに三郎の父が現れる。父が玄関から出る。三郎は昇降口から追いつき、川下へ帰る。 9.2子供たちが運動場で棒かくしをしている。孝一(一郎)と嘉助が川上から来て教室を覗き鉄棒へ行く。谷川の下流が見える。三郎が川下から門を入り回りを見渡す。次に門から玄関まで歩数を数え、職員室の前を土手のほうへ歩く。運動場の中央から玄関へつむじ風が起こる。先生が玄関から出てくる。先生は太陽に向かっているのでまぶしい。みんな教室へ入る。一時間目が終るとみんな外で遊ぶ。 9.6みんなが放課後学校から川上のほうへ行く。 9.7みんなが放課後学校から川下のほうへ行く。 9.8みんなが運動場で遊んでいる。佐太郎が来て、みんなと一緒に裏の岩穴のそばへ行き、笊を萱の中に隠して運動場へ戻る。放課後佐太郎が笊を取ってみんなと川下へ行く。 9.12一郎と嘉助が川上から来て昇降口から教室へ入る。先生がやって来る。先生が宿直室方向へ戻る。


座席位置

考えられる学年の配置の一つの例です。

教壇

       

   

 当初左のようであったが、
三郎が入って右のように5
年生が一人はみだした。
 三郎らは2日の記述に従っ
て5年生とする。

 一郎
はいちばん後ろ。
 嘉助
の後ろが三郎
 その後ろがきよ

 佐太郎
の隣りがかよ

教壇

     

三郎の父

 

いかち淵

9.7みんながねむの木の間を走り向こう岸へ泳ぐ。一郎がさいかちの木へ登り石を落として遊ぶ。ねむの木のところに大人が来る。子供たちは下流の瀬に行く。庄助が川原の岸から発破をさいかちの木のところへ投げる。大人は川に入り子供たちは魚を取る。見物の大人達が川原に来る。三郎が魚を庄助に返して来る。大人達が上流へ行く。耕助が泳いで行って魚を取り返して来る。みんなはいけすを作ってまたさいかちの木に登る。男がいけすをかき回す。みんなは三郎を中にしてさいかちの木の枝に腰掛ける。男は川原の岸を歩いて上流の浅瀬で行ったり来たりする。男は囃されて川を渡りがけを斜めに登ってたばこ畑に入る。みんなは木から飛び降りて川原へ泳ぎ、いけすの魚を持って帰る。 9.8みんながねむの木を抜けて淵に着く。小さい子供らが淵を囲む。ペ吉らは泳いでさいかちの木の下へ行く。佐太郎が上流の瀬で笊を洗う。ペ吉が向うで「魚浮かばないな」と言うとみんな川に飛び込む。みんな川の中で鬼っこの相談をする。一郎が上流のがけの下の粘土を根っこに決める。鬼の悦治が川原を走る。鬼っこが続く。みんながさいかちの下にいる。鬼の吉郎が上流から粘土の上を追う。一郎が楊に登る。みんなは上流の粘土の「根っこ」に上がる。鬼の三郎がそっちへ泳いで行き水をかける。みんなは落ちる。嘉助が上を回り下流方向に?泳いで逃げる。三郎が追いつく。小さな子供らは川原の砂利に上がる。三郎だけさいかちの下に立つ。楊が白っぽくなる。上の野原方向で雷が鳴る。淵の水にぶちぶちが出来る。みんなは川原から着物を持ってねむの木下へ逃げる。三郎も飛び込んで泳ぎ、淵から飛び上がってみんなのところへ走る。三郎は川のほうを見る。

 

上の

 上の野原の地理的関係は漠然としすぎていますのでまとまった図にするのは困難です。
 それぞれに全体像を想像してみて下さい。

 入口の大きな栗の木。草の中の一本道を行くと大きな楢の木。草たば。小さな道をまっすぐ行くと土手。土手の外に沿って南方向へ。高く低くどこまでも。草の中のかすかな道。道がいくつにも分かれる。そのまん中の道。道がなくなる。引き返す。元とは違うところ。アザミ、岩かけ、大きな谷、ススキ。引き返す。小さな黒い道。ぐるっと回る。てっぺんの焼けた大きな栗の木、円い広場。黒い道を戻る。大きな黒い岩。黒い道が消える・・・・(笹長根の下り口)
 ゆるい傾斜を二つほど昇り降りする。黒い大きな道。半分に焼けた大きな栗の木と草小屋。
 (おじいさんは虎こ山の下まで行って来た。)

 

ものがたりの台(1)

 「風の又三郎」は日本のお話です。なぜって、それは登場人物が日本語をしゃべるからです・・・。
 こんな風に虚心坦懐に考えていくことにするとこのあとは
 北海道以外の地方。(三郎がそれまでは北海道の学校に居たということから)
 東日本。(風の三郎様の伝承のある地方)
 ということになります。また、方言を丁寧に観察すれば 
 岩手県
 ということもほぼ明らかです。まあ、そう虚心坦懐にならなくても作品の周辺事情を知っていればここまでは当然に分っていることです。
 さて、それではその先を考えるために9月4日に注目してみましょう。

 もしあなたが同じ作者の「種山ケ原」という作品をお読みになったことがあるなら、「風の又三郎」の9月4日の舞台となっている"上の野原"は、その「種山ケ原」に描かれている"上の野原"(登場人物は"上の原"と呼ぶ)と全く同じ場所であるということにはすぐ気が付くはずです。※2
 「種山ケ原」冒頭から引用してみましょう。

 種山ケ原というのは北上山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩や硬い橄欖岩からできています。
 高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五、六軒ずつの部落があります。
 春になると、北上の河谷のあちこちから、沢山の馬が連れて来られて、此の部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持ち主に戻ってしまうのです。なぜなら、九月には、原の草が枯れはじめ水霜が下りるのです。
 放牧される四月の間も、半分ぐらいまでは原は霧や雲に鎖されます。実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起ってくるのでした。それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行く旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るようになります。その旅人と云っても、馬を扱う人の外は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅かなものでした。

 簡潔ながらものがたりの舞台が鮮やかに提示されています。

 岩手県のこの辺りは猫山・北竜のモリブデン鉱山(「宮沢賢治と自然」 −宮城一男、玉川大学出版部−による)の他、赤金、大峰、釜石の各有名鉱山を擁するなど、「風の又三郎」の雰囲気を十分に感じさせる地方でもあります。
 さて、そうすると「風の又三郎」の舞台はこの近辺と考えてよいことになるでしょう。

 

山ケ原周辺図

(北上山地 中・南部)

 

(赤と水色の項目はミニ説明が表示され、水色の項目にはリンクがあります。画像全体が表示された状態で試して下さい。それでもミニ説明が表示されない場合はこちらをごらん下さい。)

上図中央部の詳細地図は次のものがたりの舞台(2)にあります。

 

辺の村々

 地形図で北上山地の南西、江刺市の東方、標高871メートルの物見山(種山)を中心に650mの等高線をなぞってみますとこの高原の輪郭が現れてきます。なだらかな地形は南北約10km、東西約7kmに及びます。かつては馬の放牧が盛んでしたし、いまも牧場が広がっています。物見山頂上付近には嘉助が出会ったような大きな「物見岩」もあります。遥か西にはまさに帯のような川(北上川)と"ほんとうの野原"(「種山ケ原」では"北上の野原"と明記。北上盆地。)が眺められます。
 ちなみに、作品中の「上の原」あるいは「上の野原」という名はこの高原上にあったいくつかの放牧地のうちの「上野放牧地」から来ているものと思われます。

 作者は高等農林時代の大正6年8月末から学友とともに江刺郡土性調査に従事しており、9月2日前後に初めてこの種山ケ原に登っています。そしてそのときの日付が「種山ケ原の夜」(作品の成り立ち先駆作品参照)に生かされることになりました。またその後何度も登ったこの高原の悪天候下の体験が「種山ケ原」に生かされています。※3
 なお、作者がこの調査時に江刺郡と東磐井郡との境にある阿原峠近くでモリブデン鉱を発見したらしいことを示す英文メモが父親宛手紙の封筒裏に記されています。(「新校本宮沢賢治全集・書簡77校異」)
 この土性調査の際、江刺郡は作者に良い印象を与えたようです。調査に同行した友人に対し翌年手紙で「江刺ノ山ハ実ニ明ルクユックリシテヰタデハアリマセンカ。私ハ正法寺ノ明方、伊手ノ薄月夜ノ赤垂衣、岩谷堂ノ青イ仮面、又、阿原山ヤ人首ノ御医者サンナドヲ思ヒマス。・・」と風土や人の好もしさを述べています。(校本全集書簡番号54)
 土性調査旅行などの雰囲気は短編「泉ある家」、「十六日」(参考作品紹介参照)、文語詩「土性調査慰労宴」(作品の成り立ち病床参照)でよく窺えます。

 この高原のふもとには北側から時計回りに、角出沢、外山沢、藤沢、高津沢、赤岩沢、アヅ沢、千能沢、大文字沢、畑沢、大股川、人首川、山本川、中沢、上大内沢、その他の谷が入り込んでいて、それぞれまばらな集落を伴っています。地質調査でこの近辺をよく歩いた作者はおそらく後にはこんな谷あいの小学校をモデルとして舞台を設定することを暖め始めたのでしょう。実際には昭和6年9月に改めて遠野の先にある上郷村にかつての教え子の勤める上郷小学校を(あるいは仙人峠近くの大橋鉱山小学校などを)訪ね、子供達の様子を取材したようです。※4

 ものがたりの記述を頼って高原の西麓を探しますと、物見山の西、人首(ひとかべ)川沿いの江刺市木細工地区に旧江刺郡米里村立人首小学校の木造校舎が保存されています。このいかにもそれらしい建物はなるほどかつて映画「風の又三郎」の撮影に使われたものだそうです。※5
 しかしながら、本文中にある"伊佐戸"、"笹長根"、"虎こ山"の具体的地名はいずれも架空のものであるため、現地にそれらしい場所があっても確実に同定することは出来ません。
 “伊佐戸”は木細工の更に西方、人首川の下流に位置する“岩谷堂”(現江刺市街)を念頭に置いた造語とも言われます。また伊手川のほとりの“伊手”の「伊」+「里」であるという意見もあります(「森からの手紙」−伊藤光弥 洋々社−)。いずれにしても、元の「種山ケ原」の同じ場面にも使われていますし、「やまなし」にも“イサド”として出てきます※6から作者のお気に入りのようです。“笹長根”は北上川の西、北上市から胆沢郡金ヶ崎町にかけての同じ地名を借りているものと思われます。

 また、“さいかち淵”のモデルは作者の生まれた花巻の豊沢川の旧流路(石神地内)に実在したさいかちの生えた2ヶ所の淵で、そこでの実見が作品「さいかち淵」、そして「風の又三郎」に生かされたと言われています。その場所は不動橋と道地橋の中間に当たりますが、今では川筋も変わり、さいかちの木も見られません。
 なお、「さいかち淵」の内容を 「風の又三郎」へ転用※7するにあたり、作者は新たに「そこはこの前上の野原へ行ったところよりもも少し下流で、右の方からも一つの谷川がはいって来て少し広い河原になり・・・」という説明を付加しているのですが、それは状況をこの種山ケ原西麓に合わせたということなのではないかとも考えられます。(種山ケ原俯瞰画像イメージ転換参照)
 小原忠「さいかち淵」(「賢治研究」昭和54・2宮沢賢治研究会)で「からごや淵」と「まごい淵」と紹介されている。

 さて、作品の舞台は一義的ではなく漠然と種山ケ原の周辺だと考えるのが妥当ではないでしょうか。特に西麓の特定の地区を取り上げて作品の設定と割合マッチするからここがモデルだと断定したくなる誘惑もありますが、そう単純なものではありません。地元の人でさえ、ここがモデルという説がありますねと言うと、そうでないという説もあります、と答えます。

 花巻と早池峰山とのほぼ中間地点に当たる稗貫郡大迫町外川目地区も舞台の候補と考えられています。
 この村はかつて優良な軍馬を産し、葉巻の外巻き用として優れた品種の「南部葉」を葉の一枚一枚まで登録管理して栽培していました。食料は雑穀栽培が中心で、この点は稲の栽培が進んでいた人首川流域より符合すると言えそうです
※8
 岩手日日新聞(2005.7.26)によると谷川に当たるのは旭ノ又川、学校は旧外川目小の旭ノ又分教場、モリブデン採掘地は合石、上の野原は猫山(920.2m)と同定します。なおこの山には牧場の土手やそれらしい大きな黒い岩、急な崖もあるそうです。おじいさんの行った「虎こ」山は「猫」山だったのかという楽しい想像もできます。
 なお、たばこの専門家であるJTのサイト(おしまいに参照)によれば、作品中の葉たばこの描写は大迫のものと見るのがふさわしいということです。


種山ケ原俯瞰画像


※1 風野又三郎から風の又三郎へ消えた表現
※2 作品の成り立ち先駆作品
※3 参考作品紹介「種山ケ原」あらすじ
※4 作品の成り立ち取材行、参考作品抜粋「盆地に白く霧よどみ」
※5 映画「風の又三郎」
※6 参考作品抜粋「やまなし」抜粋
※7 作品の成り立ち先駆作品
※8 ものがたりの舞台(2)山村のくらし


ものがたりの舞台(2)へつづく

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