今度は時代を考えてみることにしましょう。

ものがたりの舞台(2)

昭和7年の風

 子供たちが上の野原へ行く9月4日は日曜日であると明記されています。このことから、執筆の時期を考え合わせるとこのものがたりの舞台を昭和7年(1932年)の設定であると解釈することが可能となります※1
 曜日の関係だけから見ると昭和2(1927)年も可能性はありそうですが、私の計算によると昭和7年の二百十日は9月1日ですが昭和2年は9月2日ですので、やはり昭和7年の方がものがたりにぴったりと合致することになります※2(その後当時の新聞によって昭和7年は9月1日であることを確認しました。)

 昭和7年は戦前最後の政党内閣である犬養毅内閣が五・一五事件によって倒れた年です。満州国承認やリットン調査団というキーワードで思い起こされる年でもあります。
 しかし歴史年表に出てくるようなそんな事項がかもし出す、なんともきな臭い緊張した空気に日本中が包まれていたというわけでは決してありません。人々の日常の生活はそんな時代の流れから一定の距離を置いて、むしろ今の日本の世情からすればずっと平和な暖かい空気の中にあったと言わなければならないでしょう。特に地方の暮らしは中央のあわただしい動きからは良くも悪くも隔絶されていました。

1925(大正14) 治安維持法・普通選挙法公布 東京でラジオ放送開始 川端康成「伊豆の踊り子」
1926(昭和元)    
1927(昭和2) 金融恐慌 東京に地下鉄開通 円タク流行 芥川竜之介「河童」
1928(昭和3) アムステルダム五輪で織田幹雄活躍 トーキー映画輸入  
1929(昭和4) 航空旅客輸送始まる 世界恐慌発端 小林多喜二「蟹工船」 島崎藤村「夜明け前」
1930(昭和5) 特急つばめ 農作物価下落で農村危機  
1931(昭和6) 満州事変 国産トーキー映画  
1932(昭和7) 五・一五事件 山本有三「女の一生」

 またこの時代(昭和初期)は国民生活の近代化が著しい時代でした。「航空機、ラジオ放送、映画などの主要ヨーロッパ科学文明が輸入され、野球、水泳、陸上競技などのスポーツの流行をみました。高層建築、電車など、都市の近代化も進みました。」(「重要ポイント日本史」京大歴史教育研究会編、ミネルヴァ書房)
 しかしやはり、マスコミの発達によって文化の均一化の進んだ今とは違って、そんな華やかな流れには乗りきれない地方庶民生活の伝統的体質世界も広範に存在しました。
 そういった時代にあった東北の山深い村の子供たちの世界に突然吹き付けてきた風。広い世界、中央の世界のさまざまな匂いを乗せてやって来た風。ここでは三郎の登場の意味をこのように考えてみましょう。

 

手の風

 それではこの年9月初旬の岩手県内の様子を、当時の地元紙紙面からうかがってみることにしましょう。ほんの一部のみの引用ですが、ものがたりの背景の雰囲気に少しでも触れられるかもしれません。「風の又三郎」の世界を思わせる事項を赤で、間接的に関係するものを橙色で示します。
 なお、ものがたりに記述された気候や天気は実際の昭和7年の気象にしたがって描かれたわけではなく、事前に構想されたものであることに注意して下さい。

岩手日報 昭和7年(1932年)

8月31日夕刊
・明九月一日の二百十日の形勢 まづ平穏・豊年万作 ちょっと小雨かぐらゐは吹くか
  測候所長福井さんに伺ひを立てると・・ 云々
   盛岡測候所長福井規矩三氏。作者は大正13年以降何度か氏を訪ねて教示を請うており、昭和2年7月18日に訪ねた際の翌日に書いた礼状が残っている。)

9月1日朝刊
・各地とも豊作
  二百十日の平穏も目先がつき農家は大喜びだ。

9月1日夕刊
二百十日 恵みの雨
  午前十一時頃になって雨気を帯びて小降りになった・・ 云々
・久慈地方二十九日から三十一日にかけ残暑猛烈 室内華氏九十三度に。(339℃)
・和賀郡湯田村翁沢鉱山からの鉱毒で和賀川の魚白い腹を見せて死ぬ。
・上閉伊郡甲子村に金山話で同地方活気 和賀西部でも金採取に血眼 東磐地方も砂金掘流行


名参考地図


9月2日夕刊
・釜石町長発案の失業救済砂金採取 近く認可になる模様

9月3日朝刊
・千厩煙草専売所では本年度の東山葉煙草量目検査施行中の処、この程終了した。

9月3日夕刊
・各地にチフス

9月4日朝刊
・三日午後八時五十九分盛岡地方に地震あり。震度弱震の弱。
・盛岡園芸購販利組合市場近況
  味覚をそそる秋の果実が出始めて来ました。
  ふさふさした白粉をふいた葡萄、・・日本梨・・りんご・・西瓜・・西洋梨・・ 云々
・[ 風物写真「子供盆踊り」 (櫓を取り巻き輪になって踊る浴衣姿の子供たち)]

9月5日朝刊
・二歳駒せり いよいよ今日から十五日間 景気煽って蓋あけ
  恒例盛岡産馬畜産組合のせり売は市内馬検場にて開催されるが出場頭数は牡馬七四七、
  牝馬八〇一頭で、・・ 陸軍省農林省も多数購買あるはず。云々

9月5日夕刊
・午後零時八分地震あり
  震度弱震の弱。震源地は八戸東方遥か沖合タスカロラ海溝で、三日夜の余震である。
・三日に三歳の子、四日に二歳の子川に落ち水死
・各地の秋祭り
  黒沢尻諏訪神社の祭典は七日から三日間盛大に施行されるが、剣舞獅子踊り等をはじめ
  見世物等もあり町内はゴッタ返しの大にぎはひを呈するであらう。
・季節の暴君 台風のはなし 中央気象台大谷東平氏

9月6日朝刊
二百十日夏作作況 平年よりやや良し

9月6日夕刊
・五日夜どしゃぶりの雨
  稲が大分倒れた 云々
・花巻人口動態
  八月中出生四十二に対し死産八は前例がなく、母体の栄養不足か生活苦かと・・ 云々

9月7日朝刊
・本県では山林不況の応急対策として、新たに炭窯を構築するものに対し補助金を出すことに
 なった。
・黒沢尻地方六日午後四時頃より降り出した雨は六時頃から雷雨となり・・ 云々
・不況知らずの煙草耕作地方 東磐井郡藤沢町
・江刺郡農会主催の興村祭は十一、十二の両日に亘って岩谷堂公会堂に開かれる。定めし
 盛況をみることであらう。
・江刺郡下 自家用醤油醸造増加

9月7日夕刊
・今年の伝染病 一時にドッと出る
  五日現在県南地方は腸チフス百一名で、昨年一年の五十一名の二倍となってゐる。
地方馬一斉調査 期日は十月一日 一馬も洩れなきやうに
・黒沢尻秋祭り
  七日の第一日は前日来の豪雨もカラリと晴れ好天に恵まれ絶好のお祭り日和で近郷近在から
  押寄せた人は実に一万を越えた。
・水路決潰して水田流さる 江刺郡稲瀬村の豪雨被害
・杉の木に落雷 ゆふべ膽沢郡小山で
・鮎簗活況呈す 猿ケ石川
  上閉伊郡鱒沢村川内簗は三日の豪雨で俄に活況を呈し、当日は鮎五千尾、うなぎ百尾の漁で
  あった。
・虚弱児童に肝油を与ふ 一関小学校計画
  全校児童一千七百五十名のうち虚弱児童と見られる百五十名に対し強壮剤肝油を・・ 云々

9月8日朝刊
・パンの講習会 
  稗貫郡矢沢分教場に於て自家生産の小麦と馬鈴薯にて作る食パンの製造講習を開催・・
  云々
火薬で雑魚採 罰金二十円不服
  石鳥谷町○○××(三三)は七月四日大瀬川で火薬を使用し魚類を捕獲したので
  花巻区裁判所から略式命令で罰金を言ひ渡されたが・・ 云々

9月8日夕刊
・八日朝 釜石鯨の大漁
  マッコー鯨十頭を漁獲した船が入港
・フィラリヤ症 山村に発生

9月9日朝刊
・茸狩り列車 十一日に増結
  そろそろ秋冷を覚える頃となり・・ 云々

9月9日夕刊
・鹿角郡小坂鉱山の煙 林檎を枯らす 被害は二千町歩
・[ 風物写真「夏も名残の水辺」 (大きな川の水辺でザルとバケツで雑魚を採る子供たち)]

9月10日朝刊
マンドリンとギター練習
  岩手医専音楽部マンドリン倶楽部にては来る十三日より医専食堂に於て初歩練習会を開催。
  初歩好者を歓迎する。

9月10日夕刊
・御安心下さい 二百二十日も無事と福井さんは語る
  八日午後から思ひ出したやうにそぼふる雨と時折の突風も、その後は・・ 云々
・盛岡庭球大会 あす仙北小学校コートに於て挙行
・二戸郡浄法寺村○○××(四三)外三名同村安比川俗にマダ淵と称する場所に於てダイナマイト
 を使ひ雑魚を捕獲した事実あるを二戸署の探知する所となり・・ 云々
・西磐井郡萩荘村大字上黒沢○○妻××(四八)は先月二十六日厩舎提灯を置き忘れ厩舎
 屋根を焼いた・・ 云々
・[ 風物写真「いなごとり」 (田んぼの稲の中に着物姿の女の子二人)]

9月11日朝刊
・冬季過剰労力利用共同施設決定
  藁細工共同施設予定町村 江刺郡米里村 他・・ 云々

9月12日朝刊
・昨日二百二十日 全国申し分ない天気で終結

9月12日夕刊
・さんま大漁 釜石

9月13日夕刊
・薬草七十五円 児童が採取
  江刺郡梁川村野手崎小学校の全校生徒は放課後薬草ゲンノショーコを採取し五百貫を集めて
  七日黒沢尻町の薬草店に持って来たがこの代金は七十五円で・・ 云々


 以上、思いのほか「風の又三郎」に通じるキーワードが多い紙面です。また、二百十日・二百二十日に対する関心の並々ならぬのも見逃せません。
 他に、農事一般、農村運動関係、薬草講習会など生活改善関係講習会、各種スポーツ大会、鉄道・道路建設、養蚕の作況、馬市、祭り、濁酒密造関係、伝染病、生活苦、盗みのニュースが目立ち、鉱山師殺し、裁判所火事の記事、また宮沢賢治ファンにはお馴染みの暁烏敏氏の講演会の度々の告知が目を引くことを付け加えておきます。
 なお、この時期の全国ニュース記事としては満州国関係、リットン調査団関係、ロサンゼルスオリンピック選手団帰国関係のものが目立っています。


材の日

 前年の昭和6年9月6日には作者は猿ケ石川上流域に取材に出かけています※3。その際の雰囲気も見てみましょう。

岩手日報 昭和6年(1931年)

9月5日夕刊
・花巻の両橋架替へ工事 水害で進捗せず 豊澤橋は結局明春から再着手
・花輪線視察
  ・・花輪線は来る十月十七日開業するが既に線路橋梁等はすっかり完成し・・
・花農修学旅行
  花巻農学校三学年生三十九名は鈴木武井両教諭同道四日午前八時半花巻駅発北海道視察
  の途に上った。帰校は十三日の予定。
・今晩の天気 北東の風曇り勝ちでまだ小雨があります。明日の天気 南の風時々はうす陽も
 さしますがまだ曇空で一時は小雨。
・盛岡気象
  朝の最低温度摂氏十六度八 平年より一度一低い 日中の最高温度 摂氏二三度六
  平年より三度二低い
・日の出 五時五分 日の入り 六時四分

9月6日朝刊
・冷気、雨天に 再び凶作の心配 穂が黒色に枯死して 殆んど稲作全滅の湯田、澤内
  ・・中にも最も被害の甚大なのは郡下西部の湯田、澤内両村であって、一ニ日前から折角
  出穂したものが曇天と冷気のために穂に黒色を帯びて枯死する状態であり、目下の予想では
  八九割の減収で殆んど全滅に近いものとされ両村始まって以来の凶作だと云はれてゐる。・・
・膽江の晩稲悲観さる
  膽江地方に於ける遅蒔の稲作は花盛りを控え低温に災ひされ、少なからざる打撃をうけて
  居る。特に山間部の稲は被害甚大で此の天候が尚続けば江刺郡は約一割、膽澤郡は二割位
  の減収を見るであらうと言はれて居る。右について吉田膽江分場長は語る。
   例年今頃の開花期に於ける天候は二十七度位であるのに今年は全く変調な天気で、
   三日の如きは十八度五分といふ低音である。八月上旬以来の天候回復は此の調子だと
   ぬか喜こびに終りはしまいかと心配して居る。天候の事であるから全く策のほどこし様が
   ない。
・けふの天気
  内陸部 南よりの風時々は日も射して暖かくなりますが驟雨の気味もあります。

9月7日朝刊
・けふの天気
  内陸部 西の風晴れ時々曇って驟雨のきみがあります。

9月7日夕刊
・雨もカラリと晴れ 盛岡競馬!始まる
・猿ヶ石川鮎大漁
  鼻曲鮎の本場猿ケ石川の鮎ヤナは二百十日を過ぎても頗る閑散であったが、三日夜来の
  雨で名物の鮎は銀鱗を踊らしてヤナに殺到、五日朝に至って田瀬ヤナでは五百尾、淵のかけ
  では約五百尾、立澤ヤナでは約一千二百尾の漁獲を見た。岩手軽鉄では鮎ヤナ見物の
  団体には特に大割引で歓迎すると云ふので今後鮎見物の人々で相当賑はふことであらう。
  尚、金筋鮎で有名な稗貫川も四日夜からの雨で約七百尾から一千の漁獲があった。
・盛岡気象
  朝の最低温度摂氏十三度六 平年より二度五低い 日中の最高温度 摂氏二二度九
  平年より〇度七高い
・日の出 五時〇九分 日の入り 五時五八分


 なお、各日の紙面は県議選(24日投票)の記事で賑やかです。
 (気温については一部誤植の可能性があります。)

 

村のくらし

 「風の又三郎」の住民達のくらしは、作品内の記述や「種山ケ原の夜」※4に見られる種山ケ原とその周辺の住民との林業的関係などから、総体的に見れば農業を主体とし、ささやかな林業、牧畜、河川漁業、鉱山業などに依存する複合的なものであることがうかがえます。
 4日に出てくる草刈りは飼育用のものでしょう。6日のたばこ畑、12日の一郎のおじいさんの心配の言葉「今日はたばこも粟もすっかりやらえる。」は村の主要な作物を表しているのでしょう。
 ここで特に注意すべきは、作品中に田んぼや稲に関する記述が全く見られないことです。おじいさんの心配の中に稲が入っていないのが目立ちますし、6日の風に関する論争の耕助の言い分の中にも、稲作社会であれば子供であっても風の悪さとして当然真っ先に挙げるべきと知っているはずの稲の倒伏が出てきません。

 東北北部では、明治の中頃まで稗、粟などの雑穀栽培が普通のことでした。「グスコーブドリの伝記」では「沼ばたけ」(水田)での「オリザ」(稲)栽培に苦闘する先端農家の姿を描いています。それは近代日本への脱皮に苦闘する東北地方の姿でもありました。
 山深い山村では稲作への転換はもっともっと遅れたことでしょう。12日、一郎が食べる冷たいごはんは果たして我々の知っている普通の白い米のご飯だったでしょうか。それは大いに疑わしいのです。
 さらに、そんな村々では遠く縄文時代にさかのぼる採集経済につながるくらしの様式の名残をそこここに残していたとも言われています。後期の柳田国男が説いた、稲作を共通基盤とする汎日本的文化はこの当時のそんな村ではいささか影が薄かったといってよいでしょう。
 さて、そういう村での人々の生活とは、自然に密着した生活という言い方よりはむしろ生活そのものが自然の一部であるという言い方で表すのがふさわしいものであったと言わねばなりません。そうして、そのようなくらしの中にこそ現れた「風の又三郎」という見方をすれば、もっと「風の又三郎」の世界の奥深さが見えてくるのではないかと思われます。
 またもう一つ、野山にも生活の中にも、石油プラスチック類の皆無であったエコロジカルに清浄な世界を我々は今本当に思い出してみる必要があります。我々は本当に取り返しのつかないことをしてしまったのではないでしょうか。環境だけではなく精神までも混濁した現代社会の我々とは異なる透明な世界の住人たちの上に現れた「風の又三郎」。その意味を今、果たして本当に理解できる我々であるかどうか厳しく内省してみなければなりません。

 ※ 前身形の「風野又三郎」※5には稲の話は出てきます※6が「風の又三郎」では他の部分でも周到に拭い去られています※7


※1 10000年カレンダー風野又三郎から風の又三郎へ日付の問題
※2 二百十日の計算
※3 作品の成り立ち取材行
※4 作品の成り立ち先駆作品、参考作品紹介
※5 作品の成り立ち先駆作品
※6 参考作品紹介「風野又三郎」を読む・あらすじ9月7日
※7 風野又三郎から風の又三郎へ消えた表現・9月12日


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