2017年6月29日 木 晴れ 旅順観光
市内バスで旅順へ行く。これは土地の人のガイドでないと出来ない。5元。最短距離を最低料金で運んでくれる。途中の風景もゆっくり見れる。
駅前にたむろしていた観光タクシーで予め用意していた目的地を示したら、それ以外を含め定番コースが300元と言う。
1997年、旅順が一般開放されてすぐ来たとき中国人の旅行バスで回ったのだが、その時はコースになかった203高地も、桜の名所としてコースに入っていた。逆に蛇博物館などしょうもない物は除かれている。万忠墓も通常コースには入っていない。
203高地で、タクシーの運転手さんが、「ここで乃木希典の子息が戦死した」というから、「それは南山と違う?」と私が言ったら「南山は長男で、こちらは次男だ」と言う。
ちよっと私がうっかりしたが、彼の言う通りだ。ここは日本人の観光客が多いそうだ。彼は運転だけでない。最高のガイドだ。
水師営は、革命教育施設になっている。ここには日本語を話すガイドが居る。
日本兵とおぼしき人間が、中国人を斬首刑にしている写真があった。
「これ日露戦争の写真?」
「・・・」
ガイドが口よどんでいるから、「抗日音戦争の物かな?」私が一人言のよう言ったら、服装から見ても勿論違うから、ガイドは否定も肯定もしない。
「貴方は南京大虐殺を認めないのか?」と逆質問がきた。
「今日はこの問題で貴女と議論するつもりはない。中国共産党自体が30万の根拠を示したものを私は知らない」
「甲午戦争(日清戦争)では、ここの良民が日本人に皆殺しにされて、今居る人間は皆山東省から来た人間です」
彼女すっかり興奮して、とんでもないことを言いだした。
この地方に山東省から来た人間が多いのは事実だが、それはここが山東省から近いということ(渤海湾の対岸)。それとロシアと日本の関東州の経営の為、ここに多くの労働力の需要があったからに過ぎない。
相手にする気にもならなかったから、関東州の古い地図を求めたら、年配のしかるべき地位のありそうな男性が、関東軍作成の地図を出してくれた。
「関東軍は日本の関東地方の軍隊です」というから、「それは違う。この地図を見たら分かるでしょう。山海関の東だからこの辺は関東州と呼ばれたのです。金州には今も清の時代の関東監督府跡がある。大連も旅順もその所轄下だった」
この明快な説明の前には、男性も「勉強になりました」と頭を下げた。
追い打ちのようになったが、先の女性ガイドに「例の写真の根拠は自分で調べなさい」と言ったら、意外にも素直に「分かりました」と返事した。
なんぼ革命教育施設でも、いや教育施設だからこそ口から出まかせは困る。
昼食をすませ、東鶏冠山、旧表忠塔、旅順刑務所、旧関東軍司令部など回ったら3時近くなった。南山と正岡子規の句碑がある金州に行きたかったのだが、時間がない。
それと、三輪田米山の筆になる「陸軍工兵伍長武智佐太郎之墓」の戦死した小平嶋大白山に行きたかったのだが、私が大臼山と記憶違いをしていたので、分からなかった。実は大連のすぐ近くだ。次に行こう。
夜は、「今日は私にご馳走させて下さい」と小羅君が言うから、「湘菜」(湖南省料理)をご馳走になる。湖南省料理は、四川省料理とならび激辛で有名。
「怕不辣」(辛くないのが怖い)それほどでもないが、私も辛いのは好きだ。
残念ながら小羅君酒を嗜まない。本当は白酒を飲みたかったのだが、ビールで我慢する。美味しかった。
一日孫に手を引いてもらって、ご馳走にまでなって、更にこの後インターネットの碁も勝った。タフな一日が楽しく終わる。
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