の 庭

− 中 篇 −

 律儀に目を閉じて、百を数えた彼は、早速ミルファの姿を捜す事にした。
『どうせ、見つかりっこないんだから』
 その言葉は事実だったらしく、行く先々で出会った人に入っても構わない場所とミルファの行方を聞くのだが、前者はあっさりと答えが返って来るのに、後者は悉(ことごと)く芳しい答えが返って来ない。
 口止めでもしたのか、と疑いを抱きたくなる程に、それは見事な隠れっぷりだった。
 ある女官に至っては、彼がミルファと隠れん坊をしていると聞くや、あからさまに同情する顔をした位だ。
 そして彼女は教えてくれた。ミルファが隠れん坊に関しては、百戦錬磨の強者である事を。
「四つか五つ辺りには、もうすでに無敵だったわ。小さな子供だからって軽く見た訳じゃないわよ? 仮にも皇女様だし、何かあったら大変とそりゃ必死に捜したんだから。でも、どんなに捜しても見つからないのよ。もしかして、何かあったんじゃって皆が思い始める頃、ひょっこり姿を見せて『何で捜しに来ないの』ってお冠になった事だってあったわね」
 道理で自信満々だったはずだ。
 半ば感心してその話を聞いていると、女官がふと思い出したように付け加えた。
「…ああ、そうだわ。そんなミルファ様も、一度だけ見つかった事があるの」
「一度だけ?」
「ええ」
 頷いて、女官はくすりと笑った。
「それが…見つけたのが、サーマ様でね」
「サーマ様…というと…南領妃様ですか?」
 少々意外な名前が出てきて、彼は目を丸くした。
 母親が姿を隠した娘を見つける事自体は、決して珍しい事ではないだろうが、皇妃となると世間一般の母親と並べるのは少々問題があるに違いない。
 彼女達は基本的に自ら子育てをする事はないし、南領妃サーマに至っては、皇帝の右腕として多忙を極める人である。
 そんな彼の驚きに、女官はしたりとばかりに頷いた。
「そうよ。サーマ様は陛下の補佐として動かれていて、御多忙でしょう? ミルファ様を構う事なんて、皆無に近かったのよ。だから見つけて来られた時、失礼な事だけど皆、思ったものよ。── ああ、やっぱり母親だ、って」

+ + +

 女官と別れ、彼は先程の話を思い返しながら、離宮の中を歩いていた。
 南領妃サーマとは、数える程だが面識がある。皇帝が大神殿に自ら出向いた時、やはり補佐として同行して来たのだ。
 皇帝が『神童』と噂される彼に興味を示した結果、主席神官の紹介の元、恐れ多くも直接対面した時の二人の姿は、とても印象に残るものだった。
 ── たとえるならば、『光と影』。
 そこにいるだけで強い存在感と人目を惹きつける輝きを持つ『光』── 皇帝と、その傍らに寄り添い、寡黙ながらもここぞという時はその存在感を見せる『影』── 皇妃。
 夫婦にしては甘やかな雰囲気というものがなかったが、互いに信頼し合っている事は、彼等をよく知らない第三者の目から見てもよく伝わってきた。
 長い皇族の歴史上、皇妃がこのように政(まつりごと)に直接関わった例(ためし)はなく、そのせいでサーマを悪し様に言う人間も少なくなかった事を知るのは、それより後のこと。
 だが、彼等の姿を見た後では、それはただのやっかみにしか聞こえなかった。それ程に二人の有り方は自然だったのだ。
 その時のサーマの姿を思い返してみる。
 美しい黒髪をきっちりと結い上げて、装飾品は必要最小限、衣服もどちらかというと皇妃にしては質素なものだった。
 だが、その姿は幼い彼から見ても美しかった。
 その次に、現在捜しているミルファの姿を思い浮かべ、彼女が母親にそっくりな事に気付き、十年後にはあのようになるのかと想像すると、何だか不思議な気がした。
『ああ、やっぱり母親だ、って』
 ── 血という物は不思議だ。
 それは時として、常識を超えた力を見せる。その繋がりを思い起こさせるように。
(…ミルファ様は、南領妃様に愛されていらっしゃる)
 ほんの僅かな羨望と共にそんな事を思う。
 愛情がなければ、たとえ血が繋がっていようが、誰にも見つけられなかったミルファをサーマが見つけ出せるはずがない。
 ── 彼にも、家族と呼べる人達はいた。五つの年で神殿に上がるまでは、共に一つの屋根の下で暮らしていた人達。
 生まれた場所は、北領の北端に近い小さな村。
 一年の大半を雪と氷に覆われるそこは、当然ながら農作物はよく育たず、貧しい家も数多かった。
(…皆、どうしているのかな……)
 普段ならば思い出す事もない彼等を思い、元気なのだろうかと考える。けれど── そこに慕わしさは欠片もなかった。

『どうせ、いなくなる子じゃないの。神殿に行けば、向こうが立派に育ててくれるわよ。あたしが手をかける必要なんてないでしょ!?』

「── …」
 忘れていたはずの冷たい言葉を思い出して、知らず足は止まった。
 彼が生まれた時、すでに四人の子供を抱えていた母は、彼が聖晶を持って生まれた事を喜んだという。
 ── 何もしなくても口が減る、と。
 堕胎は母体に負担がかかる上に、時として医師の世話になり続ける身体になる事があった。貧しい家に、高価な薬などを買う余裕などない。
 それを避ける為だけに彼を産んだ母には、五人目の子供に対する愛情などなかったのだ。
 その結果、彼は親に構われる事のないままに育った。
 そんな彼を不憫だと、特に可愛がってくれた祖父がいなかったならば、果たして自分は神殿に上がるまで生きていただろうか、とさえ思う。
 彼が神殿に上がったのは、祖父が死んで間もなくの事だ。死の間際まで、祖父は彼に言ってくれた。

『いいか…お前は、神の祝福を受けた子だ。必ず、幸せになれる。幸せになる為に、生まれて来たんだ』

 …同じ子を構わない母親でも、こうも違うのかと思う。
 きっと自分がいなくなったとしても、あの母は自分を捜しもしなかっただろうし、捜したとしても、見つける事は出来なかっただろう。
 憎しみは不思議と感じない。ただ、思い出すと哀しいだけだ。
 あの人達は、自分達が生きるのに必死なだけ。必死な余り、人が持つ柔らかな感情を失くしてしまったのだ──。
 そんな物思いに沈んでいると、背後から静かな声がかけられた。
「…あら、あなたは……こんな所で何をしているのです?」
「…!」
 その声にはっと我に返る。慌てて声の方を向くと、そこには見知った顔の人物が不思議そうな顔で立っていた。
 すっと背筋の伸びた美しい立ち姿。きっちりと結い上げた黒髪に、青みがかった灰色の瞳。その姿を見紛うはずがない。
「── 南領妃様……」
 よもや、会うとは思ってもいなかった南領妃サーマがそこにいた。

+ + +

「── そう…、それであなたがこんな所に」
 事と次第を聞くと、サーマは納得したように呟いた。
 サーマにしてみれば、大神殿にいるはずの彼がこんな所に一人で立ち尽くしていたのだ。何事かと思ったに違いない。
「…それで、見つかりそうですか?」
 やがてサーマは、何処となく悪戯っぽい視線と共にそんな事を尋ねた。
「自ら『見つかりっこない』と仰るだけあって、手がかりもありません。もう間もなく約束の一刻になりますし…残念ですが、私の負けのようです」
 苦笑混じりに答えると、サーマはしばらく考え込むような表情であらぬ方を見つめ、再び目を彼に戻すと、その普段は整いすぎて冷たさすら感じさせる美しい顔に、にこりと笑みを浮かべた。
「では、わたくしが少し手伝ってあげましょう」
「…えっ?」
 不意打ち同然の笑顔に、ただでさえ動揺を隠せなかった彼は、続いたサーマの言葉に驚きを隠せず、ぎょっと目を見開いた。
 ── まるで、何処にミルファが隠れているのかわかっているような、その口振り。
 同時に思い出す。この人こそが、今まで唯一、隠れているミルファを見つけ出せた人だという事を。
「で、ですが…それは……」
 あからさまにうろたえる彼に、サーマは更にくすくすと楽しげな笑い声まであげた。
「な、南領妃様?」
「安心なさい。手伝うと言っても、手がかりをあげるだけです。わたくしが直接捜す訳ではありませんから、不公平ではないと思いますよ?」
「手がかり……?」
「ええ」
 サーマは頷くと、意味ありげに彼を見つめた。
「元々、あなたに不利な勝負です。少し位、この離宮の主たるわたくしが、助力しても構わないでしょう」
「── あの、南領妃様。もしかして…何処にミルファ様が隠れているのか、わかっていらっしゃるのですか?」
 まさかと思いながら尋ねると、サーマはその目を細め、おおよその所は、と答えた。
「女官達から、今まで見つかった事がないと聞いたでしょう?」
「はい……」
「ミルファはおそらく、以前わたくしが見つけた場所にいると思いますよ。そこでなければ、その周辺でしょう。…意外と、盲点ですから」
「盲点……?」
 つまり、見落としがちな所にいるという事だろうか。
 隠れるのに適していそうな場所ながら、その事を失念しがちな場所とは、果たして何処だろう。
 そんな事を考えていると、サーマはきっぱりと言い切った。
「あの子の事です。見つかるまでは隠れ場所を変えたりはしないでしょう」
 そしてその笑みを消し、ぽつりと呟く。
「…誰かが見つけるのを、待っているのかもしれません。そういう所は…わたくしにそっくり……」
「南領妃様…?」
 一瞬見せた切なげな表情を、怪訝に思って声をかけると、サーマは我に返ったように再びその顔に微笑を浮かべ、困惑する彼に告げた。
「『木の葉を隠すなら森の中』── これが手がかりです。急いでお捜しなさい。きっと、ミルファは今頃、待ちくたびれているはずですよ」

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