の 扉

− Epilogue −

 思ったよりも荷物は少なかった。
 人生の半分近くを過ごした場所だが、よく考えれば食うか寝るか以外は物をろくに必要としない身分だ。
 これから季節も短いが美しい夏が来る。冬と違い、装備が少なくなるのはこれから長旅をする身としてはありがたい事だ。
 彼に与えられたのは、宿房の一番上の部屋。当然ながら眺めがいい。
 この景色も見納めか、としんみり眺めていると、扉の向こうからそんな気分を台無しにする騒音が聞こえてきた。
「ル、ルネットさんッ!! まだいますか!!」
 ババンッ、と古い木製の扉を壊しかねない勢いで飛び込んできた人物の額に、ルネットのデコピンが炸裂した。
「うるさい、バウリー。人が折角浸っているのを邪魔しやがって……」
「うう…痛い……」
 額を押さえて蹲(うずくま)る姿を冷ややかに眺めつつ、ルネットは何でこれは暴力行為にならないのかねえ、とどうでも良い事を考えていた。
「ひどいじゃないですか…ルネットさんが出る前に、と思って…折角急いで持って来たのに……!」
 よよよ、と泣き崩れる(嘘泣き)弟分の神官の手に、何やら握られている事に気付き、ルネットはようやく彼を労う事にした。
「それはご苦労」
「それだけですか!?」
 ガーン、とショックを隠さないこの大げさすぎる反応も今日で見納めだ。別になんの感慨もわかないが。
 大体、この自分よりデカい図体という時点ですでに可愛くない。
 その手から半ば奪い取ったのは、自分宛の書簡だった。
(…手紙?)
 両親からも貰った事がない。正確には手紙を受け取った事すら初めてだ。
 見覚えのない字が自分の名を綴っている。なのに── 何故か誰からのものかすぐにわかった。
「…へえ」
 口元が緩むのを自覚しつつ、ポン、とまだ座り込んでいるバウリーの肩を叩く。
「よくやった。ありがとう」
「……」
 笑顔全開のその言葉に、バウリーがこの世の終わりでも見たような顔をして硬直してしまった事は見なかった事にして。
 まとめた荷物を背負い、彼は扉に向かう。
「それじゃ、バウリー。元気で」
「……ハッ! 今…一瞬、違う世界に……」
「……」
 最後の最後に失礼甚だしい発言をかましたバウリーに再び『愛のデコピン』を炸裂させる。
「ったく…僕がいなくなった後はもうちょっとしっかりしてくれよ…?」
「あうう…わ、わかってますよ…ルネットさんも、主神殿に入る以上はもうちょっとこう、大人の知性みたいなものを身に着けた方がいいっすよ?」
「余計なお世話だね」
 ひらりと手を振り、別れを告げる。別れを惜しむなんて性に合わない。
 バウリーもそんな彼の性格がわかっているからだろう、最後は笑顔を浮かべて手を振り返してくれた。
 今まで世話になった神殿の長、主位神官やその補佐などに挨拶して、今までとは逆の方角へと旅立つ。
 目的は北の主神殿。
 その道のりは遥か遠く── だが、かつて齢七歳の子供が旅してきた位だ。大人の自分が弱音を吐く訳にも行かないし、吐くつもりも毛頭ない。
 そこでようやく、書簡を開けた。
 もう少し届くのが遅かったら、この書簡を受け取るのはずっと先になっていた事だろう。
 自分の運の良さと、取り合えず神に感謝して。改めて文面を見ると、子供の文字ながらも、生真面目な性格を表したような丁寧な文章が綴られている。
(── どうやら、うまく大神殿に馴染んだようだ)
 別れの瞬間に、一生懸命に笑顔を作ろうとした幼い顔を思い出す。
 自分でも、どうしていつまでも忘れる事が出来ないのか不思議で仕方がないけれども。
 ケアンと共に旅をしたあの一月に満たない旅が、今の自分に強い影響を与えた事は事実で。
 今ならわかる。ケアンの最強の武器は、その笑顔よりも無意識に人に与える影響力だ。
「…そっちも、頑張れ」
 詳しくは書かれていないが、どうやら何かを見つけたようだ。その事を嬉しく思うし、同時に負けられない、とも思う。
「よっしゃ、行くかー!」
 好奇心が赴(おもむ)くままに。
 解明するかどうかもわからない謎を追いかけて。
 ルネットは北の果てに続く道を歩き始めた。


 Epilogue(完)

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