領 主 夫 人 は 見 習 い 中
− 後 篇 −
「サティン…あの、落ち着いて……? 取りあえず中に入って、ね? 叔父上もご一緒に……」
この騒ぎに気付いていないのか、それとも気付いて気付かない振りをしているのか、周囲に人気(ひとけ)はない。
しかし、この醜態は場合によってはサティンの名誉に関わるかもしれないと思い、ミルファは室内へと二人を招き入れた。
サティンはその間もミルファにしがみ付き、どっちが大人か子供かわからない有様だ。
部屋に入るやいなや、ジュールは重いため息をついた。
「…そろそろ頃合だ。いい加減に諦めろ」
一体何の事かと思うと、その言葉に弾かれたようにサティンが顔を上げた。
「だ、駄目です!」
「いいや…そもそも無理のある話だったんだ。お前が嫌でも私が──」
「いやー! ひどいです、ジュール様!!」
(…何が何やら……)
状況が読めずにミルファは困惑する。
あの惨状とサティンがあのような有様だった事の説明をするだけに留まらない何かがあると言うのだろうか。
そんなミルファの疑問を読み取ったジュールが、疲れたように首を振った。
「お前が自分で言わないのなら、私が言うまでだ。ミルファ、実は……」
「や、だ、駄目ですってば!」
ジュールの言葉を遮ると、サティンはようやくミルファから離れた。
相変わらず化粧の崩れたひどい顔の上に、急いで身につけたからか、それとも途中で転んだからか、乱れたひどい服装だ。
けれどその顔には、何だかこれから戦場にでも向かうような悲壮な決意があった。
「ジュール様に言われるくらいなら、自分で言いますッ!」
きっぱりと言い切ったものの、見た目があまりにひどいので何処か滑稽(こっけい)だ。
その言葉の勢いのまま、サティンはミルファに向き直ると、すっと姿勢を正した。
途端に乱れた服装ながらも、それなりに威厳が生まれる。そのままサティンはドレスの裾を摘まみ、皇女に対する最高礼を取った。
「…サティン?」
今までサティンがそんな事をした事はなく── 同時にミルファは閃いてしまった。
(── まさか)
サティンは頭を下げたまま、緊張の為か震える声で己の正しい名前を告げた。
「…今まで皇女殿下を謀(たばか)るような振る舞い、誠に申し訳ありません。わたしはコーディア…コーディア=サティン=ベルーダ。次期南領主であられる、ジュール様の…その、婚約者、です」+ + +
「…サティンが、叔母上だったの……」
わかってしまうと、何となく裏も見えてくる。
確かに毎日のように顔を見るだろうし、引き合わせるのも無理だろう。何しろ本人なのだから。
「なんでまた女官なんて……」
「そ、それは……!」
最初から『コーディア』として会っていればこんな事にはならなかったに違いなく、ミルファの追求にサティン── コーディアは益々小さくなる。
別に追い詰めたい訳でもないので、ミルファは慌てた。
「何か理由があったんでしょう? 確かにちょっと驚いたけど…別に怒ったりしてないからそんなに恐縮しなくても……」
「いや、自業自得だからそこまで優しくする必要はないよ。ミルファ」
しかし、ミルファの気遣いもジュールは一刀両断する。
「こんな事になると思ったから早く正直に話せと言ったんだ」
「う…だ、だって……」
ジュールの情け容赦のない言葉に、正論だとは思いつつもミルファは気の毒になりつい助け舟を出す。
「叔父上、そんな風に追い詰めたら話しにくいですよ」
「ミルファ様…なんて優しい……」
コーディアはその言葉にじーんと瞳を潤(うる)ませる。だが、付き合いの長さかジュールはそんなコーディアを甘やかさなかった。
「── 私が全部話してしまってもいいのか?」
口調も穏やかで、その表情は特別に険しい訳でもないのに、途端にさあっと音を立てる勢いでコーディアは青ざめた。
「は、話します!」
何となくそのやり取りで普段の二人の様子が垣間見れた気がして、ミルファは思わず二人の将来(主にコーディアの)を心配してしまった。
ミルファが心配するような事ではないのだが、何と言うか…恋人同士の甘さみたいなものがない。
むしろなんだか、師匠と弟子か、保護者と被保護者といった表現の方がしっくり来る。
そういや女官がコーディアが鈍感だと言っていたが、いつもこうならコーディア自身の鈍さがあったとしても、確かに気付きにくいだろうとミルファですら思った。
「その…最初は、ちゃんと『コーディア』としてお目にかかるつもりだったんです」
ジュールの口から明かされるのがそれ程に嫌なのか、渋々といった様子でコーディアは話し始めた。
「そのつもりでご挨拶とか練習したし、ミルファ様の部屋の前まではその気だったんですけど…その…いざ、お目にかかろうとした時に、気付いちゃいまして」
「…何に」
「── 前日にジュール様から挨拶をしておきなさいって言われてから、それはもう緊張していて、夜も眠れなくって…多分そのせいだと思うんですが、普段通りの服で行ってしまったんです……」
言われてミルファはコーディアと初めて顔を合わせた時の事を思い出す。確かあの時、コーディアは領館に勤める女官服を着ていた気がする。
あれが普段通りというのもどうなのだろうと思いつつ、ミルファは言葉を挟めなかった。
「気付いたのがもう、扉を叩いた後で……。女官の格好でご挨拶なんてしたら、ジュール様が恥ずかしいかな、とか…ミルファ様に軽蔑されるかなとかいろいろ考えちゃって…それで……」
そうした結果が、ミルファ付きの女官『サティン』となった訳だ。
「別にそれくらいで軽蔑なんて……」
「はい、実際にお会いしたら…ミルファ様は外見とかで人を判断するような方じゃないってわかりましたけど……。でも、何と言うかその…引っ込みがつかなくなっちゃいまして……!」
── そして今に至る、となるのだろう。事情はわかったが、いろいろと謎は残っている。
おそらく誰よりも事情を知っているであろう叔父に目を向けると、ジュールは何処か疲れたような苦笑を浮かべた。
…コーディアの意志を尊重してなのか、この状況でも説明する気はないらしい。
仕方なくミルファは直接疑問をコーディアにぶつける事にした。
「事情はわかったけれど…何故、普段の格好が女官服なの?」
「え。…わたしが領館の女官だからですけど…何か変ですか?」
まったく疑問にも感じていない様子の返答に、ミルファは唖然とした。
「変って…あなたは将来、南領主の妻となる人でしょう? 何故まだ女官をやってるの?」
婚約までしているのなら、普通ならとっくに女官を退いて女主人として扱われるべきである。
ミルファの言葉にその事に思い当たったのか、コーディアはぶんぶんとものすごい勢いで首を横に振った。
「とんでもないです! わたしは…その、人より鈍臭いし、女官の仕事ですら一人前じゃないんですもの! なのに、みんなに女主人として扱われていいはずがないんです!!」
「じゃあ、さっきの惨状はもしかして……」
「あ、あれは…! その、この頃ミルファ様にかかりきりでしたし、お詫びのつもりでジュール様にお茶をお持ちしたんです。けど…ひっくり返しちゃいまして……。お茶だけじゃなくて花瓶の水まで被ってしまったので、ジュール様が着替えを取りに行って下さったんですけど、その間に少しでも片付けようとしたら…何だかさらに状況を悪化させちゃったと言いますか……」
とんでもない状況を見られた事を思い出したのか、しどろもどろに説明しながらコーディアの顔は今にも火を吹き出しそうなくらいに赤くなった。
「昔から、何故か一つの失敗が大きくなっちゃうんです。本当に自分でも嫌になる位ドジで…だからその、せめて女官として一人前になりたいなって……」
「つまり── 一人前になるまでは、結婚はお預けという事だよ」
コーディアの言葉を一言で簡単にまとめるジュールに、思わずミルファは視線でそれでいいのかと問いかけた。
この調子だと、いつ『一人前』だとコーディアが認めるやらわかったものではない。
けれどおそらくその事も承知で求婚したに違いなく、ジュールはただ苦笑するだけだ。
そんな二人の様子に気付かず、コーディアは必死な様子で言う。
「ミルファ様がこんなわたしなんかを認めたくないと思っても仕方ないですけど、でも頑張りますから!」
何をどのように頑張るのかわからなかったが、握り拳つきで目標を語るコーディアにミルファが言える事はたった一つしかなかった。
「あの…その、…頑張って」
「はい!」
ミルファの言葉を励ましと取ったのか、コーディアは嬉しそうに答える。
── コーディアの言う『頑張り』が、やはり人と何処か微妙にずれていると気付くのに、さほど時間はかからなかったけれども。+ + +
…出会いから、数年の時間が流れて。
「そういや、また届いてましたよ」
ミルファの脈を測りつつ、今ではほぼ主治医と化しているリヴァーナが思い出したように口にした。
主語が抜けていても何かわかり、ミルファは微笑む。
「定期便ね? 机の上にあったからもう見たわ」
未だにコーディアの事をなんと呼べばいいのか悩む。
『サティン』の時のように呼び捨てする訳にも行かないが、叔母上と呼ぶのも何となく違うような気がしてしまうからだ。
「ミルファ様、あまりあれを甘やかさない方がいいです。調子に乗って今では手紙どころか小包のレベルですよ?」
リヴァーナの歯に衣着せない言葉に、ミルファは苦笑するしかない。
「確かにあれには毎度驚くけれど…でもお陰で南領が変わりないってわかるし……」
それにコーディアの便りは、いつも明るい話題や他愛のない話ばかりで、読むだけでも何だか心が和むのだ。
多くの命を預かる責任を、ほんの僅かな間だけ忘れる事が出来る。
それはきっと、コーディアが見返りなど求めず、心からミルファを身を案じて、少しでも厳しい現実を忘れて欲しいと願ってくれているからに違いないのだ。
…ついこの間までは、そんな無償の好意にすら、気付けていなかったのだけれど。
「…ミルファ様とジュール様は変な所でよく似ています。お二人ともあれに甘すぎますよ」
何処か呆れたようにリヴァーナは漏らす。
「そう? 私はともかく、叔父上は結構厳しい事を言っていた気がするけれど……」
「それでも最終的にはわがままを許しているでしょう。…知ってますか?」
「?」
「あれだけ待たせた挙句に、ようやくまとまりかけた婚儀が一度流れたでしょう」
「え、ええ…お祖父様が亡くなったからでしょう?」
コーディアとジュールの婚儀は、本来なら昨年執り行われる予定だった。
だが、ミルファにとっては祖父である前南領主・コリムの体調が思わしくなくなり、結局亡くなってしまった事で、婚儀は一度流れてしまったのだ。
「でも、もうその喪も明けたし……」
言いながらも、そう言えばとミルファは視線を落とす。
喪が明け、ミルファが帝都に発ってから幾度も便りを受け取ったが、そういう話題は一つもなかった。
コーディアが恥ずかしがってそうした話題を避ける事は考えられたが、叔父であるジュールが知らせないはずもない。
何だか嫌な予感がして目をあげると、相変わらずの鉄面皮でリヴァーナは話の続きを口にした。
「…コリム様の喪が明けたら、という約束だった婚儀が遅れているのは、あれがミルファ様が本懐を遂げるまではと言い出したからです」
「ええ!?」
思ってもいなかった事に、ミルファは本気で驚いた。
まさか自分の知らない所でそんな話になっているとは──。
「ジュール様の幸せを考えるなら、ミルファ様から釘を刺して下さい。私から見ても、流石に気の毒です」
「そ、そうね……」
明日にはパリルの街を離れ、帝都へと向かう。
生きて勝利を勝ち取る気はあるが、その保障は何処にもない。万が一があったら、叔父とコーディアは一生夫婦にはなれない気がする。
果たしてなんと返事に書けば良いのかと迷いながらも、ミルファは心を南方に飛ばす。
愛すべき人々がいる。離れても想ってくれる人がいる。それはきっと、とても幸せな事だ。
過去に縛られ、人の好意から目を背けてきた自分に、コーディアもジュールも、そして亡くなった祖父も、惜しげもなく愛情を与えてくれた。
そんな彼等に背を向けて戦いの地へ向かってしまった自分は、これから一体何を返せるだろう?
「返事には…『次に会う時は、一人くらい家族が増えている事を期待しています』って書いたらどうかしら」
「ああ、それはいいですね。いっそ『増えるまでは会わない』くらい書いたらどうです?」
「ふふ…それはいいかもしれないわ」
コーディアの長すぎる見習い期間を終わらせるには、多分それくらいの荒療治が必要に違いない。
そしてそう書く以上、自分は彼等に再び会う為にも負けられない。たとえ、待ち受けるのが『父』であろうとも──。
そして全てが終わったら、今度は自分から手紙を出そう。
今まで与えてくれた事へ感謝を込めて──。
領主夫人は見習い中(完)