領 主 夫 人 は  習 い 中

− 中 篇 −

 コーディアのかつての同僚達から一通りの話を聞き、自室に引き上げつつミルファは軽い疲労を感じていた。
 ミルファが来るとわかっていたからか、女官達はお茶やらお菓子やらを大量に用意しており、さながら盛大なお茶会の様相となった。
 それはかつて過ごした南の離宮の頃を思い出させて、少しだけ懐かしい思いも感じたが── 女が三人いれば姦(かしま)しいと言う。
 女達が五人も六人もいれば、当然賑やかどころではなくなるのが道理である。
 彼女達も暇ではないから、話をしてくれる女官達は入れ替わり立ち代わりと顔触れが変わる。
 その全てから話を聞かされれば、流石のミルファも最後の方では精気を抜かれるような気分になった。
 彼女達は様々な事をミルファに話してくれたが、コーディアについて不思議なくらいに一致するのは、最初に会ったリヴァーナが言った『不器用で学習能力がない』という事だった。
 更に付け加えられた事と言えば『鈍感』という言葉だろうか。
 何でも、コーディアはジュールに求婚された時、まったく気付いてなかったらしい。
 周囲からそれはどう考えても求婚だと言われるまで、本気でわかっていなかったと言う……。
 けれど欠点に思われるそれ等も、彼等は『あれはどうかと思いますよ』などと言いつつも、顔は和やかに笑っているのだった。
 総括すると、欠点だらけだが人望はある、という事になるのだろうか。
 ある年嵩の女官は最後にこう言って締め括った。
『ミルファ様、コーディア様が会おうとしないのを悪く思わないでやって下さい。あれはもう、性格です。決してミルファ様に会いたくないとか、ましてや嫌っているなんて事は有り得ません。これは断言出来ます』
 有り得ないと言い切る言葉に誤魔化しや偽りは感じられず、実際そうなのだろうと信じられた。
 それと彼等がコーディアとジュールの婚約を喜び、応援している事を感じられた事も収穫だった。
 ミルファが想像していたような、誰もが認める完璧な女性とは違うようだが、叔父が選んだ女性が人に愛される人物であった事が素直に嬉しかった。
 そんな人だからこそ、サティンもこんな滅茶苦茶な手段を講じてでも、必死に誤解を解こうとしたのだろう。
(…そうだわ、叔父上には叔母上の話を聞いた事を話しておいた方がいいかしれない)
 サティンの独断に任せてしまったが、そもそもコーディアの事を知りたいと思ったのはミルファだ。
 様々な人々の話を聞き、最初にサティンが推測したように単に気後れや気恥ずかしさからミルファの前に出て来れないと言うのなら、本人が心を決めるまで待とうという気持ちになっていた。
 コーディアがなかなかミルファの前に姿を見せない事を申し訳なく思っているようだし、その心配はいらないと伝えればジュールの気も楽になるような気がした。
 ジュールの執務室はここからさほど離れていない。我ながら良い考えのような気がして、ミルファは自室に向かっていた足をそちらに向けた。

+ + +

 以前教えられ、幾度か実際に訪れた事のあるジュールの執務室まであと僅かという所で、ミルファは足を止めた。
「……?」
 気のせいだろうか。今、進行方向で何かが割れる音がしたような──。
 廊下にはミルファの他に人気(ひとけ)はない。そこに並ぶ扉はどれも重厚で、閉め切られた状態では中のちょっとした音は聞こえないだろう。
 微かでもミルファの耳に聞こえたのだとしたら、相当大きな音だったと考えられるが──。
 しかし何処から聞こえたのか定かではなく、しばらく待っても変化がなかったので再びミルファは歩き始めた。
 南の領館の中とは言え、完全に安全ではない事はわかっている。
 何処に父である皇帝の間諜(かんちょう)が潜んでいるかもわからない。もちろん、何かある前に自身を守る呪術師── ザルームが対処するに違いないが。

 ガシャン、パリーン!!

「!!?」
 再び割れるような音が響いた。今度は続けざま、しかも音の発生源は聞き間違えようもなく、目と鼻の先にあるジュールの執務室からだ。
 更に女官らしい人物の悲鳴のような声まで聞こえた気がして、ミルファの心に緊張が走った。
(まさか、叔父上の身に何か!?)
 ミルファにとって、現領主である祖父コリムも、母の弟であるジュールも大切な存在だ。
 血の繋がりがあっても、一月ほど前に初めて顔を合わせた彼等に対して、まだ『肉親』であるという実感は薄いが、それでも万が一でも自分の為に彼等が傷つく事はあって欲しくないと思っている。
 ミルファは反射的に走っていた。ザルームを呼ぶという選択肢すら忘れて、叔父の身に何があったかを確かめねばと思ったのだ。
 ジュールの執務室へと辿り着き、ミルファはその扉に手をかけた。
 一瞬、ノックをすべきか悩んだが、もし非常事態なら相手を怯(ひる)ませる事が出来るかもしれないと考え、そのまま勢いよく扉を開く事を選んだ。
「叔父上、大丈夫ですか!?」
 中に飛び込み、ミルファは言葉を失って固まった。
 ジュールの部屋は予想以上に散々な有様だった。
 部屋の隅に置かれた花を活けた大きな花瓶は、原型を留めない無残な姿を床の上に晒(さら)し出し、中に入っていたであろう花も中の水ごと飛び散っている。
 その巻き添えを食ったのか、それともこちらが元凶だったのか、磨かれた木の小卓もかつて記憶にあった位置から相当離れた位置で転がっており、瀟洒(しょうしゃ)な意匠の足が一本折れていた。
 更に執務机からも積んであったと思われる書類が、崩れ落ちて盛大に散らばっており、まるでこの部屋だけ嵐が訪れたのかと思えるような状態だった。
 ── が。
 ミルファが固まったのは、決してそれらだけが原因ではなかった。
「…ミ、ミルファ様……!」
「サティン……?」
 そこにいたのは、先程別れたサティンだった。
 サティンとて、この南の領館に仕える女官だ。ジュールの執務室にいてもなんら不自然な事はない。
 ない、はずなのだが──。
 だが…その格好はと言えば、半ば脱ぎかけの下着同然。明らかに不自然以外の何物でもない。
 何があったかはわからないが、朝はきちんと結われていた髪も若干乱れており、気のせいか目も涙で潤んでいるように見える。
 ミルファはなんと声をかけて良いのか心の底から悩んだ。サティンもそうなのだろう。完璧に凍りついた顔は血の気がない。
 お互いに見つめ合いながらも、互いに黙り込む、なんとも奇妙な間が生じた。
 別の意味で一触即発なぎこちない沈黙。それを破ったのは、その部屋の本来の所有者だった。
「ほら、誰かが来る前に早く服を──」
 荒れた部屋の奥、控えの間と思われる場所から現れたジュールは、入り口にいるミルファの存在に気付かずに室内に足を踏み入れ── ミルファの姿にぎょっと目を見開き、言いかけた言葉を飲み込んだ。
 その手にあるのはどう見ても女物の服──。
 …この状況で普通、連想する事は一つしかない。
 ミルファの白い顔はたちまち赤く染まった。すぐさま身を翻(ひるがえ)し、廊下に飛び出す。
「ご、ごめんなさい!!」
「え…ミ、ミルファ!?」
 後ろ手で扉を閉めるのも慌しく、ミルファは謝罪もそこそこにそこから逃げ出した。
 背後からジュールとサティンが何か叫んでいるような気がしたが、ミルファの耳には届かない。
(そ、そんな、叔父上とサティンが? いやでも、叔父上には叔母上が…でも、話を聞くように状況を作ったのはサティンで…ど、どういう事……!?)
 ── こと、男女の事に関してはミルファは疎(うと)い。
 南の離宮でも使用人達の間で恋が芽生えたり、付き合ったり離れたり、結婚したり子供が生まれたり── そういう事はあった。
 あったのだが、ミルファは子供だったし皇女という身分もあり、直接そうした話を耳に入れるような事は有り得なかった。
 皇女の身であれば、将来が恋愛結婚である可能性も皆無に近く、あえて遠ざけていた部分すらある。
 故に、刺客に襲われる時は冷静でいられるミルファも、勝手が違う今回ばかりは混乱に陥るのも無理はなかった。
 皇女殿下が廊下を疾走(しっそう)するなどと思わない使用人が、素晴らしい速度で駆け抜けていくのを目撃し、何事かと目を丸くする。
 無意識に自分の部屋に向かい、そこに飛び込んでようやくミルファは足を止めた。
 まだ顔は火照(ほて)っている。ずるずると腰が砕けたように、ミルファは放心したまま床に座り込んだ。
 一瞬、ザルームに助言を求めるべきだろうかと考えたものの、果たして何に関して助言を貰えば良いのかわからなかったので自分で却下する。
 どの位そうしていたのか、やがて何処かからバタバタと走ってくる音が聞こえてきた。
 乱れた足音は唐突に激しい物音と共に途切れ、再び復活する── どうやら転んだようだ。
 やがて足音の持ち主はミルファの部屋の前で足を止めた。
「…ミ、ミルファ様!!」
 予想通り、その声はサティンの物だった。
 走ったせいなのか、それとも取り乱しているのか── おそらく、両方だろう── もつれる口調には焦りがあった。
「誤解なさらないで下さい! わたしは潔白です!!」
 今にも泣きそうな声で紡がれる言葉に、ミルファは首を傾げた。
(…潔白……?)
 という事は、先程のアレはなんだと言うのだろう。そこに追い着いたのか、ジュールの声が重なる。
「ちょっと待て、潔白ってなんだ。あれをやったのはお前だろう」
 その憮然(ぶぜん)とした声に、ミルファの頭は更に混乱した。
(え、やっぱり何かあったの??)
「ジュール様は黙ってて下さい! これはわたしとミルファ様の問題ですわ!」
(ええ? 私にも関係が?)
 仮にも次期領主であるジュールをサティンは怒鳴り飛ばすが、余計に事態を混乱させるだけだった。
 おそらくこの場でもっとも冷静であろうジュールが、扉の向こうで深々とため息をつくのが聞こえた。
「…ミルファ、これには少々事情があるんだ。説明するから、顔を見せてくれないか?」
 何処か懇願する響きのある声に、ミルファも少し落ち着きを取り戻した。
 全力で走ったせいで乱れた髪と服を簡単に調え、一度深呼吸する。
 確かに扉越しの会話は周囲にも聞かれかねない。内容次第だが、お互いにとって良い事はないだろう。
 意を決して扉を開くと、そこには涙で化粧が崩れてひどい顔になったサティンと、疲れた表情のジュールがいた。
 ミルファの顔を目にし、サティンの目に更なる涙が溢れ──。
「うわーん、ミルファ様ー!!」
 叫ぶと同時に、体当たりする勢いで抱きつかれた。
「サ、サティン!?」
 うろたえつつも受け止めるミルファに、サティンは涙ながらに謝罪を繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい…こ、こんなつもりじゃなくて……!」
 子供のように泣きじゃくるサティンに、ミルファはどう応えていいのかわからなかった。
 救いを求めてジュールに目を向けると、その顔は苦笑を浮かべているが、助けてくれる気はないらしい。
「わ、わたしの事、き、嫌いになりました!? そうですよね、そう思いますよね、でもでもわたしはミルファ様が好きですー!!」
 サティンはまだ混乱している。まるで愛の告白めいたその言葉をどう受け止めてよいのか、更にミルファは困惑した。

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