天 秤 の 

第ニ章 騎士ルウェン(2)

 ── 暗い……。
 俺は、一体どうなっているんだ?
 もしかして…死んだとか。
 ……。
 ま、それも有りかもな。かなり無茶したのは、自分でもわかってるし。
 大概、悪運の強い俺だが…流石に今回ばかりは自信がねえ。
 ── という事は、あれか?
 その内、この暗さが明るくなって…川岸とかお花畑とかに……

「…不気味な子だよ。他の家族は皆、助からなかったんだろ? なのに…あの子だけ、ピンピンしてるなんてさ」

 …──。

「家族だけじゃねえ。赤熱病でやられたのはあの集落全部だ。── あのガキ以外は全滅さ。神の加護だって言ってたヤツもいたが…とんでもねえな。オレには、あのガキこそが疫病神にしか見えねえよ」

 ── クソ、よりにもよってこんな事を思い出すなよ、俺!!

「ねえ、アンタ。気付いたかい? あの子の目…普段は赤紫だけど、時々それが真っ赤になっている事があるんだよ。それこそ、血みたいな…そんな色の瞳なんて、聞いた事ないよ。ああ…薄気味悪い。何だってうちがあんな子の面倒を見なきゃならないのさ。いくら血縁があるったって…あんな不気味な子、うちに置いておくだけでも嫌だよ」
「全くだ。ちょっと不憫に思って引き取ったが…あのガキ、本当に姉貴の子なんだろうな」
「!? アンタ、それどういう意味だい?」
「言葉の通りだよ。確かに、姉貴から『ルウェン』って名前のガキが生まれたって知らせは貰ったさ。でも、直に会った事なんて赤ん坊の頃だけなんだ、本当にそのガキかなんて証拠は何処にもねえ……」
「…そんな……。でも、もしかしたらそうかもしれないよ…? だって、あの子…泣きもしないんだ。実の親が死んだってのに、恋しがりもしない…本当に人の情があるんなら、涙の一つくらい、見せるもんじゃないのかい……!?」

 …うるせえ。
 人の気も知らないで、好き勝手言いやがって……!
 俺だってな、こんな目に遭うんなら、親父達と一緒にくたばっちまいたかったさ!
 でも、仕方ねえだろ……!?
 …それでも、俺だけ、生き残っちまったんだから…──。

「すごいのね、ルウェン。まだ十…二くらいよね。それなのに、あのガーディを一人で仕留めてしまうなんて!」
「ちょ、ちょっとエリン! あの子を褒めたりしちゃ駄目よ!!」
「そうよ! そんな事したら村長に睨まれるわ。あそこの家の預かりになってるけど、皆、あの子の事を疎んじてるんだから……!」
「どうして? あなた達も見たでしょ? すごかったじゃない。なのに何で、疎んじたりなんて……」
「すごい? …あたしは怖いわよ。まだあんな子供なのに、ガーディを一人で倒すなんて…人間じゃないみたい」
「あたしもそう思うわ。だって今まであの子、武器なんて触った事もないはずなのよ? 呪術師さまの助力があったにしたって── 普通の子供とはとても思えないわね」
「二人ともひどいのね! 結局、それだけルウェンに才能があるって考えられないの?」
「エリン…あんたは最近この村に来たから知らないのよ! あの子にはね、『化け物』だって噂があるんだから…!」
「取替え子という話もあるわ」
「呆れた。ただの噂でしょ? なに? あの子が人を襲ったりした事でもあるの?」
「そ、それは……」
「やっぱり。根も葉もない噂であんな子供を判断するなんて、間違ってるわ」

 ── …エリン。
 引き取られた村で、初めて俺に笑いかけてくれた人。
 誰もが距離を置いていた俺に、まるで弟に対するような態度で接してくれた──。
 …でも。

「…い、いや……こ、こっちに来ないで……!!!」

 怯えきった瞳。震える声。── 拒絶。
 差し伸べた手は真っ赤に染まっていて、それを見つめるエリンの顔には恐怖しかなかった。
 …ただ、助けたかっただけなんだ。
 笑いかけてくれたのが嬉しくて、話しかけてくれたのが嬉しくて── よくやったと褒められたくて。
 今なら、どんなにエリンが怖い思いをしたのか、わからないでもないけど。
 ── 一緒に出かけた、森の中。そこでガーディの群れに襲われた。
 肉食の獰猛(どうもう)な獣── 『森の番人』と呼ばれる生き物。普段は群れで行動していて、もし囲まれたらまず命はないと言われていた。
 …エリンが死ぬのは、間違っていると思ったんだ。
 彼女は親切で優しい、聡明な人で。俺にとっては、まるで神様みたいな存在で── だから無我夢中でガーディにナイフを向けた。
 その時、俺は確か十四になるかならないかだったはず。
 普通なら、歯が立たないばかりか、あっという間に噛み殺されていただろう。そんな事はわかっていた。それでも戦いを挑んだ。
 ── あの人を助けたくて。

「…可哀想に……。エリンはショックで寝込んでしまったそうだ」
「無理もないよ。…ガーディのあの有様を見たかい? …どれも首を掻き切られていた。あんなの、人間の出来る事じゃない…やっぱり、あれは化け物なんだよ……! 人の皮を被った、化け物に違いない……!」

 …戦いの一部始終を見ていたエリンは、その時の精神的なショックで寝込み、数日声も出なくなっていたらしい。
 笑顔はもう俺に向けられる事はなく、結局、顔を合わせる事は二度となかった。
 ── その後、すぐ俺が村を出たからだ。
 エリンの顔を見るのが怖かった。あの人にまで、『化け物』と言われてしまいたくなかったから。
 …今にして思えば、あれが俺の初恋だったのかもなあ…── 人妻だったけど。
 ああ、何だってこんな事を思い出さなきゃならねえんだよ。
 最後くらい、心穏やかに逝かせてくれたっていいだろう?
 やっと…終わるんだ。もうこれで、化け物扱いされる事だってなくな── …

『…死ぬなよ、ルウェン』

 ……。

『── 私に剣を預けた以上、簡単に死ぬのは許さないからな』

 …ああ、そうだった。俺にはまだ、やらないとならない事があったんだ。
 悪ぃ、殿下。忘れて死ぬ所だったよ。…あんたの亡骸に、自分で誓ったのにな。
 ── 実はさ。
 俺、『死ぬな』って言われたの、あの時のあれが初めてだったんだよ。
 命を惜しんで貰ったのなんて── 役立つって言われたのも、あんたが初めてだったんだ。
 …すげえ、嬉しかったんだぜ? 傷だらけで死ぬ程痛かったけど、あの時は痛みも忘れていた。
 あんたの騎士になれて、俺はなんて幸運なんだって本気で思ったんだ。はっきり言って、生まれて初めて、生きてて良かったと思った。
 ── だから、あんたにだけは生きていて欲しかった。
 あんたを守って死ぬなら、化け物って言われながらも生き延びてきた俺の人生も、捨てたもんじゃねえって思っていたんだ。
 なのに…何で──。


 …何で、死んじまったんだよ……!!

+ + +

「…ッ」
「── あ。目が覚めました?」
 重い目蓋を開くと同時に、すぐ横から明るい声が飛んできた。
 つい先程まで重苦しい悪夢に苛(さいな)まれていた彼は、面食らってその目を見開いた。
 開けた視界は片方が塞がっていて、益々彼を混乱させたが、その事に関してはすぐに負傷していた事を思い出す。
 ── これは魔物にやられたのだ。
 そこで数度、開ける方の目だけで瞬きを繰り返し、それからようやく詰めた吐息を吐き出すと、声が再び話しかけてくる。
「ごめんなさい! もしかして、驚かせちゃいましたか? …心臓、動いてます?」
「……」
 口調と声はきゃぴきゃぴと少女特有の明るさに満ちていたものの、その言葉には微妙に似つかわしくない言い回しが混じっていたような気がして、彼は眉根を寄せた。
 声に聞き覚えはまったくない。
 一体何者だ、と声のした方へ無事な方の目を向けると、そこにはまだ十代前半と思われる少女が、にこにこと笑って寝台の上の彼を見下ろしていた。
 首の中頃で切り揃えられた黒髪に、緑がかった薄茶の瞳。やはり面識はない。白を基調とした飾り気のない服装からして、医師の手伝いか何かだろうか。
 見覚えのない顔に、見覚えのない部屋。
 今、自分が置かれている状況がわからずに彼は顔を顰(しか)めた。
「…こだ……?」
 ここは何処だと問いたかったが、からからに乾いた咽喉からは掠れた声しか出て来ない。
 だが彼の言わんとする所は伝わったのか、少女はその大きな目を細めて、はきはきとした口調で彼の疑問に答えてくれた。
「ここは南領の都ライエですよ、兵士様。ライエにある南領主の館の一室です」
「…イエ……? じゃ…お、れは……」
 ── 目指す場所へと、辿り着けたのか。
 言葉の後半は言葉にならず、半ば信じられない思いで、彼はそろそろと自分の右手を持ち上げた。腕一本持ち上げるだけなのに── しかも自分の腕だというのに、それは錘(おもり)でも詰めているかのように重く、彼は心の内で軽く舌打ちする。
 一体、どれ程寝ていたか知らないが、すっかり身体が鈍ってしまっているようだ。
 傷だらけだったそこは、今はきちんと手当てされ、清潔な包帯が巻かれている。その白さにようやく現実感を取り戻すと、彼は再び少女に尋ねた。
「…俺は── どれ位、寝ていた?」
 まだ僅かに掠れる声で尋ねると、少女は三日です、と答えた。
「医師様も施療師様も、驚かれていましたよ? …獣並みの回復力だって」
 くすくすと笑いながらの言葉に、彼は眉間に皺を寄せる。
 果たしてそれは褒められているのか、それとも貶(けな)されているのかわかったものではない。
 だが実を言えば、そう言われるのは初めての事でもなかった為、そこまで腹は立たなかった。むしろ自分でも、よくぞ三日で目を覚ましたものだと感心する程だ。
 ── 目を覚ますまでの記憶はあやふやで、ろくな事を覚えていない。ただひたすらに、ライエを目指していた以外には。
「それだけ話せるのなら、もう大丈夫ですね。ここに痛み止めを置いてあります。もし、痛みをひどく感じたら一粒飲んで下さい。いくら痛くても、飲みすぎは厳禁ですよ? 包帯も絶対に自分で勝手に外さないこと。あと、医師様の許可が下りるまでは絶対安静! …わかりました?」
 年齢に似合わない、実にてきぱきとした口調で指示してから、少女はようやく思い出したように自分の名を名乗った。
「忘れてました。あたしはここで施療師見習いをしているフィルセルといいます。フィルセル=リッド=マグリス。顔見知りは皆、フィルって呼びますから、お好きな方をどうぞ」
 そう言って、少女── フィルセルはにっこりと笑った。
 それは随分と久し振りに見る好意に満ちた笑顔で、彼は知らずそれに見入っていた。よく考えると、フィルセルくらいの少女と言葉を交わすのも、相当に久し振りだ。
「あなたが動けるようになるまでお世話をします。何かあったら気軽に呼んで下さいね。…兵士様のお名前も伺っていいですか?」
 無邪気な言葉に、彼もつられたようにその強張った顔に笑みらしきものを浮かべた。笑い方を忘れていなかった自分に少し驚きながらも、彼は自分の名を口にする。
「…俺は、ルウェン、だ。ルウェン=アイル=バルザーク。しばらく、世話になる。…よろしくな、フィル」

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