天 秤 の 

第四章 呪術師ザルーム(11)

「── ッ、よっしゃ来た!! 上がりィッ!!」
 パシイッと、カードを台に叩きつける軽く鋭い音と共に、息の詰まるような緊迫した空気をを破ったのはそんな声だった。
 それを共に、周囲からおおー! と野太い声が上がる。
 結局、ルウェンが何とかわざとらしくなく負ける事が出来たのは、負けようと決めてから数ゲーム後の事だった。
 意識して負ける事がこんなに難しいなんてどうなっているんだ、と自分の強運に文句をつけたい位に疲れていたが、これでようやくこの場から解放されるというものだ。
 やれやれ、と心の中でため息をつきながら、ルウェンはすでに勝者に決まっていた男に顔を向けた。
「…じゃあ、罰ゲームとやらを聞こうか」
 歌えやら踊れやら、ともかく思いつくままに無茶な罰ゲームを適当に命じた身である。負けると決めた時点で、それなりの覚悟はしていた。
 負けてじたばたと往生際の悪い言動をする者もいる中、ルウェンの態度は傍目には非常に男らしく見えたが、それがこの場から解放される為の苦肉の策だとはとても人に言えない話である。
 だが、ネタが尽きつつあるのは誰しも同じだった。勝った男は思案顔であれもなーこれもなーと悩んでいる。
 赤い顔を見るに、酔いも彼の思考がまとまるのを妨げているようだ。
 その内、痺れを切らした者からさっさと決めろ、だの野次が飛び始める。これにはルウェンも同感だった。
(…いやもう、何でもいいんだけどな……)
 もしや、自分に対して何か遠慮でもしているのだろうか。だとしたら、一言そんな必要はないとでも言ってやるべきかもしれない。
 そんな風にルウェンが考えていると、男はようやく何か思いついたらしい。
 酔いが漂う、ルウェンより二つばかり年上の男の顔に、にんまりとした笑みが浮かんだ。
「決めましたよ、ルウェン殿」
「…聞こうか」
 頷きつつも、何となく引き気味になる。何だか、やたらと嫌な予感がするのは何故だろう。
 しかし、受けると決めた以上は黙って聞かねばなるまい。
 周囲も何が出るかと、ごくっと咽喉を鳴らして男の発言を待つ。やがて男は、浮かれた顔でこれぞ妙案とばかりに、ルウェンに対する罰ゲームを命じた。


「── 愛の告白をして下さい。ミルファ様に」

+ + +

「── …はい?」
 一瞬、思考が飛んだ気がする。
 余りにも予想外の、しかも突拍子もない事を耳にしたせいだとは思うが、聞き返さずにはいられなかった。
 そんなルウェンの状態に気付いているのかいないのか、男は今にも鼻歌を歌いかねない上機嫌で繰り返した。
「だから、告白ですよ、告白」
「誰に」
「ミルファ様以外に誰がいます?」
 ・・・・・・。
 しばし、沈黙が漂い。
「ま── まてまてまてマテ待てッ!!! あんた、気は確かかッ!?」
 ようやく言わんとする所を理解したルウェンは、血相を変えて問い質した。
 冗談も言っていい事と悪い事があるのは、当たり前で。今回のは、冗談にしてはあまりにも性質の悪いものだった。
 ── が。
 焦るルウェンに対し、男を含めた周囲の反応は、妙に和やかなものだった。
「お前ー、策士だな! 見直したぜ!!」
「こりゃいいわ、ははははは!!」
「やるじゃん!」
「ルウェンさん、頑張って下さいね!」
「ミルファ様を幸せにして下さい! 俺ら、応援してるッス!!」
「はあああ!!?」
 てっきり、周囲が止めるなりすると思っていたのに、むしろ逆にそんな罰ゲームを考えた男を褒め称え、こちらには応援までも送ってくる始末。
 咄嗟に反論も出て来ず、ルウェンはパクパクと酸欠状態の魚よろしく、開いた口が塞がらなくなった。
「── ちょ、ちょっと待て。一つ聞きたいんだが……」
「はい?」
 魔物を前にした時だって、これ程に動揺しなかった気がする。それ程にくらくらする頭を抱えつつ、それでも何とかルウェンは言葉を押し出した。
「…何で俺が、ミルファ様にあ、ああ、『愛の告白』なんぞを……?」
 動揺の余り、声が幾分上ずっている。
 彼にしては珍しいうろたえようだったが、男は面白がる訳でもなく、笑顔のままあっさりと答えた。
「何でって、罰ゲームだからでしょ」
「いや、だからそうではなくてだな。…告白までは、まあ良しとしよう。それはいいとして…なんで応援までもされねばならないんだ。罰ゲームなんだろう??」
 お遊びの延長で、徒(いたずら)にやって良い事とはとても思えなかった。何しろ相手が彼が忠誠を誓い、剣を預けるミルファである。
 あのミルファの事だから、まかり間違って本気に取られるという事はないだろうが、この手の事を笑って流してくれそうな感じもしない。
 昼間の様子を思い出す。
 初恋の相手ですか、と尋ねた時のあの素直過ぎる反応。今までの状況を鑑みても、明らかに恋愛慣れしていないのは明らかで。
 せめてこちらが本気ならばまだいいが、こちらには忠誠心はあっても恋愛感情は欠片もないと来ている。
 だが。
 男を筆頭に、この場にいる人間はどうもその辺りを勘違いしている気がしてならない。
「言っておくが、俺はミルファ様に忠誠を誓っちゃいるが、それ以上の感情なんてないんだぞ?」
 念の為にあえて口に出して強調するが、周囲の態度は大して変わらなかった。
 適当に酒が入っている者が混じっているせいか、それとも元々そういう性格の者ばかりなのかは不明だが、ルウェンのその発言にむしろ周囲の熱意は増した。
「流石は騎士殿、愛よりも忠義…泣かせるなあ!」
「ルウェン殿、心配なさらずともこの場の事は皆、胸の内に仕舞いますから!」
「そうとも! ですから自分に正直になっていいんですよ!!」
「大丈夫ですって、お二人ともお似合いですから!!」
「実は結構前から、俺達話してたんですよ」
「そうそう、皇女様と騎士なんて、まるで御伽噺みたいな絵になる組み合わせだよなって」
「俺達はルウェン殿の味方です!」
「だから何でそうなるんだ!?」
 一方的な言葉の数々に、くらりと眩暈を感じた。
 今の言い様では、まるで自分が叶わぬ想いを秘めつつ、一人耐えているようではないか。
 ── 自分で言うのもなんだが、なんて柄でもない設定だろうか。
(この状況…前も何処かであったよーな……)
 混乱する頭を抱えながら、ふとルウェンは思い出した。
 あまり思い出したくない記憶の為、過去の事にしてしまっていたが、南領に満身創痍で辿り着き、フィルセルの監視の下、領館の世話になっていた頃。
 自分が知らない間に妙な噂が立っていた事があった。
 最終的にその噂は自然消滅したようだが、その件で南の人間が余所の人間も割と好意的に受け止める傾向がある一方で、知らない所で勝手に話が一人歩きする傾向もある事が判明した。
 ── 今回はむしろ、話が一人で歩き回るどころか、無駄に大きくなっている気がするが。
 今までの間に帝都や西領からも人々が加わり、この反乱軍も南領の人間ばかりではなくなったはずなのだが、彼等に皆が感化されてしまったのだろうか。
(…ど、どうしたらいいんだ……)
 正しく、孤立無援。だが、だからと言ってこの罰ゲームだけは何としても避けねばならない。
 ミルファの事が嫌だとかそういう事ではなく、ここでこのままこの罰ゲームを受けでもしたなら、ミルファにまで迷惑がかかるのは必至だからだ。
 昼間のやり取りを抜きにしても、今まで接しているからわかる。ミルファも自分に対して、そういう感情は抱いていない。
(仕方がねえ……)
 ルウェンは一か八かの勝負に出た。
「…わかった、お前等の気持ちはよくわかった」
 ルウェンのこの言葉に、おおッと歓声が上がった。予想していた反応だが、そんなに期待に満ちた顔をされても困る。
「だがな、よく考えろ…相手はミルファ様だぞ? こんな罰ゲームなんていい加減な切っ掛けで告白するなんて許されるのか?」
 彼等のいずれもが、完全にふざけている訳ではない。純粋にミルファの幸せを望んでいる者も、南領の人間を中心に少なからずいた。
 故にルウェンのこの言葉に、盛り上がっていた空気は幾分沈静化した。
 男に乙女心なぞ理解は出来ないが、確かにカードゲームの罰ゲームで告白されるというのは、夢も何もあったものではなく。
 劇的というものから、むしろ正反対のものである事に気づいた彼等は、各々考え込むような顔になる。
 その顔を見ながら、最後の一押しとルウェンが放り投げた言葉の爆弾は、的確に彼等の盲点を突いた。
「第一、お前等…俺が断られる可能性を考えてねえだろ」
「…うぅっ!?」
「そ、そう言えば……!」
「でも…、ルウェン殿といる時は和やかな感じだし、なあ?」
 今更ぼそぼそと話し合う彼等に、やれやれと心の内でため息をつく。── が。
「…わかりました」
 仕方がないと言わんばかりの顔で、罰ゲームを命じた男が引き下がったが、すぐにその顔は先程の『何だか嫌な予感』を感じさせる笑顔になった。
 そして。
「じゃあこうしましょう。ミルファ様に、もう一度剣の誓いをやって下さい」
「…へ?」
 よもやそう来るとは思わなかったルウェンは、間抜けな声を上げた。
 告白に比べればまったく簡単な事ではあるけれども、基本的に一人の主に一度きりのものとされるものである。
 確かにあの口上も、改まってするには『愛の告白』と大してレベルが変わらない恥ずかしいものではある気がするのだが。
「…何でまた、もう一度なんだ?」
 異存と言うよりは素直な疑問から尋ねると、男はにやりと笑って言い放った。
「まあ、俺がセイリェンで見てないからと言うのもあるんですけど。一応は保険です。あれも一生もんの誓いなんでしょ? …その内、ちゃんと『愛の』誓いをしてもらいますから」
「── ……マテ」
 その言葉に周囲が再び盛り上がった事は言うまでもない。

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