天 秤 の 

第四章 呪術師ザルーム(10)

 パリルの夜は日没と共に静寂に包まれる。
 人が戻ったとは言っても、以前と同様とはゆかない。一度は完膚なきまでに滅んだ街である。
 昼間は復旧作業などで活気があっても、夜に出歩く者誰一人としていない。
 半月が経ち、彼らが多くのものを失った夜の記憶は薄れつつあるが、心に受けた傷は簡単に癒えるものではなかった。
 ひっそりと、まるで声を潜めているように静まり返る街。そんな中、一箇所だけ明るい声で賑わう場所があった。
 身体が鈍らないようにと軽く剣の素振りをして、自分に与えられた部屋に戻ろうとしていたルウェンは、その声を聞きつけて首を傾げた。
 どうやら不寝番をする兵士達に与えられた小屋からその声はするようだ。
 日中は作業に追われ、それなりに疲れている彼等が何をそんなに盛り上がっていると言うのか。
 本来ならルウェンも彼等のように、交代で不寝番に就くべきなのだが、皇女ミルファ直属という立場により免除されていた。
 …そのせいで、同世代の人間と接する場がさらに減ってしまった訳だが。
 しばし考えたルウェンは、まだ寝るには早いよな、とその小屋に向かった。近付くと小屋の中から漏れ聞こえてくる声の中身もそれなりに判別がつくようになる。
「…──ス」
「ま…か? もう…ない……」
「うるさい! …だよ、…った奴……」
「お前…ろ」
(…何やってんだ?)
 しかし、やはり扉越しでははっきりとは聞き取れない。
 興味を抱いたルウェンはしばし扉の前で考え込むと、やがてにやりと笑い、徐にその扉を開いた。

 バンッ!!

「!!」
「やべっ!?」
「か、隠せ……っ」
 ドアを開けた人物が誰かも確認せずに、彼等はわたわたと挙動不審な行動を取る。
 小さな木のテーブルの上には、隠しそびれた何枚かのカードが散らばっていた。
 どうやら交代までの暇潰しにカードゲームに興じていたようだが、それだけでないのはその場に漂う匂いで知れた。
「…お前ら、酒飲んでるな?」
 一体何処からそんなものを、という気持ちで思わず呟くと、ようやく扉を開けたのがルウェンだと気付いたのか、益々彼等は慌てふためいた。
「ル、ルウェン殿!?」
「うわわ、あの、その、これはですね……っ」
「ほんの出来心なんです!」
「スミマセンッ」
「…いや、別に責める心算(つもり)はこれっぽっちもねえんだけど……」
 あまりにも恐縮されて、ちょっと驚かせてやるかと、半ば悪戯心でドアを開けたこちらが悪い事をした気分になる。
 彼らにして見れば、『英雄』であるルウェンにとんでもない所を見られた気持ちなのだが、今でこそ特別扱いだが、まだ帝都にいた頃はルウェンも『若気の至り』でいろいろやって来た身の上である。
 改めて周囲を見回すと、思った通り比較的若い者ばかりだ。多少羽目を外してしまっても、当然だと言えるだろう。
 それに、こんなにのんびり出来るのも今の内だけなのだ。帝都への進軍が始まればこうは行かない。
 なるほど、とルウェンは納得した。
「…どうもこの頃、寝不足の奴がいるなと思ったんだ」
 少々呆れの混じったその言葉に、彼等の顔にバツの悪そうな苦笑いが浮かぶ。
「済みません、つい夢中になってしまいまして……」
「一応聞くけど、今日の不寝番の奴は飲んでないんだろ?」
「は、はい!」
 ルウェンの言葉に、不寝番になっているらしい青年が数名こくこくと首を振った。
「じゃあいいんじゃないのか? この程度なら」
 不寝番になる者まで飲んでいたなら、少々気が緩(ゆる)み過ぎだと言えたが、不寝番の人間に付き合って同僚が寄り集まって騒いでいるだけなら、特に問題があるとはルウェンには思えなかった。
 ── 実際にはまったく問題がない訳ではないのだが。
「まあ、『偉い人』にバレないように気をつけるんだな。うるさい奴はうるさいから」
「…あなたがそれを言いますか……」
 カラカラと笑ってのルウェンのその台詞に、近くの兵士が複雑な顔でぼそり突っ込む。それを耳にした数名が、まったくだと言わんばかりにうんうん、と頷き合った。
 何しろ、ルウェンはこの反乱軍で一番『偉い人』であるミルファの騎士なのだ。一般兵士の彼等からすれば、十分ルウェンも『偉い人』である。
 ── が、ルウェンにそんな自覚があるはずもない。
「……? どうした?」
「い、いえぇ!」
 思わず上ずる声で答えた兵士を庇うように、横から次々に他の兵士が口を開く。
「何でもありませんよ! あの、ルウェン殿も一緒にいかがです?」
「そうですよ、折角ですし!!」
「へ? そうだなあ…んじゃ加わろうかな。もちろん、お前らが迷惑じゃなければだが」
「迷惑だなんて! なあ!」
「そうですとも!!」
 何処か不自然な兵士達に内心首を傾げながら、そういやこういうのも久し振りだとルウェンは兵士達のゲームに加わる事にした。
 今までは何となく一線を引かれた感じで、少々居心地が悪かったのだが、これを気にそれが解消されればと思ったのもある。
 ── 本音を言えば、『こういう楽しい事には俺も呼べ』という所だったが。
 戦場において、とんでもなく強運である事で知られるルウェンである。
 こういったゲームもほとんど負け知らずだったりするのだが、別に何かを賭けたりする訳じゃないから問題ないだろうと軽く彼は考えた。
 ── そのはずだったのだが。
「…罰ゲーム?」
「ええ、流石に不謹慎ですから賭け事は出来ませんし。でもそれじゃ、刺激がないでしょう?」
「一ゲームにつき一回、一番勝った者の命令を一番負けた者が聞くんです」
「なるほどな。…で、ちなみに今までどういう罰ゲームがあったんだ?」
「大した事はないですよ。なあ?」
 明るく話を振る兵士に対し、振られた周囲はいっきにどんよりとしたものへ変わった。
「…俺は『妻への愛を歌え』でした……」
「あれは傑作だった。南の空に向かってお前がヤケクソになって歌った歌……ヘタクソだったよなあ……」
(そう言えば、数日前に妙な奇声が聞こえていたが…あれだったのか……)
 よもや罰ゲームだったとは。だが、その程度なら罰ゲームとしてはマシな方ではなかろうか。
 それにしては周囲が暗いと思っていると、すぐ近くで一人の青年がぼそりと呟いた。
「── ぼくは『半日花を咥(くわ)えて歩き、呼び止められたら爽やかに微笑むこと』だった……」
「お前…それでこの間!?」
「おう…実はな。しかも、それをリヴァーナ嬢に見られて……!! くうう〜〜〜ッ」
「なんだって!? ああ…泣け、思う存分泣け!! 俺が許す!!」
 命じる方も命じる方だが、真面目にやる方もやる方である。
(…えーと、……酔った勢いって怖いなー……)
 取り合えずろくな事にならないらしいと判断したルウェンは、あえて追求はしない事にした。
 どちらにしても負けなければ良いだけである。そして罰ゲームをかけた勝負は始まった──。

+ + +

「…ほい、上がり」
 手札が揃いコールをかけると、真剣そのものの顔をしていた他の面子から、一斉に悲鳴が上がった。
「ぎゃあああ!! またかよ!!」
「嘘だろ…ルウェン殿、強すぎ……」
「チクショウ、また負けた!!」
 あれから一刻ほどが過ぎ、そろそろ酒が回り始めた人間から遠慮がなくなってくる。最初の恐縮しまくっていた態度は何処へやら、言葉も砕けたものになりつつあった。
 ルウェンが抜け、残りは更に真剣な顔で最下位を決める勝負を始める。
 ちなみにルウェンは、ほぼ圧勝と言って過言ではない結果だった。
 あくまでも息抜きのお遊びである。ほどほどに手は抜いていたが、最下位には一度もなっていない。
 すでに例の『罰ゲーム』の指令を数名に下したが、それが比較的容赦のないものだったせいか、妙に周囲の戦意を上げてしまったらしい。
 先程からそろそろ他の者と代わろうとしているのだが、『もう一勝負!!』と引き止められているのだ。
(流石に罰ゲームを考えるのも面倒になってきたなあ……)
 一度や二度ならそうでもないが、三回を超えればネタも尽きてくる。
 ここらで一度くらいは負けるのが得策かもしれない、などと周囲のゲームに真剣そのものの彼等が知ったなら怒り出しそうな事を考えていると。
「よっしゃ! 上がりぃ!!」
「俺も!!」
「なにィーっ!!! ま、負けた……」
 どうやら勝敗が決まったらしい。
 二位三位となった青年達が勝ち誇ったポーズを決めている横で、がくりと敗者となった青年が肩を落としていた。
 まるでこの世の終わりでも前にしているような憔悴しきった様子が、彼がいかに真剣だったのかを伺わせる。
 ── たかがお遊びのはずなのだが、この熱中度合いはどうだろう。人は何かが賭けられていると必死になる生き物らしい。
「うう……今度こそは思ったのに……」
「残念だったなー! さ、ルウェンさん! こいつの罰ゲームを決めてくださいよ!」
「そうだなあ……うーん」
 しばし、考え込む。
 腕を組みつつ、ちらりと罰ゲームを受ける側を見ると、笑えるくらいに悲壮な顔をしている。
 気の毒な気もしたが、ここで手を抜くと先に負けた人間から文句が出るだろうと心をあえて鬼にして、ルウェンは口を開いた。
「じゃあ明日の昼間、皆が見ている前で腕立て伏せ五百回でもしてもらおうか」
「え゛ッ! …うう、わかりました……」
「出来なかったらどうするんです?」
 にやにやと笑いつつ、質問が飛んでくる。
「そりゃ途中で力尽きたら、また最初からだな」
 こちらも真面目くさった顔で答えると、青年は真っ青になって叫んだ。
「なななな、そりゃあんまりですよッ!!」
 それもそうだ。下手すれば、五百回し終わるまで延々とやり続けねばならない。しかも後になればなるほど、成功率は下がる一方だ。
 しかし、妙に一致団結した仲間達は冷たかった。
「何だ、お前。出来ないのか?」
「それ位は出来て当たり前だろう」
「そうだそうだ。それなら筋力も鍛えられて一石二鳥じゃないか。なあ」
「ま、頑張れよー」
 所詮は他人事である。
 彼等も当事者なら、今頃真っ青になっているに違いない。出来そうで出来ない気がする五百という数がまた、憎たらしい罰ゲームである。
 恥ずかしさというものは皆無だが、誤魔化しが効かない分、ある意味過酷だ。
「よーし、それじゃもう一勝負!!」
 まず一段落着いた事で、また次の勝負の声が上がる。
 そろそろ夜も更け、不寝番の者以外はそろそろ就寝する時刻だ。それを理由に抜けようとしたルウェンだったが、周囲から猛反対を受けた。
「冗談じゃないです! なあ!」
「おお、勝ち逃げなんて許せるか!」
「せめてもう一勝負!」
 ぎゃあぎゃあと四方八方から抗議され、ルウェンはやれやれとため息をついた。
 こういう展開になるのだったら、さっさと負けておくべきだった。
「仕方ねえなあ…じゃあ、あと一回だけな」
 諦めて頷くと、周囲でわあっと歓声が上がった。
「よっしゃ!」
「次こそは勝ぁつ!!」
「今度こそー!!」
 何をそんなに、と言える程の盛り上がりに少々気圧されつつ、ルウェンは再びテーブルについた。
 すると今度は誰が挑むのかという問題で揉め出した。
 俺が俺が、と名乗りを上げる中、やがて今の所、総合で勝ち数が多い者順という事に決まったらしい。
(── さて、こっからが問題だよなあ)
 そんな彼等を眺めつつ、ルウェンは心の中で苦笑する。
 勝つ気満々の彼等には悪いが、今回は最初から負けるつもりなのだ。そうすれば彼等も落ち着くだろうし、気持ち的な消化不良が起きずに抜ける事が出来るに違いない。
 だが、問題はどうやったら彼等に疑問を抱かせずに負けるかという事だ。
 普通なら勝ち続けるよりもずっと簡単のはずなのだが、今までが今までだっただけにあからさまに負けるのは非常に難しい。
 こういう時は自分の妙な運の良さが恨めしく思うルウェンだった。

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