約束の歌姫
二日前 〜歌姫選出〜(1)
我等に帰る場所はない。この地上の何処にも、安住の地がない故に。
けれど、焦がれずにはいられない。
だから、信じずにはいられない。
いつの日か全ての罪が雪(すす)がれ、安楽の場所が得られる事を。+ + +
イルーハ=トバを明後日に控え、地母神の大神殿を有する東の都カハナは、いつも以上の賑わいを見せていた。
市場には色とりどりの花々や野菜、果物の他に色鮮やかな衣類が並び、人々の目を楽しませている。
通りに沿って軒を連ねる屋台からは、様々な料理の人々を誘う香ばしい匂いが。
行き交う人々の顔は、どれも笑顔で輝いていた。
五年に一度の大祭が近づくにつれ、街は活気を増してゆく。
東西南北、あらゆる場所のあらゆる人々が、大祭を一目見ようとやって来るからだ。+ + +
「イオ、イオってばっ!! 聞いてるの!?」
ごった返す人混みの中、そんな甲高い少女の怒鳴り声が響いた。
パチンコゲームの露店の前で、その少女は頬を膨らませて、その声をあげさせた張本人を睨み付ける。
「あー? 何か言ったか、ストシア」
手にしたパチンコで的を狙いながら、少年── イオは生返事を返した。
次の瞬間、その濃緑色の瞳に真剣な光が宿ったかと思うと、パチンコの弾を鋭く飛ばす。なかなか手慣れた動作だ。
それを証明するかのように、弾は見事に的の中心を貫いた。
「やっりい! おばさん、当たったぜ!!」
「イオったら! 聞いてよ、もうっ!!」
黒髪を震わせて、ついに少女 ── ストシアが癇癪(かんしゃく)を起こす。
「先刻からずっと呼んでるのに、無視しないでよ!!」
そう言って、景品の入った袋を受け取ろうとするイオの金茶の髪を、ぐいっと乱暴に引っ張る。
当然ながらイオは後ろへのけぞり、よろりとよろけた。
「痛っ、何だよっ。そんなに怒る事ないだろー?」
後頭部を押さえて、ようやくイオはストシアの方を見た。余程痛かったのか、その目元には涙が浮いている。
いつもの事だが、手加減なしだったらしく、引っ張られた所はしばらく痛みが治まらなかった。
「だって、全然聞いてくれないじゃない!!」
対するストシアはそう言って、ふいっと横を向いてしまう。悪い事をしたという自覚は全くなさそうだ。
年は見た所十四、五歳。すっと背筋の通ったしなやかな身体つきと、大人びた顔立ちをしているが、そうした仕草は彼女を妙に幼く見せた。
「悪かったよ。…謝るからさ、ほら、機嫌直せよ」
仕方なく非を認めて、イオは袋から揚げ菓子を取り出してストシアに差し出す。ストシアはちらりとそれに視線を走らせると、当然のようにそれを受け取った。
しかし、イオがほっとしたのも束の間、少しは機嫌を良くしたらしいストシアは、揚げ菓子を早速齧りながら当たり前のように言い放つ。
「だったら今日、一日つき合ってね」
「…はあ?」
どういう理屈だ、と目を剥くイオに、ストシアはじろりと一瞥(いちべつ)をくれる。
「何か、異論でも?」
その迫力に気圧され、イオは口ごもる。
元々、ストシアは目鼻立ちの整った、美少女と言って差し支えない顔立ちをしている。それ故に凄まれると、何とも言えない迫力を醸し出すのだ。
「…わかったよ。付き合えばいいんだろ」
内心ため息をつきつつ、イオは白旗を揚げた。これからいくつか店を見てまわるつもりだったが仕方ない。
物心つく頃からの付き合いで、ストシアの頑固さはよく知っている。
六人兄弟の末娘で蝶よ花よと育てられた結果か、元からの性格なのか。一度怒ると相手が折れて来るまで、決して自分から折れようとしないのだ。
しかもその場合、非は相手にあったりする為、結局誰も逆らえなくなる。
「…で? 何か俺に言いたい事があったんだろう?」
「そう! そうなの!!」
その台詞を待っていたと言わんばかりに、ぱっとストシアの表情が変わる。嬉しくて堪らない、といった顔だ。
ころころとよく表情が変わるのも、ストシアの特徴の一つだったりする。
「あたし、選ばれたのっ!!」
「は?」
あまりに唐突で、しかも中身のない言葉に、イオは目を点にした。そういう事は今までにも何度かあった事だったが、こればかりは流石に慣れない。
困惑するイオに気付いた様子もなく、説明を求めようとすれば、ストシアは夢でも見ているかのようなうっとりとした目で別世界に浸り込んでしまっていた。
(選ばれた? …何のこっちゃ……)
色々と考えてみたが、何も思い浮かばなかった。
益々困り果てて、イオは結局そのまま疑問を口にした。
「なあ、ストシア。選ばれたって、一体何の事だよ?」
しかし、ストシアは簡単には現実に戻ってはくれない。
「何言ってるの、わかってるくせにいっ♪」
そう言って、うふふ♪と笑う。常にない浮かれっぷりである。
その様は、普段の彼女を知っているイオの目にも明らかに異常だった。日頃の彼女ならば、絶対にこんな浮かれた口調で話したりしない。
何しろ、一番彼女が『懐いている』と言える彼女の長兄に対してさえ、ほとんど甘えるような事を言わないのだ(その代わり、小言は遠慮なく言う)。
(…変な病気にでもなったんだろうか……)
ストシアが聞けば怒り狂う所か、彼自身の命の保障も出来ないような事を半ば本気で考え、イオは小さくため息をつく。
君子危うきに近寄らず、と遠くから見守る体勢になったが、そうは問屋が卸さなかった。
逃げ腰になるイオの腕をがしっと掴み、ストシアは声も高らかに宣言する。
「さっ、行くわよ! イオ、約束だもの、ついてきてくれるよねっ?」
「ど、何処に行くんだよ!」
半ば引っ張られかけながら、イオは悲鳴じみた声で最後の抵抗を試みる。
それを気にした様子もなく、ストシアは当然のように彼を引っ張りつつ、上機嫌で答えた。
「決まってるわ! 大神殿よ!」
意気揚々と歩くストシアに、引き摺られるようにイオが続く。
「だ、大神殿? 何だってそんな所に…ちょっ、ストシア!そんなに引っ張るなよ!!」
「いいからいいから」
「全然、良くない〜〜〜〜ッ!!」
ほとんど意志の疎通の見られないそんな二人を見送って、そんなやり取りを見慣れていた露店の女主人はのほほんと呟いた。
「…御愁傷様」