翼
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季節は秋の始まり。 先日までの暑さはもうすっかり消えて、風が涼しい。心地良い微風を受け、長い白銀の髪がふわりと空を舞った。 (気持ちいい……) 目を閉じて風に身を委ね、そうして、赤く泣き腫れた目を冷やす。 …久しぶりに、大泣きした。物心ついてから、泣くような事はほとんどなかったけれど、多分その中でも二番目くらいに。 一番はこの春先。きっと、あれ以上に泣く事はもうない。 (…ディスパー、心配してるかな) 思わずそんな事を考えて、彼女── ファムルーは慌てて頭を振ってその考えを追い払った。 エフェ=メンタールたる彼女は、今ではもうすっかり成長していた。十七・八歳程のその姿は、養育をしてきた女官達が自慢に思う程にエフェ=メンタールに相応しい。 すらりと伸びた手足。白い肌。真っ直ぐな白銀の髪に、紫を帯びた青い瞳。そしてその滑らかな背に生える、白く大きな翼。 絶世の美貌とまではいかないが、その可憐な姿は見る者に一種の感銘を与えるものだった。 成人まで、あと僅か。月へと昇る日が近付いている。 (……) その日を思って、ファムルーは地上を見下ろした。 空を飛びまわれるようになったのは生まれて三ヶ月が経つ頃。楽しくて嬉しくて、あちこち飛び回っては女官達を慌てさせた。 ── 性格だけは、女官達の理想通りには行かなかったようだ。本人は特にそれを気に病んではいなかったけれど。 (…何処にいるんだろう) ファムルーは焦っていた。何故かと言えば…まだ《片翼》が見つかっていないからだ。 《片翼》は、地上においてエフェ=メンタールの祈りを受け止める存在。言わば、対となる者だ。 こればかりは女官達が連れてくる訳にもゆかないし、ファムルー自身が見出さなければ意味がない。 そして《片翼》がいなければ、ファムルーはエフェ=メンタールとしての義務が果せなくなる。 (何で…見つからないの?) 通常、エフェ=メンタールは空を飛べるようになった時点で、自らの《片翼》を見出す為に《浄育宮》と呼ばれる宮殿から、時間は限られるが単身出る事が許される。 月にある聖殿と近い環境に整えられているという浄育宮と、実際に目の当たりにした地上はそう変わらないようか気がしたけれど、そこに住まう人々達の目に空を駆けるファムルーに対して、畏怖のようなものがある事はすぐにわかった。 彼等にとってエフェ=メンタールであるファムルーは、畏れ敬う存在であって、それ以上でも以下でもない。 …同じ高さに立ってはくれないのだ。決して。 育ててくれた女官達と…ディスパー、物心つく頃から側で彼女を守ってくれたあの青年と同じように。 それがわかってしまったから、余計にファムルーは《片翼》を求める気持ちが高まった。 《片翼》── 地上の民でありながら、エフェ=メンタールに選ばれた対となる者。 男でも女でも構わない。その人物なら…きっと、ファムルーを『ファムルー』という個人として認めてくれる。そう思えたから。 しかし、月へと昇る日を前にしても、ファムルーの《片翼》は見つからなかった。 エフェ=メンタールはほとんど突然変異のようにして生まれてくる。 エフェ=メンタールの両親から子が生まれる事はないし(何故なら彼等は月へ昇った後、死ぬ間際まで夢を紡ぐからだ)、エフェ=メンタールと地上の民の間に子が生まれる事もない(エフェ=メンタールの九割が女性で、一年で成人した後すぐに月へ昇るからだ)。 だから、ファムルーは自分以外のエフェ=メンタールに会った事がない。月へ昇れば会えるけれど、それではあまり意味がない。 女官達の話によれば、飛べるようになったエフェ=メンタールは早くて一月程で自身の《片翼》を見出すという。けれど、それがどういう感情によってわかるのか、当然女官達にわかるはずもない。 (時間がない……) もし、その時までに《片翼》が見つからなかったらどうなるんだろう。 この頃、よくそんな事を思う。エフェ=メンタールとして培われたその自覚と意識が、彼女を雁字搦めに縛る。 女官達はファムルーを気遣って何も言わないけれど、彼女達にはきっと不名誉な事に違いない。出来そこないのエフェ=メンタールを育ててしまったという汚名を、被ってしまうかもしれない。 …彼女達だけでなく、彼も。 考えないようにしようと思っても、やっぱりファムルーの思考は彼へと辿り着く。 ずっと彼女の一番近くにいて、一番信頼している彼に。 『焦る事はありませんよ。きっと見つかります』 彼はファムルーが焦っている事を誰よりも先に気付いた。 もう、子供ではないからと、半年前…あの今までで一番大泣きしたあの日から常に一緒にはいてくれなくなったけれど、不思議と彼はファムルーを一番理解してくれる。 でも、時としてそれは一番ファムルーには辛い。 今日も、そう言って慰めてくれた彼に一方的に突っかかって、それでも怒りもしない彼に腹を立てて飛び出して来たのだった。 (…もし叶うなら、ディスパーを選ぶのに) もしかしたら、そういう想いこそが《片翼》を見出す事の妨げになっているのかもしれない。たまにファムルーはそう思い、けれどその想いを捨てる事は出来なかった。 決して彼は、《片翼》にはならない。逆を言えば、だからこそ彼は彼女の護衛として側に置かれたのだと言ってもいい。 そうと知って、ファムルーは一日泣き通した。なんであんなに涙が出たのか、今はわかる。 あの頃から、自分は彼を心の内では選んでいた。彼が好きだったのだ。 でも── それは叶わぬ夢。ずっとずっと子供だった時、彼は自分に祈ってくれると言ってくれたけれど、彼は決して自分の祈りを受け止めてはくれないのだ……。 + + +
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