Bless You All The Time

邂逅 〜水の呼び声(3)〜

 南方にて王宮三つ分の焼け野原が出来た頃。
 周囲を全て木々の緑に囲まれた中、ベルゼーラは突然嫌な予感がしてその眉を顰(ひそ)めていた。
(…何だろう、今の…妙な胸騒ぎは)
 敵の気配を感じ取ったのとはまた違う── だが、妙に慣れ親しんだ感のある感覚だ。
(── まさか、ルイの奴がまた何かやらかしたのか……?)
 しばし考えて思い当たる事と言えば、それくらいしかない。それくらいしかないのだが…その事実がまた、物悲しい。
 想像するだけで胃が痛くなる記憶と共に蘇るのは、それに伴った精神的・肉体的な苦労の日々。
(……、気のせいだ、うん)
 思い出すだけでも精神衛生的にあまりよろしくない記憶を、頭を軽く振って無理矢理追い出す。
 よくよく考えれば、現在、彼がいるのは本来の居場所たる南方ではない。
 先日、指揮官不在状態となった西方をまとめる為、臨時的にとは言え、本日をもって『王命』により派遣されてきた身である。
 すなわち、今まで事ある毎に頭と精神を悩ます羽目になったルイトルードの暴挙の後始末など考えずともよい身分のはずだ。
(…実際、何かあったとして── シェイもいる事だし何とかなるだろう…多分……)
 そんな事を極力楽観的に思いつつ、自分と入れ替わりに南方へと派遣されたシェイと、何かあった場合、一番に巻き添えを食うであろうルイトルードの部下達に対し、そっと心の中で手を合わせる。
 どんなにベルゼーラが楽観的に考えても、あの《歩く爆弾》とまで称されたルイトルードが大人しくしているはずもなく、しかも今まで何だかんだと手綱を握ってくれていたナルがいない。
 ── きっと今までの反動のように、遅からずとんでもなく厄介な事をやらかすに違いないのだ。
「ベルゼーラ殿!」
 そんな彼の物思いを断ち切るように、木々の向こうから声が飛んでくる。見れば、若い男と見知った顔の少年が駆け寄って来る所だった。
「よくおいで下さいました。私は戦士団副官を務めます、ウェイト=グラシムと申します。本当にご足労かけました。南方も気の抜けない状況でしょうに……」
 深々と頭を下げ、礼儀正しく挨拶をするウェイトの腕や頭に巻かれた包帯を目にし、ベルゼーラも表情を改める。
 副指揮官── それも術士ではなく戦士の── の立場である以上、ウェイトの技量はかなりのもののはずである。
 それにも関わらず、彼がこれだけの傷を負ったという事は、事態は周囲が思っているよりも悪い。
「…状況は?」
 事態を把握するとすぐさま『指揮官』の顔になり問いかける。
「今の所、相手側に目立った動きはありません」
 そんなベルゼーラに、ウェイトに代って答えたのは、本来ならとっくに王宮に戻っているはずの政務官補佐の少年── デュヤンだった。
「こちらも負傷者がかなり出ていますが、あちらにも相応の損失が出ているかと。軍を完全に建て直すにはもうしばらくかかりそうですが、戦力的には一時凌ぎは可能かと思います」
「そうか……。ところで、デュヤン」
「はい?」
「どうしてここに? とっくに王宮に戻っているとばかり思っていたんだが……」
 疑問を隠さない問いかけに、デュヤンはいつもの穏やかな微笑を浮かべた。
「ちょっと、頼まれまして」
 それこそ大した事でもないように答えられた答えに、ベルゼーラは頭痛を覚えた。主語と目的語が抜けていても、誰がそんな事を頼んだかわかる。
「元々、こちらの状況を調べる仕事もあったので……」
 その言葉の流れでわかる。おそらく某南方指揮官が、彼の仕事のついでに西方に関する何らかの情報を欲したに違いない。
「ちょっと仕事の『ついで』に頼まれて…ここで今まで手伝いを?」
「はい。…出すぎかと思いましたが、手はいくらあっても足りないでしょう? 幸い、応急処置くらいなら僕にも心得がありますし、指揮官がどちらも不在という事で補給の手配とかまで手が回らない状況でしたから」
「それは助かるが……」
 事務的な事は戦士や術士より、政務官であるデュヤンの方が仕事が早いのは明らかだ。事実、今回の派遣も通常ならもっと時間がかかっていた可能性もある。
 デュヤンが速やかに状況をまとめ、王宮に送ったからこそ出来た事だろう。
 しかし、ここが戦場で安全とは決して言いがたい場所である事も事実。しかも、いつ敵が襲ってくるかもわからないのだ。
 非戦闘要員であるデュヤンには、ここはあまりに危険な場所である。
 ちらりと視線を側に控えるウェイトに向ければ、彼は困ったような苦笑を浮かべた。── おそらく彼も、デュヤンに『帰れ』と勧めたのだろう。
 ベルゼーラは諦めたようにため息をつくと、デュヤンの右手に移動用の方陣を確認し、同情を込めてその肩を叩いた。
 デュヤンがいざとなる前に、自ら安全な場所へ移動してくれる事に期待するしかない。
「…まあ、ほどほどに頑張れ」
「はい、皆さんの足手まといにならない程度に」
 にっこり笑って言いのける。
「僕に出来るのは、これ位ですから……」
 実際、口で言うほど簡単でもないだろうに、『これ位』と言えるデュヤンにベルゼーラは軽い尊敬の念を覚えた。
 他人から見れば困難そうな問題も、そう言える以上、気負う事なくこなしてしまうだろう。『出来る事』と『出来ない事』をきちんと自覚している、彼ならば──。
 …自分にはおそらく出来ない。今でさえ、自分の器を正確に掴んでいるとは言い切れないのだから。
 だから── 『あの時』も、自分の力を過信し過ぎて、結局何も出来なかった……。
「…ベルゼーラ殿?」
 怪訝そうなウェイトの声ではっと我に返る。
 …つい、過去の記憶に飲まれてしまった。魔族を離反した時、自ら封印した過去に──。
「いや、何でもない。取りあえず詳しい事を知りたい。立ち話は支障もあるだろうから陣営で聞かせてもらおう」
「そうですね。ではご案内します。こちらです」
 ウェイトが先に立って歩き出す。その後に続きながら周囲に目を向ければ、あちらこちらから自分へと向けられる視線を感じた。
 そこに込められている様々な思いは、もう慣れてしまったものばかり。
 『敵』であるはずの魔族が味方している事に対する驚き、困惑── そして、懐疑。彼が『こちら』側についてから、数限りなく向けられてきた言葉以上に雄弁な視線達だ。
 その度に思い知る。もう、後には退けないのだと。
 魔族を離反したのは、人である『妹』を保護したからだけではない。彼なりにこの戦いを疑問視し、魔族に対するある疑惑を抱いたからだ。
(…第三の勢力、か……)
 その正体は謎とされているが、ベルゼーラにはその心当たりがあった。
 確証がない以上、そうであるとは言い切れない。だが、可能性がとても高い存在を彼は知っていた。
 もし、この想像が正しいとしたら──。
 湧き上がった苦々しい思いを噛み締める。後悔しても無駄だとわかっていながらも、そうせずにはいられない。
 その存在の事を考えると、否応もなく昔を思い出してしまう。何も知らず、何も疑問に感じる事無く、大切な者達の為だけに生きていられたあの頃を。
 そして── 全てを喪ってしまった、あの炎の夜の事を。

+ + +

「…どうしたの、ルーナ?」
 背後からかけられた声に、ルーナと呼ばれた少女ははっと我に返った。そのまま声の方へと顔を向ければ、そこには幼馴染の姿がある。
「…アルカイック」
「随分と深刻な顔をして、何か悩み事?」
 どちらかと言うと平凡な容姿の中、はっとするほど深い青の瞳が少し心配そうに見つめている。
「その呼び方はやめて欲しいと言ったはずだ」
 接近に気付かないほどに思考に囚われていた気恥ずかしさを誤魔化すようにそう言えば、アルカイックと呼ばれた少女は笑い声を零した。
「ふふ…ごめんなさい。そうだったわね、フォルナ」
 言葉ほど悪いとは思っていない様子で謝りながら、アルカイックはフォルナの横に移動する。
「一応は気をつけてはいるのよ? でも、子供の時からそう呼んでたんだもの。少しは大目に見て?」
「……」
 そう言われると、何も言えなくなる。フォルナが呼び名にこだわるようになったのは、ここ数年の事だ。急に使うなと言われても、無意識に出てしまうのは仕方のない事だろう。
 それまでずっと使われていた愛称の方が馴染みがあるのは、フォルナ自身もなのだ。
「それよりも…」
 じとり、と表現するしかないようなアルカイックの遠慮のない視線が、フォルナの頭から足の先まで移動した。
「何だ、一体」
 視線に釣られて、フォルナの目も自分の身体に向けられる。
 動きやすさを第一にした、軽くて丈夫な代わりに飾り気などまったくない服だが、見た限りでは特別汚れている訳でも破れたり綻びたりしている訳でもない。
 そんな目で見られる理由が思い当たらずにフォルナが不快げに眉を寄せれば、その眼前にアルカイックの白い指が突きつけられた。
「それはこっちの台詞よ!」
「は?」
「あのねえ、いくらおじ様の後を継いだからって、この格好はなんなのよ!? 折角可愛く生まれたのに、こーんな色気も何もない格好して!!」
 面食らって言葉を失くすフォルナに一気にまくしたて、アルカイックはがっしりとその肩を両手で掴んだ。
 ただでさえ、目に焼きつく青が至近距離にある。それだけで目が反らせない。
「…いい? あんたはあたしと違って元がいいんだから、磨けば磨くほど光るの!! 百歩譲って男装は許すけど、その男言葉はやめなさい!!」
 そのあまりの迫力に反射的に頷きかけそうになるのを、フォルナは理性で必死に押し留めた。ここでうっかり頷きでもしようものなら、今までの努力が水の泡になる。
「アルカイック、それは……」
 何とか反論しようとする前に、あっさりとアルカイックの手が離れる。
「…まあ、あんたの気持ちはわかるから、文句だけにしておくけどね」
 納得はしてないのよ、と言外に言っている言葉に、しばしその言葉の意味を熟考したフォルナは眉間に皺を寄せた。
「── もしかして、礼を言うべきなのか?」
「ふふ、そうねー。本当に納得してなかったらとっくに実力行使してるわね」
「…あ、ありがとう……」
 釈然とはしないものの、幼馴染であるだけに相手の性格もわかる為、フォルナは礼を述べた。今の言葉は冗談どころか、完璧に本音だ。
 一見するとそうは見えないが、アルカイックは仲間内でも屈指の実力者である。本気で戦いあえば、下手したらフォルナも勝てるか怪しい相手だ。
 『実力行使』が具体的にどんな行為なのかはさておき、実行に移さないでくれた事には感謝せねばならないだろう。…何か違うような気もするが。
「…私は、『女』として生きる事はやめたんだ」
 ぽつりと呟いた言葉に、アルカイックは先程とは打って変わった神妙な顔で頷く。
「わかってるわ。おじ様の…志半ばで倒れた長の悲願を叶える為よね」
「……」
「…まあ、気が変わったらいつでも言いなさい。手によりをかけて、絶世の美女にしてあげるわ」
 慰めるように肩を叩くと、アルカイックは手にした書類をフォルナに押し付けた。
「はい、これ。この間の戦闘の被害状況と、相手側の動きに関しての報告書よ。…あまり無理しないのよ? 全部一人で背負う必要なんてないんだから」
 そう言い残して立ち去る背中を見送り、フォルナは小さくため息をつく。
(本当は、違うんだけどね……)
 自分が『女』として生きる事をやめたのは、父であった人の悲願を叶えたいからじゃない。そんな理由も確かにありはしたけれど、本当は違うのだ。
 誰にも言えない── 言うつもりもない、秘めた想いの為。その想いと決別する為に、女としての姿も生き方も捨てた。
「…── ベルゼ……」
 もう二度と人前で口にしないと誓った名前。フォルナは自らの肩を抱き、泣きたくなる衝動に耐えた。
 遠い昔の、幸せだった記憶。
 それと共に、涙も『女』も捨てた。今でも思い出せば苦しいほどの想いも、いつかは忘れるだろう。
 かつて魔族で一軍団を率い、そして現在は人側に寝返った男。
 彼は── いつかこの手で倒さねばならない『敵』なのだから。

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