師  と 弟 子


 ぼくの名前はルーン。今、十ニ歳。
 本当はもっと長ったらしい名前があるけど、死んだじいさまが気張ってつけてくれた分、ちょっと普段名乗るにはごついから、大抵の人にはこっちで呼んで貰ってる。
 いわゆる、愛称ってやつかな?
 でも、世界中で唯一人、ぼくをその名前で呼ばない人がいる。
 気は優しくて力持ち、元・ランクAの騎士様だったというその人は、このぼくが師と仰ぐ人── ぼくの、命の恩人。
 得物は基本的に両刃の大剣みたいなんだけど、戦士だから当然何でも武器は扱える。不得手なものは特にないらしい。
 騎士になる場合、国王主催の親善試合とかで、ある程度の成績を修めないとならないと言う。
 騎士は、言うなれば名誉職のようなもので一般の職業とは違うから、そうした目に見える武功でランクも決まるんだそうだ。
 つまり── ランクAの騎士だったという事は、かなりの手練れってこと。
 実際、師匠は立っているだけで、いかにも騎士らしい威風堂々とした貫禄がある。縦にも長いけど、横にもがっしりしてる。鍛え上げられたって感じ。
 バランスが取れているから、太っているようには見えないけど、ぼくと並ぶと本当に大人と子供だ。…実際、ぼくは子供だけど。
 そんなぼくと師匠は、一緒に世界中を旅して回っている。…と言うか、ぼくが一方的に付いて行っているというのが、一番近いかもしれない。
 旅には危険が付き物。
 非力な子供に過ぎない上に、これと言って特技もないぼくは明らかにお荷物だ。
 けれど、お人好しな師匠は付き纏うぼくを振りきる事が出来ないで、結局、いつもなし崩しに同行を許してしまうんだ。
 …まあ、最初からそれを狙っている、とも言うけど。
 優しくて、強くて、面倒見もよく、甲斐性もあってついでに真面目── 弟子だからって言うんじゃないけど、師匠は本当によく出来た人だと思う。
 でも。
 たった一つ、師匠にも欠点というか、弱みがある。
 それは──。

+ + +

「師匠! 大変だよ!!」

 遠目で見てすぐにわかる、ずば抜けた長身という非常に特徴的な人影に向かって小走りで駆け寄ると、師匠は実にのんびりと迎えてくれた。

「どうした、弟子?」

 豊かな響きの、いかにも男らしい声。
 普通に話していてもかっこいいな、と思う声なので、過去に何度か歌ってみてってせがんでみたけど、『音痴だから』って断られている。
 ── 絶対に嘘っぽい、とぼくは思っているんだけど、謙遜なんて器用な事を出来る人ではないので、事実関係は不明だ。
 それはさておき、この非常事態に師匠はと言えば、だ。
 普段、その鍛えられた手にあるのは大剣やら武器なのに── 昼時に一度別れた時には、確かにその背に愛刀を背負っていたのに── 今は違うものを持っていた。

「何を鍬(くわ)片手に農作業なんかやってるんだよ、師匠!?」

 ここへやってきた用件を忘れて思わずツッコむと、師匠はあはは、と朗らかな笑い声を響かせる。
 そして呑気にも取れる穏やかな口調で、眉を吊り上げるぼくに事と次第を説明してくれた。

「いや、たまたまここを通りかかった時に、この畑の持ち主のご老人が腰痛がひどくなったらしく動けなくなっていてな。気の毒だったから、自宅へ送ったついでに手伝ってやる事にしたんだ」
「…師匠……」

 あんたって人は本当にいい人だよ。普通は送るまではしても、農作業まで手伝ったりはしないって。
 しかもこの人の場合、これが素なのだ。
 見返りなんて意識すらしてないし、困っている人は助けるという当たり前だけど、実践するとなるとちょっと難しい事を、自ら進んでやる。
 立派過ぎて涙が出るくらいだ。それは保障する、保障するけど!
 …残念ながら、それは師匠の所感だけを頭から信じるなら、という仮定がつく。

「…そのご老人とやらは、感謝の言葉くらい口にしたよね?」

 一応確認を取ってみる。すると、しばし考えた師匠ははて、と首を傾げてくれた。

「いや、よほど痛みがひどかったのか、声も出なくってな」
「…やっぱり」

 過去に同じような事が何度もあったのに、どうして師匠はその事を思い出さないんだろう。
 思った通りの返事に、ぼくは頭痛を感じて呻(うめ)いた。
 そんなぼくを不思議そうに見ながら、師匠はやはりのんびりとした口調で問い返す。

「弟子? 何が、やっぱりなんだ」

 師匠の立場を考えたら当然の質問だ。でも事態は差し迫っている。
 ぼくは質問には答えずに、遥か頭上にある師匠の顔を見つめて訴えた。

「いいから、その鍬をそこに置いて! 詳細は後で説明するから、ともかく今はぼくと一緒に村外れまで全力で走って!!」 
「は?」
「『は』じゃないっ! はやくっ!!」
「お、おう……」

 ぼくの様子が只ならなかったからだろうか。
 追求しようと思ったらいくらでも出来そうなのに、師匠は訳がわからないといった様子ながら、ぼくの言葉に従って鍬を畑の隅に戻した。
 そしてそこに置いていた見覚えのある大剣── ちなみに大きさはぼくの身長とあまり変わらない── を軽々と背負い、ついでのようにぼくをひょいと小脇に抱えて走り出す。
 ぼくは物じゃないんだけど…まあ、そっちが早いからいいけどさ。でも、あまりこういう移動の仕方はしない方がいいと思うんだよね。
 何も知らない人が端から見たら立派な人攫いだよ、師匠……。

「…で、一体どうしたんだ」

 走りながら、器用に師匠は僕に尋ねてくる。何時もながらその言葉は、走っている最中だというのにほとんど震えていない。
 どういう鍛え方したら、そんな事が出来るようになるんだろ?
 それはさておき、師匠の疑問はもっともだ。
 でも、それに対する答えは、抱え上げられて走っている最中に言うべき事でもなかったので、ぼくは言い訳めいた口調で答える。

「だから後で説明するって……」
「だが、この状態ではまるで逃げているかのようではないか?」

 …いや、実際逃げてるんだけど。
 流石にそうとは言えず、ぼくは笑って誤魔化す。人の好い師匠はやれやれ、と諦めたような表情になりつつ、後は無言で走り続けた。
 大剣とぼくと、その他装備品。一体全部でどれくらいの重さがあるのか知らないけど(というか知りたくもない)、その足取りは軽い。
 周囲の風景は飛ぶように過ぎ、あっという間に村の境界を示す白く塗られた木の柱が見えてきた。

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