砂漠に降る雪
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これはまた、見事な鉄面皮だ。
それが、ファイザードのキサに対して抱いた第一印象だった。
サアラをして、『普通の人間には越えられない』という砂海を渡れるという人物である。最初に目にした時は、よもやその人物が『キサ』であるとは思わなかった。
平均より少々小柄なファイザードよりもさらに小柄で、しかもかなり痩せていた。華奢と言えば聞こえは良いが、十五歳の少女にしては丸みが足りない感じである。
顔は流石にあのキュラの娘だけに整っているが、何故か右側は髪で隠されているし、しかも硬く無表情な為、気軽に声をかけられないような雰囲気があるのだ。
キサが戻ったと言う話を聞いて、恩人に礼を述べに出たは良かったが、いざ目の前にするとどう話を切り出してよいものかわからなかった。
「元気そうで良かった。もう、大丈夫なのか」
開口一番に彼女が言ったその言葉も、表情と同様に平坦で、感情らしきものは含まれていない。流石のファイザードもこれにはどうしようもなかった。
しかも、こういう時に限って、あの小煩い守護精達も出てこなかったりする。
「えっ…と、その、ありがとう。助けてくれたんだよね?」
取り敢えず元々の目的であった感謝の言葉を述べてみる。そこまではまあ、良かった。しかし、それから後が続かない。
困り果てて、何か話題がないかと言葉を探していると、キサがぽつりと漏らした。
「済まない…わたしは、人との接し方が下手なんだ」
気のせいか、言葉が重い。どうやら困っていたのはお互い様だったようだ。
その事に気付くと、ファイザードの口は少し軽くなった。
「気にしなくていいよ。…僕も、人と接するのが上手って訳じゃないし。あ、僕はファイザード。君はキサ、だよね?」
ファイザードの話し方が少し砕けた為か、キサが良く見ていなければわからない程度であるが、驚いたように目を見開いた。
そして、ファイザードの問いかけに答えるようにこくりと頷く。
「もう一度言うけど、本当にありがとう。もしキサが通りがかってなかったら、…そして拾ってくれなかったら、多分死んでたよ」
「…呼んだんだ」
「え?」
ぼそりと呟いた言葉に、ファイザードは思いがけずに目を丸くする。
「火精と水精が…わたしに伝えてきたんだ。同属性の何かが、助けを求めている、と」
「……」
「だから気になって…行ってみたら、ファイ、ザード?…あなたが、いたんだ」
「…イザでいいよ、キサ」
キサが言いにくそうに発音するのを耳にして、思わずそう言ってしまう。
ちらりと、水の属性を持つ魚精の少女の事が頭を過ったが、気付かなかった振りをする。彼等にとっても命の恩人だ。大目に見てくれるだろう。
「…じゃあ、イザ。どうして、あんな所にいた?」
どうやらその辺の事情は聞いていないらしい。掻い摘んで話すと、なるほど、と頷いた。
「じゃあ、体が本調子に戻ったらわたしがまた西に送ってやる」
そう言い出してくれたキサに、ファイザードはただ微笑んで感謝の意を示した。
どういう手段でそうするかは不明だが、出来る事なら『跳ぶ』のはちょっと遠慮したい。何しろ一度それでひどい目に遭ったばかりだ。
しかし、何処となく使命感を感じさせるキサの視線に、ファイザードは何も言えなかった……。+ + +
ゆっくりと、太陽が地平の向こうへと沈んでゆく。
赤い残光は周囲を染め、黄金の光が砂に反射してきらきらと輝く様は時を忘れて見つめる程に美しい光景だった。
「砂なんかみて楽しいのか」
そんな風にぼんやりと太陽を眺めていた所に、背後から突然声がかかる。まったく予想もしてなかった声に、ファイザードは反射的に身を硬くし── やがて自分に何も後ろ暗い事がない事に思い当たり、そっと背後に目を向ける。
「…キサ」
思った通り、そこに顔見知りの痩せた少女の姿があった。逆光で浮かび上がったシルエットは、何処となく頼りなく見える。
「明日」
「えっ?」
「明日、送る。こんな所にまで来られるのなら、もう大丈夫だろう」
淡々と言って、キサはそのままファイザードの横に腰を下ろしてしまう。
(キサ?)
何となく様子がおかしい── ような気がする。表情に出ないから、よくわからないのだが。
二人がいるのは、マキュリアンに一番近い砂丘だ。
そこから街が一望出来る。そしてその反対側は果てしなく続いているような砂海だ。
「…わたしは、泣く事も出来ないし、笑う事だって出来ない」
ふと零れ落ちるように、キサの口から言葉が紡がれた。
「キュラが言うには…昔、何か大きなショックを受けたからだろうという事だ。覚えていないから、よくわからないけれど」
「…キサ?」
キサの意図が掴めず、ファイザードは困惑しながらキサの次の言葉を待つ。
「わたしには感情がない。だから…キュラを傷付けてしまう……」
淡々と紡がれる言葉は、ファイザードに向かって話していると言うよりも、キサ自身に対してのもののように聞こえる。だが──。
「…わたしは、欠陥人間なんだ」
その一言を聞いた瞬間、ファイザードは理解した。一体彼女が何をする為にここへやってきたのかを。
ひょっとすると、キサ自身、その事に気付いていない可能性もあったけれども。
ほんの少し躊躇ってから、ファイザードはキサの頭をぽんぽん、と軽く叩くようにして撫でた。
まるで小さな子供を励ますような仕草だったが、キサがやはりよく見なければわからないような感じで目を見開いて彼を見るのがわかった。
「…大丈夫だよ」
何の根拠も理由もなかったが、気がつくとそんな言葉がファイザードの口から飛び出していた。
口にしてしまってからその事に気付き、ファイザードは心底困惑したのだが、キサはその事に関して、突っ込みも追求もしなかった。
ただ、一言だけ漏らす。
「…そうかな」
それはやはり、感情が抜け落ちたようなものだったが、ファイザードにはわかった。彼が感じ取った事が正解であった事が。
「昔ね、僕は── 《天精》に会ったんだ」
我ながら唐突な話題の切り替えだと思いながら、ファイザードは言葉を重ねる。
「《天精》って知ってる?」
「…『これ』の事か」
無表情のまま、キサは徐に手を天に向ける。次の瞬間、彼等の上に何かが降ってきた。
小さく、白い── 掌で受けると瞬時に溶けて消えてしまう。
「これは…雪?」
降ってくる雪片を受けとめながら、ファイザードは目を丸くする。よもやこんな所で目にするなど思わなかったからだ。
「…普通、砂漠には雪など降らない。雨だって稀なんだ。だからこの辺では砂漠に降る雪の事を《天精》と呼ぶ。…天変地異の前触れだ」
「なるほど…『在り得ない存在』か……」
キサが手を下ろすと同時に雪は止む。そこでファイザードはキサが召喚士である事を思い出した。
おそらく今のは氷精によって造られた、言わば人工の雪だったのだ。
「僕が会ったのは、もう一方の方だよ」
「…あれは御伽話だろう?」
思った通りの反論に、ファイザードは目を細めて笑った。
「いや、天精は本当にいたんだ。そりゃ初めは僕も夢だと思ったんだけど……」
そう言いながら、懐を探り何かを取り出す。布袋に入った、例の乳白色の球だ。
「でも、これが手元に残されたんだ」
「それは?」
「《顕精珠》って言うんだ。妖精を顕現させ、その力を安定させる魔法具の一種なんだそうだよ。本来はランクが低い…と言っても、C以下の能力者なんてほとんどいなかったらしいんだけど── そういう人が持つものなんだ」
「…? でも、イザのランクは低くないんだろう」
キサはそう言って、サアラに聞いたと付け加える。
「ランクにするとBだよ。…今の所はね」
「じゃあ、そんなもの必要ないんじゃないのか。それに…それと天精がどう繋がるんだ」
首を微かに傾げるキサに、ファイザードは微笑む。
確かにキサの言う通り、それが残されたからと言って、天精が実在するという証拠にはならないだろう。
── 普通ならば。
「本来は、だよ」
「?」
「この顕精珠はちょっと他のとは違うんだ。これは妖精ではなくて、使い手── 妖精使いの方の能力を安定させる力があるんだよ。僕は幸か不幸か、人より強い力を持ってしまったから、これと封呪がなければ力を暴走させかねないんだ」
そう言って、額に刻まれた刻印を示す。刻印自体も、普通ならランクを上げる為に刻むのが普通だ。
だが、ファイザードの額に刻まれた古代魔道文字は本来のランクを下げるものだった。
「僕が会った天精はこれを渡すと、『これがある限り、あなたに課せられた重責は多少軽くなる』、そう言ってすぐに消えてしまったんだ。だから夢かと思った。でも…普通と逆の作用を持つ顕精珠が手元に残って── だから、天精が実在したんだって、信じられた」
「天精は、実在する……」
「だから、この世に在り得ないものなんて、本当はないんじゃないかって、そう思えたんだ」
ファイザードの声が、微かに強まる。
「僕は《悟りの塔》でも異端視されていた事がある。…『在り得ない存在』として。育ててくれた人達がいなければ、とっくにあそこを飛び出していたかもしれない。でも── 天精さえ実在するんだ、僕のような人間がいたっていいんじゃないかって、そう思えるようになった」
「……」
キサの瞳は真っ直ぐにファイザードに向けられる。
思いもかけなかった事を紡ぐ少年は、澄み切った空のような笑顔をキサに向けてくれる。
「不必要な存在だって、きっといない。自己否定なんてくだらないよ。少なくとも、僕はキサに会えた事を嬉しいと思えるし」
重ねて言われた言葉は、キサの心の中に真っ直ぐに飛び込んできた。
(…どうして……)
何故、こんな風に笑えるんだろう。どうしてこんなに自分の事がわかるんだろう?
不思議だった。今まで、『家族』以外のどんな人間も、キサに対してこんな風に語りかけてくれた者はいなかったのに。
そうだ。
キサは自分がここに何をしに来たのか自覚する。
ここへ来たのは、自分を卑下するため。キュラと顔を合わせる度に感じるやるせなさを、自己否定や自己嫌悪する事で、誤魔化そうとしていたのだ。
自分は他の人のように、言いたい事をきちんと言葉や表情、態度に表わす事が出来ない。出来ないから── 駄目なのだと、自分で決めつけて。
本当は、ただ一言尋ねたいだけなのに。
『あなたがわたしを思ってくれるのは、わたしを好いてくれるからなのですか?』
否定される事が恐くて、だから必要以上に壁を作ってしまう。それがキュラをさらに傷付けるのだとわかっているのに。
こんな自分などいらない。きっと、誰も好きになってはくれない。
そんな風にずっと考えていたのに、何故だかファイザードの言葉を聞いて、何かヒントをもらったような気がした。
ひょっとしたら、とキサは思う。
自分が見たあの幻夢は、過去に起こった事なのだろうか、と。確信はなかったが、その時の彼の苦しみが、彼にこんな強さを与えたのではないかと、そんな風に思ったのだ。
それに、もしそうなら彼が巡礼している理由もわかるような気がする。
もっとも、それは面と向かって聞けるものではないと、キサもわかっている。そしてやはりその思いは、感情として表に出る事はなかった。
「大丈夫だよ」
再びファイザードが繰り返す。今度ははっきりとした確信をもって。
「キサはきっと、感情がないんじゃなくて、感情の出し方がわからないだけだから」
「…そうだろうか」
「そうだよ」
一方的に決めつけて、ファイザードは立ち上がった。
軽く服に付いた砂を払い落とした後、軽く手を拭って当然のようにキサに向かって手を差し伸べる。
「帰ろうか」
穏やかな微笑みに、キサはほんの少し迷ってから、そっとその手を取る。思ったよりも、その手は大きくて温かかった。
「ありがと……」
色々な意味を込めて礼を言いかけ── しかし、それは突然の叫び声に掻き消される。
「だっめえええええっ!! イザにくっつかないでっ!!」
次の瞬間、二人の間に何者かが現われ、そのままがばっとファイザードに抱きついてしまう。もちろん、それは例の魚精である。
「イザはわたしのなんだからねっ!!」
「おいおい、アラパス。一人占めするなよ」
茶化す口調でそんな事を言いながら、鳥精までも現われる。
「……」
初めて目にした妖精── しかもファイザードを挟んで何やら争っている── に、キサは言葉を失った。
動揺が表に出ないのが、今度ばかりは怪我の功名のように思える。
「アラパス…フェラック…いい加減にしろよっ!?」
流石にファイザードが苛立ったように叫べば、彼の守護精達は揃って口を開く。
「いやんっ、イザ、怒んないでっ!!」
「悲しいぞ、イザ! おまえはオレの愛情を疑うんだなっ!?」
「だーっ! うるさいっ!!」
「…イザ。わたしは先に戻る」
何となくついていけずにぽつりと言った言葉に、アラパスが再び絶叫した。
「駄目ーっ! イザって呼んでいいのは、わたし達だけなのーっ!!」+ + +
たとえ、間違いなのだとしても。
たとえ、本来有り得ないものなのだとしても。
たとえ、人と違っていても。
たとえ、普通の人のように生きてゆく事が出来ないとしても。
今、ここに生きている事。
それは誰にも否定できない、真実だから──。〜終〜
After Writing
懐かしいですねー(爆)
これが一番、わたしがまともに執筆活動始めた最初の話なんですよ!
これの元原稿にあたる物語を取り憑かれたように書いたのって…ええっと、今から5年くらい前になるのかしら?(汗)
当時は手書きで、B6ノート2冊に渡って書かれていました。
これがちゃんと仕上がった最初の話です(爆)
いや、話的には続いているんでなんだかな、ですけどね(^-^;)
当初はここまでの予定だったんですよ、本当に。
でもキサとイザのそれぞれのバックボーンについてまったく触れてないので途中からシリーズに転向したんですねv
…という事で、この話は次の『贖罪の丘』に続きます。
こちらはもうちょい長いお話ですが、イザの過去について掘り下げられてゆきますので興味のある方は是非ご覧くださいませvBACK←