「── という訳なんですよう! 何とかして下さい、あのばか兄!!」
「あらあ、それは災難だったのね」
結局、あの後ぶち切れたディリーナが向かったのは、その問題の兄の恋人の所だった。
ディリーナにして見れば世の中でこれほど不思議な事はないと思うが、タルクにはもったいない位美人な彼女がいるのである。
名をカエラという。ディリーナにとっては、事実上姉のような存在だ。
「でもね、リーナちゃん。怒るのはもっともな事だけど、その占い…わたしがしたの。だからタルクの事、あんまり怒らないであげて?」
とか言って、申し訳なさそうに微笑まれると、ディリーナはうっと詰まった。
カエラは占い師だ。
占具を用いて、失せものやその他の事象を導きだす職業で、ランクで言えばCになる。だが、それは占い師という職業自体がそう位置づけられているだけで、本人の技量を表わすものではない。
── 詰まる所、カエラの腕はそれ程いいものではないと言う事である。
本人もそれは自覚していて、滅多には占わない。普段はもっぱら自分で織った織物を売って生計を立てていた。
「…あれはカエラさんが占ったやつだったんだ」
そう言われるとあの曖昧さの加減にも納得出来るのだが、流石に面と向かって頷けず、ディリーナは引き吊った笑みを浮かべた。
「カエラさんって、どうしてあのばか兄なんかが好きなんですか? もったいない」
そんな事を言って、さりげなくディリーナは話題を転じた。
もっとも、それは常日頃から疑問に思う事ではあるのだ。初めて兄を通じて引き合わされてからというもの、機会があれば聞いている事だったりする。
カエラはやはり何時もの穏やかな微笑みと共に、お馴染みの返事を返してきた。
「どうして、なんて言葉には出来ないわ。気が付いたら好きになっていたんですもの。それに、タルクはあれでリーナちゃんの事は気にかけているのよ?」
「…気にかけていて、こんな事する兄が何処にいるんです」
「リーナちゃんが可愛くて仕方がないのよ、きっと。だからちょっかいをかけちゃうんだと思うわ。わたしは兄弟なんていなかったから、ちょっと羨ましいくらいよ?」
「…あんなので良かったら、熨斗(のし)付けてあげますよ。もう、もらっちゃって下さい」
投げやりに言うと、カエラはくすくすと軽やかな笑い声を漏らす。
「そんな事言って。リーナちゃんだって、タルクがいなくなったら淋しいとか思うでしょうに」
「そんな…事、ないですよ」
直ぐ様否定しかけて── けれどもふと思い返して婉曲(えんきょく)に否定した。
自分達はあっさりしたものだが(その自覚はある)、カエラもまた魔族によって家族を失ったと聞いていたからだ。
いくらディリーナでも、そこまでデリカシーのない事は言えなかった。
「それで? リーナちゃんは結局探しに行くのね?」
笑いながら、カエラは確認してくる。
そんなカエラのふわふわの蜂蜜色の髪を眺めながら、ディリーナは諦めたようにため息をついた。
「カエラさんが説得してくれないって事は、足掻(あが)いても無駄って事でしょ? だったら行きます。いくらなんでも、こんなの付いてちゃ嫁にも行けないですもん」
むすっとした口調で答えながら、ディリーナは腰掛けていた椅子から腰を上げる。
こうなったら善は急げだ。
旅支度は職業上慣れたものだとは言え、今回のように期限無制限の代わりに、手がかりがほとんどないのは初めてだ。慎重に用意すべきだろう。
「あ、リーナちゃん。準備が終わったらわたしの家に寄って行って。いい石が手に入ったから。…せめてもの罪滅ぼしに、ね?」
「…ありがと、カエラさん」
申し訳なさそうなカエラの言葉に、ディリーナは苦笑し肩を竦めた。
せめてあの兄にも、これくらい思いやりというものがあれば、と思うが、思いやり深いタルクというのも不気味だ。
これはあの兄の妹に生まれた以上、逃げられない運命のようなものだろう。…自慢ではないが、開き直りは得意とする所だ。
こうなったらあの兄の鼻を明かす為にも、一刻も早く旅立ち、見事《魔法門》を見つけ出さなければ。
「じゃ、また後で!」
見送るカエラに手を振って、ディリーナはカエラの家を後にした。
+ + +
「…タルク。リーナちゃん、帰ったわよ?」
ディリーナが扉の向こうに消えるやいなや、カエラは呆れを滲(にじ)ませた口調で自分の背後に声をかけた。
「おう。知ってる」
そう言って、問題の兄・タルクは奥からひょっこりと顔を出した。
どうやら今まで、奥の部屋に隠れていたらしい。
「やっぱりディの奴、ここに来たか。そうすると思った」
当然のように、先程までディリーナが座っていた椅子に座り、タルクはへらりと笑った。
そんな彼に呆れた目を向けて、カエラはため息混じりに呟く。
「…だからって、裏口からこそこそ来る事ないのに……」
「いや、兄としてのプライドが許さん」
どういう所が兄のプライドとやらに関わるのかよく分からなかったが、タルクの物言いに慣れていたカエラはさっさと話題を転じる事にした。
こういう場合、下手に突付くと話が進まなくなる。
「…タルク? わたしは探しものが《魔法門》だなんて初めて聞いたけど。どういう事? あなた、そんなものが必要だと思うの?」
細い眉を顰(ひそ)めてカエラは尋ねた。
「あなた、わたしに占いを頼んだ時、『リーナちゃんに必要なもの』が何処にあるのか知りたいって言ったじゃないの」
「ああ。そう言ったな」
怪訝さを隠さないカエラを余裕の表情で見つめて、タルクは肩を竦めた。そんな仕草は流石に兄妹だけあってよく似ている。
「…じゃあ、どうして」
「その辺りの代物でなけりゃ、あいつが簡単に見つけてきちまう可能性があるからさ。あいつ、マジックハンターとしての才能はさておき、変な所で運がいいからなー。…ま、追い出す為の大義名分だから、何でも良かったんだが」
「…呆れた」
「何を言う。オレほど妹思いの兄はいないぞ?」
どうやら心底そう思っているらしく、タルクは自信満々に言い放つ。
カエラは疲れたようにため息をつくと、ちらりとディリーナが先程出て行った扉に視線を走らせた。
「…知らないわよ? あんな曖昧な占い結果、信じるなんて危険この上ないわ。…占ったわたしが言うのも何だけど」
「大丈夫だろ」
一体何処からそんな自信が来るのか、偉そうにタルクは断言する。
「最悪、魔法門が見つからなくても『ディに必要なもの』は見つかるだろうし。死なないようにランクアップの刻印も奮発したしな!」
その言葉に、カエラは眩暈を感じて、思わず眉間を指で押さえた。
「…ねえ、わかってるとは思うけど──
マジックハンターのランクが上がっても、攻撃力は上がらないのよ?」
マジックハンターは結局、対魔法具に対する能力でしかない。
たとえ相手が小物の魔族相手でも、攻撃手段はないのだ。肉弾戦か、良くて兼業しての魔術師のランク持ちが魔法戦を挑む程度である。
さりげなくも容赦ないカエラの突っ込みに、一瞬タルクは硬直した。
もしやと思ったが案の定、そうした事は抜けていたらしい。──
が、すぐに復活すると、少々引き吊った笑いを浮かべてタルクは言った。
「…こ、今夜にでも、もう一方の方も上げとくさ」
「…そうした方がいいと思うわ」
何もそこまでこそこそしなくたっていいのに、と思いながら、カエラは兄妹二人の来訪の間に冷めきってしまったお茶に口をつけた。
+ + +
そして、翌日。
「いい天気ねえ」
晴れ渡った快晴を仰いでカエラは目を細めた。
「おお。まるでディの新たな旅立ちを祝福するかのようだな!」
その隣でタルクがそんな寝惚けた事を言う。
一体誰のせいで『新たな旅立ち』をする羽目になったと思っているのだろう。
「…魔法門でいいのね。それ以外じゃなくて」
怒りのこもった声でと確認を取る。
そうしておかないと、必死で探し出していざ帰ってきたら『ああ? そんなもん頼んだっけ?』などと言い出しかねない兄である。
ここはカエラという立ち会い人がいる場所でしっかり確認すべきだろう。
「何だ? 今更やっぱやめるとでも?」
ディリーナの心中を知ってか知らずか、タルクは答える代わりにばかにしきった顔でそんな事を言い放ち、ふふんと鼻先で笑った。
「……ッ!」
やはり、ここは一度くらいしばき倒すべきか? などと思ったディリーナだったが、場所が人が大勢行き交う街道だった事を思い出して踏み止まった。
(心頭滅却心頭滅却…我慢、我慢するのよ、ディリーナ! こうなったら一刻も早く魔法門見つけだして、この腐れ外道の鼻をあかしてやるのよ!!)
そう自分に言い聞かせて、ディリーナはいつもより幾分重装備になった荷物を背負った。その勢いで身に付けたさまざまな石が硬質の音を奏でる。
「カエラさん。こんなばか、さっさと見限っていいですからね」
「なんだと? ディ、おにーさまに向かって何という暴言を」
「…御助言、ありがたくいただくわ。気をつけてね、リーナちゃん。その石が役立たない事を祈ってるわね」
タルクの言葉を遮るように苦笑混じりに答えて、カエラは少しだけずれた額の布を直してくれた。
「うん。ありがと、カエラさん」
首と、手首と指と。手がすぐに伸ばせる場所にぶら下がった大小様々な石。これは決して路銀代わりではないし、もちろん装身具でもない。
これは── ディリーナの唯一の攻撃手段となる物。
これを使う事態というのは、結局『魔族』と接触するという事だ。ディリーナとしても、そうした事態は何としても避けたい所だった。
何しろ実戦経験皆無なのだ。魔族を見た事がないとは言わないが、戦った事はほとんどない。
その事を考えるとちょっとばかり不安も覚えたが、心配そうなカエラの横でへらへら笑っている兄の顔を見たらそんな深刻な気分も霧散した。
(見てろよ、クソ兄貴!!)
もはや当初の『額の恥ずかしい刻印を消す』という目的すらも抜け落ちているディリーナであった。
「じゃ、行ってくる。絶対に一年以内に帰ってきてみせるから、首を洗って覚悟しときなさいよっ!!」
びしいっと指を突きつけて、ディリーナは颯爽と身を翻して旅立って行く。
その背中を見送りながら、カエラが不思議そうにぽつりと漏らした。
「…タルク? リーナちゃんと決闘でもするの?」
「は? …何だそれ」
余りにも思いがけない事を言われたのか、タルクが珍しくその切れ長の目を丸くする。それを興味深げに見ながら、カエラは困ったような顔で言った。
「だって…どう見てもリーナちゃん、マジックハントに行くと言うよりも、武者修行に出るって感じなんだけど」
「…気のせいだ」
自分でも思う所があったのか、タルクはちょっとばかり硬い声で否定する。
何はともあれ、ディリーナの魔法門を求める旅はこうして始まったのだった。
〜終〜
After Writing
何だかよくわかりませんが、不思議な人気を誇る『魔術士見習い●●曲』の一番最初の話、「前奏曲」です。
日記でも書いたんですが、これは今から五年ほど前に書いて、その後ほとんど修正をかけていなかったブツだったのですが。
…この度、ほとんど書き直すレベルで加筆修正をかけました(汗)
だって…あまりにもっ、あまりにも中身がなさ過ぎる!!
確かにプロローグなわけですし、少々中身がなくても問題はないように思うのですが、久し振りにちゃんと読んでみたら、少々どころではなかったんです(涙)
そんな訳で、大幅加筆+修正です。
しばらく公開してなかったので、あまり変わってないような印象があるかもしれませんが、元の文章を横に置くと一目瞭然!
なんと、油性ペンで書いた線もこの通り、キレイにピカピカになる程です(意味不明)
さて、武者修行(違)に旅立ったディリーナは、果たして無事に《魔法門》を見つけ出せるのか!?
気になる方は、続篇の「練習曲」をご覧下さい♪(^^)