魔術士見習い習曲

- 9 -

「お? ディ、どうした。あの坊やとパーティ組んで行ったんじゃなかったのか?」
 太陽がその姿を消す頃、ディリーナは《フォルク》の本部へと辿り着いていた。
 当然のように一人である。
 彼女の姿を認めて、情報係のオヤジが怪訝さを隠そうとせずに声をかけてきた。
「── 何の事?」
 にっこりと穏やかな笑顔でのその返答に、情報係は何か思う所があったのか、「い、いや…別に」と言葉を濁す。
 …世の中には、知らなくてもいい事があるのだ。
「そうだ、おやっさん。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「な、何だ?」
 思わず及び腰になる情報係。
 そんな彼を、ディリーナは微笑んで見つめる。…が、その瞳は笑っていない。
 なんでこういう所は兄妹でそっくりなんだろうか、と彼女の兄ともそれなりに馴染みのある彼は思ったが、口にはしない。実に賢明な判断だった。
 …世の中には、口にしてはならない事もあるのだ。
「あのね……」
 言いかけて、ふとディリーナは一度考え込むように言葉を切った。そして言葉を吟味するかのように、少しだけ上目遣いで天井を睨んだかと思うと──。
「『家族経営の弱小ギルドで、絶対的な人手不足。なのに何処からも引く手数多の解呪士がいて、さらに自分の使役する精霊を雑用に貸し出せる程の召喚士がいる』ギルドって実在するの?」
 と、立て板に水の調子で一気に言い切る。
「…はあっ? 何だって?」
 流石にインパクトがありすぎて、情報係は話が掴めなかった。
 思わず漏らした言葉に、ディリーナは真顔でもう一度繰り返す。
「だから。『家族経営の弱小ギルドで、絶対的な人手不足。なのに何処からも引く手数多の解呪士がいて、さらに自分の使役する精霊を雑用に貸し出せる程の召喚士がいる』ギルドって実在するの? する訳ないわよねっ?」
 いかにも否定しろ、と言わんばかりの言葉である。
 実際、彼女の言う条件を満たすものなど、普通ならまず有り得ないとも言えただろう。そんなギルドが存在するのなら、様々な意味で有名になってもおかしくはない。
 まず最初の極少数規模である事が挙げられる。
 ギルドとは、すなわち組合である。不特定多数の人数が寄せ集まり、一つの集団を形成しているのが普通だ。
 様々に持ち込まれる依頼を捌(さば)くには、どうやっても一定の頭数は必要になる。
 そして第二に、解呪士や精霊を他者に貸し出せる程の能力を持った召喚士を有するという事。
 解呪士はランクの壁などを越えて、何処のギルドも欲しがる金の卵。
 高いランクの召喚士も、一人で全ての属性を操る事が可能なだけに需要は多い。その二つを同時に有する事自体かなり確率的に難しいに違いなかった。
 世界で指折りの大ギルドのどれもが、それを成し遂げていない事でもわかる。
 その二つだけでも、ディリーナの言葉は肯定されるべきだった。それが普通なのだ。当たり前の事なのだ── が。
 情報係は前向きに肯定もしなければ、否定もまたしなかった。ただ、思案顔でうーむと唸っただけだ。
 その反応に、ディリーナは嫌な予感を感じた。それはもう、びしばしに。
 そして、その予感は少し声を抑えた情報係の言葉によって的中する。
「…あると言えばあるし、ないと言えばない…んだよなあ……」
 その、異様に歯切れの悪い一言によって。
 途端にディリーナの顔が引きつった。そんな、まさか。その思いだけがディリーナの頭の中を駆け巡る。
「…なんなの、そのはっきりしない答えは!?」
 思わず逆上するディリーナに、情報係は慌てたように首を振った。
「な、ないよ! ないって、そんなのは!!」
「嘘言うんじゃないわよっ!! …あるのね?」
 情報係の必死に否定こそ、肯定の証のようにディリーナには思えた。
(…あるの? そんなばかげたギルドがこの世に?)
 ではあの人でなしは、嘘をつかなかったと言う事か。
 一方的に疑ってしまっただけに、少々居たたまれない気持ちになる。
「ま、まあ…本当にあるとは言い切れないんだけどな」
 急にパワーダウンしたディリーナを怪訝そうに見つつ、情報係はさらに声を落として彼の知る情報を口にする。口外無用だぞ、と視線で訴えながら。
「ディも、三大ギルドはよく知っているだろう?」
「え? ま、まあ…そりゃね。こういう稼業をしてたらね」
 三大ギルドとは、この世界に多数存在する魔術士系ギルドの内でも最も有力なギルドの事だ。
 それぞれに特色があるだけに、その均衡を破るギルドは当分出ないだろうとまで言われる。
 人海戦術で物を言わせる最大の加盟者を誇る《エルト》、人数こそは《エルト》に及ばないものの加盟者の平均ランクの高さではそれを上回る《シーグル》、そしてどちらかと言えば戦士系職業の者が多く、魔族討伐系を主に行っている《ガナレア》、この三つだ。
 すなわち、数と技と力をそれぞれ象徴としており、有名なだけに加盟するには非常に高い競争率を闘い抜けねばならない…らしい。
 この辺は、初めからその辺に入ろうと思ってもいなかったディリーナにはよくわからない事なのだが。
「《エルト》も《シーグル》も《ガナレア》も、どれも世界規模のギルドだ。大抵の王国がいずれかと派遣契約をしているのは、まあ常識だな。…だが、中にはそのいずれとも契約していない国がある」
「…ああ、そう言えば」
 言われてみて、思い出す。
 ほとんど自分には関係ない世界の事なのでよくは知らないが、意外な国が国専魔術士のみを持つばかりで、大規模なギルドと契約を結んでいなかった記憶がある。
 例えば──。
「東の大国、とか?」
「そう、ダイナストなんかそうだな。他にも数カ国そういう国がある。…何故、彼等は契約を結ばないと思う?」
「何故って…── 必要、ないから?」
 益々声を潜めて、妙に真顔になる情報係についていけなくなりながらも、ディリーナは思った事を答える。
 普通に考えるのならば、『必要性がないから』というのが一番妥当に思えた。その答えに、情報係は神妙に頷く。
「そう…必要ないからだ。何故なら…その国にはその国専属のギルドがついているからなんだ」
「…国専属の、ギルド?」
「そうだ。国専魔術士とは別に、その国の有事の際に、その国だけに手を貸す事を約束したギルドだ。逆に言えば、国関係でなかったら滅多な事では動かない。…ギルドとは名ばかりの集団だよ」
「…そんなのあり、なの?」
 そんな話は初耳だ。驚きを隠せないディリーナに、情報係は少し意外そう目を彼女に向ける。
 わざわざ聞くくらいだ、当然その辺の噂の片鱗でも耳にしたからだと思ったのだが、どうやら違ったようだと判断する。
「まあ、俺達の世界では有名だな。特にダイナストの影にいるギルドなんて、ギルドの裏を知る者には知らない者がいないってくらい有名だからな。何しろ…構成者が全部ランクA以上だって言うんだから」
「…はい?」
 冗談にしか聞こえない事を言われて、ディリーナは思い切り耳を疑った。今、情報係は何と言った?

 ──『構成者が全部ランクA以上』

「…A以上って、何よ?」
 ディリーナも職業判定試験を受けて今に至るくらいだ。
 意味だけならわかる。つまりは── 規格外という事だ。
 あまりの能力の高さに、ランクの判定が出来ない。ランクの枠に収める事が出来ない存在。
 稀に生まれるのだとは、聞いた事がある。でも、本当に存在するなんて聞いた事がない。
 しかもダイナストと言えば結構近い。余計に信じられなかった。
「ま、まあ…それが本当かはわからないけどな。その存在は感じられても、実際に遭遇したという話も聞かないんだ。でな、そういうギルドは他にもあるだろうって事さ」
「じゃあ、私が言ってた条件に合うギルドがあるかもしれないって事?」
 少なくとも、『構成者が全部ランクA以上』などという絵空事のような存在よりは在り得るような気がしてきた。
 情報係はさあな、と曖昧に答えた。
 彼にしても、事実関係がはっきりしない、けれども限りなく『事実』に近いその噂を、頭ごなしに信じる事は出来ないのだろう。ただ、いつだったか耳にした事を伝えただけだ。
 数々の噂の中── ディリーナの言うギルドに限りなく近いギルドの事を聞いた事があった。
 解呪士と召喚士と魔法戦士のみという極小数でありながら、何故かギルドと認められたというギルドの事を。
 しかし、それについては彼は口にしなかった。
 ディリーナの口がそんなに軽いとは思わないが、本当に『世の中には知らなくてもいい』事があるのだ。秘密のままに、しておくべき事が。
 結局、実在するのかしないのかわからないままに会話は終わってしまったが、ディリーナの中には確信が生まれていた。
 やはりユケが言っていた非常識なギルドは実在するに違いないのだ、と。
 同時にしまった、とも思う。
 …そんなすごいギルド関係者なら、何時かとんでもないしっぺ返しが来るかもしれないではないか。
 別れしなに自分がやってしまった事を思い返して、思わずぐったりとうな垂れたディリーナを、事情を知らない情報係が薄気味悪そうに眺める。
 ──と。
 その目が、ディリーナのうな垂れた首の辺りに釘付けになる。何か、文字のようなものが見えた気がしたのだ。
「…なあ、ディ」
「え?」
 何か、困惑したような声で顔を上げると、情報係は眉間に皺を寄せて彼女を見ている。彼はその表情のまま、ディリーナに頼んだ。
「ちょっと、首の後ろ、見せてくれないか?」
「……──!?」
 情報係の言葉の意味を理解するのと、そこから導き出されたある事実に思い至るのはほぼ同時。
 ディリーナは瞬時に幻のギルドの事を忘れ去った。
「そーだった! あのクソ兄貴!!」
 思わず握り拳を握って、ディリーナは吼えた。そのまま椅子を蹴倒してすっくと立ち上がる。
 ユケの事ですっかり忘れ去っていたが、額に施された刻印だけでなく、もう一つの刻印が何処かに施されているはずなのだ。
 …ストーンマスターのランクを上げる刻印が。
「なあ、ディ。見せて……」
「ダメっ! 絶対に見せない!!」
 単なる好奇心で見ようとする情報係から飛び退って、ディリーナは首の後ろを手で抑える。
 確かに刻印を施す場所として、首の後ろというのは一般的である。が、問題はそれが施された本人には見えないという事だ。
(何て書いてあるのか知らないけど、絶対に変な事に違いないっ!)
 悲しいかな、これだけは断言出来た。
 何しろ、額の刻印からして『間抜けヅラ』という許しがたいものなのだから。
 そのまま情報係を置き去りにして、脱兎の勢いでディリーナはその場を後にする。
 これからの行く先についての情報なども得ようと思った事も、すっかり記憶の彼方に飛んでしまった。
 半泣きで駆けていくディリーナのその後ろ首。そこにはこんな言葉があった。

 曰く──『兄の愛♪』。

 ディリーナが、これを見て『まあ、お兄様ったら♪』と引きつった笑顔を浮かべながら、新たな闘志を抱くのは宿に戻ってからのこと。
 …こうして、ディリーナの《魔法門》を求める最初の冒険は幕を閉じたのだった。

〜終〜


After Writing

『魔術士見習い●●曲』の続篇、「練習曲」です。

書きあがるのに二年ほどかかったという、恐るべきブツです。
原稿用紙で117枚なら、頑張ったらもう一つ小さい単位の二ヶ月で書けたんじゃ?という疑問が尽きません。
なんだってそんなにかかったんだろー(悩)

折角だったので、三年ぶりに弱冠加筆修正をかけました。
修正はほとんどなくて、加筆が中心です。
微妙な台詞回しとかなので、全体的な雰囲気は2001年の時と変わっていないかと思われます(汗)
そもそも、行き当たりばったりで書き始めたブツだったわけですが、こうして見ると結構この頃の作品にしてはまとまっているような……?

さて、ディリーナは、果たして一体いつになったら《魔法門》を見つけ出せるのか!?
続篇は書く方向で考えておりますので!(ええ、結構本気で)
気長にお待ち下さいv(汗)

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