魔術士見習い習曲

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「…あいたた……」
 まだ涙目で頭を摩(さす)っているユケを横目で睨みつつ、ディリーナは久方ぶりに触れた地上の空気を胸一杯に吸い込んだ。
 周囲はかなり日が傾き、夕刻も近いようだった。思った以上に時間がかかったらしい。
「本当に殴るんだからな〜。ひどいや」
「何言ってるのよ、ちゃんと手加減してやったでしょ!」
 ぶつぶつと文句を垂れるユケに対し、その言い草はないではないかと、ディリーナは反論する。
 流石にあそこで死なれるのはぞっとしないので、岩ではなく代わりに「ぐー」で殴ってあげたというのに。
「結局、魔法門なんてなかったんだし、騙したそっちが悪いのよ」
「騙すなんて人聞きの悪い。最初から言ったじゃないか。あるかどうかはわからないってさ。僕だって、呪いの解除は依頼されたけど、魔法力がこんな風に淀んだ理由なんて知らなかったんだよ?」
 恨みがましそうに訴えるユケに、ディリーナはどうだか、とそっぽを向く。
 どうもこの解呪士は信用できない。
 本当に「面白いから」という理由だけで、こんな所に連れて来られた立場としては、そう簡単にその言葉を受け止められるはずもなかった。
「…もう、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。こうして無事に五体満足で地上に戻って来れたんだしさ」
 …などと、背後で呑気に言われて、頭にこない方がおかしいと思うのは変なのだろうか、とディリーナはふと考えた。
「…戻っては来れたけど、そもそもあんたがわたしを巻き込まなかったら、こんな目に遭ってないのよ? …もー、折角カエラさんがくれた石とか全部なくなるし! 魔法門はないし! 最悪よっ!!」
 苛立ちついでにがなると、流石のユケも幾分むっとした様子で言い返す。
「何だよ、こっちの誘いに乗ったのはそっちじゃないか。困ってそうだから声かけたのに、そこまで言わなくてもいいだろ?」
「う。そ、それはそうだけど! でも結局、あんたは依頼果たせて万事OKだけど、わたしは骨折り損じゃないのよ〜!」
 元々、それ程路銀がある訳でもない。
 その僅かな資金で、これからの旅の再装備をするのかと思うと、ちょっと気が遠くなる。石一つでもそれなりの金額はするのだ。
 だが、ユケはきょとんとした顔になると、実にあっさりと言い放った。
「誰も無報酬なんて言ってないけど?」
「── へ?」
 耳を疑うディリーナ。
 思わずあげた間抜けな声に、ユケはまた例の、掴み所のない飄々とした笑みを浮かべて繰り返す。
「ちゃんと報酬は支払うってば。今回はリーナに結構助けられたからね」
「…何か企んでない?」
「── リーナ? 人の好意は素直に受け止めなよ」
「あんたのだけは素直に受け止められるわけないでしょ、人でなし」
 言いながらも、「な〜んだ、こいつって意外といい奴じゃないの♪」とちょっと相手を見直す現金なディリーナだった。
「でも…ま、今回はとーぜんよねっ。わたしがいなかったら、あんた死んでたし♪」
 途端に上機嫌になるディリーナを見て、ユケは少々呆れた目を向けたが、すぐに気を取り直したように、地面に何か紋様を描き始めた。
「…何してるの?」
 今度は一体何を始めたのかと、警戒するディリーナに、ユケは気にした様子もなく手を動かしながら答える。随分と手馴れた様子だ。
「え? ああ、宿に置いている荷物をこっちに移動させようと思って。…ああ、来た来た」
 書き終わると同時に、そこから何か小さなものが姿を現した。
 全体の大きさは掌に乗りそうなくらい。人に似た形の、まるで土で出来た人形のような姿をしている。
 それが、まるで指令を待つようにじっとユケを見上げた。
「ごめん、僕の荷物持ってきてくれる?」
 その土人形のようなものはユケの言葉を受け止めると、こくり、と一度頷くと再び地面の中に姿を消してしまった。
「…い、今の、何……?」
 何だか得体が知れなくて思わず尋ねると、ユケは意外そうな顔を見せ、逆に聞き返してくる。
「地精って見た事ない? 四大元素の一つを司る精霊の一種なんだけど。リーナのギルドには召喚士はいないの?」
「召喚士はいる事はいるけど……。って、あんた、召喚士でもあるわけ!?」
 なら、今までの「非戦闘要員」というのはどういう事なのか。いくらランクが低くても、攻撃手段にはなっただろうに。
 やっぱりこいつは嘘つき野郎だ、と勝手に決め付け始めたディリーナに、ユケが慌てたように首を振って否定した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。僕は解呪士ではあるけど、召喚士のランクなんて持ってないってば!」
「じゃあ今のは何よ!!」
 と、ディリーナが言った所で、また紋様から先程の土人形が姿を現した。
 そして、土の中から何かを引っ張り出す仕草をすると、土人形の大きさからすると何倍もある、旅道具一式と思われる包みがすぽん、と取り出される。
「……」
 あまりに(ディリーナにとって)非常識な現象に、絶句するディリーナを無視して、土人形は再びユケにその目をじっと向けた。
 他に何かないか、と尋ねているようにも見える。対するユケは慣れたようにその土人形に笑いかけ、労いの言葉をかけた。
「ありがとう、いつも助かるよ。僕はまたこのまま次の依頼地に移動するって、ご主人様に伝えておいてくれる?」
 土人形は再びこくり、と頷くと再び大地へと姿を消してしまう。今度は地面に書かれた紋様も同時に消えてしまった。
「…という事で、今の地精は僕じゃなくて、僕の属するギルドの召喚士が連絡・雑用用に僕に貸してくれてるだけなんだよ。わかった?」
「貸すって…ねえ……」
 それにしたって、少なくとも召喚士がわざわざ自らの使役する精霊を第三者に貸し出すなんて聞いた事もない。
 そう思った事が伝わったのか、ユケは「あ、そうか」といった顔になる。
「もちろん、それはうちが弱小ギルドだからなんだけど。うちはいわゆる家族経営みたいなものでさ、人手が絶対的に足りないんだよ。たまたまうちには腕のいい召喚士がいるから、それで肩代わりをしてるんだ」
「…ふーん」
「…リーナ、信じてないね?」
 思い切りどうでも良さそうな返事に、ユケがじとりと睨んでくる。
 その視線から逃げるように明後日の方向に目を向けながら、ディリーナは慌てて言い訳した。
「そんな事ないわよー。ただ…認めきれないだけでさー」
「それを信じてないって言うんだと思うんだけど」
「……」
 実際、信じろと言う方が無理があるのだ。
 家族経営の弱小ギルドで?
 絶対的な人手不足で?
 なのに、何処からも引く手数多の解呪士がいて?
 さらに自分の使役する精霊を、雑用に貸し出せる程の召喚士がいる?
 ── そんなギルドがあるというなら、ぜひ拝んでみたい位である。
「念の為に聞くけど、本当にあんた、その…家族経営のギルドとやらに加入してるの?」
 担がれているんじゃないかとしか思えないが、あえて駄目押しで尋ねてみると、ユケは至極真面目な顔で頷くのだった。
「うちのギルドマスターはちゃんと組合から認定証も貰ってるんだよ。その辺のモグリと一緒にしないでくれる?」
「だってさー…めちゃくちゃ怪しいんだもの」
 どうやっても信じきれないディリーナに、これ以上言っても無駄だと思ったのか、ユケは一回ため息をつくとごそごそと荷物を弄り始めた。
「…何やってんの?」
 今度は何を始めたかと尋ねるディリーナに、ユケははい、と何かを放り投げる。慌てて受け止めると、それは皮で出来た小袋だった。
「それ、報酬ね」
「これが?」
 ギルド経由で依頼を受けた時は、依頼が完了した時に為替で受け取るのだが、ユケは現物支給らしい。妥当と言えば妥当だろう。
 袋を開いてみると、いくつかの石が入っている。
 大きいものはディリーナの親指の爪ほど、小さいものは小指の爪程度とまちまちだったが、ざっと見ても十数個は入っているようだ。
 色も、無色透明なものから赤や青といった鮮やかなものまで様々である。
「…こ、これって……」
 一目でそれ等が今までディリーナが使用してきた石よりも何倍も強力な── それだけに高価でもある── ものだとわかった。
 すなわち…そのどれもが護身用などではなく、まさに『装飾用』と扱われてしかるべきもの── いわゆる、『宝石』と呼ばれる類なのだ。
「…何でこんなの持ってるわけ?」
 あまりに凄すぎてかえって実感を持てず、ディリーナは取り合えず頭の中にもたげた疑問をそのまま口にした。
 解呪士にはおよそ不要なもののように思われた。路銀の代わりに持ち歩くにしても、随分と扱いが適当のような気もする。
「貰ったんだよ」
 と、ユケはあっさりと言う。
「貰ったあ!?」
「うん、それこそ報酬の一部としてね。僕には特にいらないものだし、いちいち換金するのも面倒だから。それだったら、今回の報酬には足りるかと思ったんだけど」
「足りるどころか…お釣りも来るわよ……」
 思わず呆然と呟いてしまうディリーナ。庶民には少しばかり、刺激が強い代物だった。
「大丈夫? 何か、顔が引きつってるけど」
「だ、大丈夫よ! …ねえ、本当にこんなの貰っていいわけ?」
 どうしても何か裏があるのではないかと思ってしまう。
 今回した自分の働きなど、本当に些細(ささい)なものなのだ。それに対し、与えられた報酬は過分としか言いようがなかった。
「いいよ。…何を、警戒してるかな」
「だ、だって……」
「今回は結構リーナに迷惑かけたからね。迷惑料って事で」
 言いながら、ユケは荷物をまとめなおすと、その背に背負う。
 そして迷惑をかけたという自覚はあったのか、と考えるディリーナを振り返ると、にこやかに言った。
「じゃあ、僕はこのまま次の依頼に向かうからさ。今回は楽しかったよ」
「楽しかったって……」
 喜んでいいのか、怒るべきなのかわからないまま、ディリーナは口篭もる。そして少し考えて、再び口を開いた。
「こっちこそ、楽しかったわ。…魔法門は見つからなかったけどね」
 ── 実際には楽しいなどという表現で括っていいような体験でもなかったのだが、こういう場面で混ぜ返すのもどうかとディリーナは思った。
 最後くらい、平和的にいかねばと思う。…別に、報酬を貰ったからという訳ではなく。
「魔法門はそう簡単には見つからないと思うけど、頑張って。…おにーさんを見返すんだっけ?」
 思い出したように言うユケに、ディリーナは力強く頷いた。
「そうよ! あのクソ兄貴……!!」
 諸悪の根源の顔を思い出し、一気に怒りの形相になるディリーナをしげしげと見つめて、ユケは最後の最後で言わなくていい一言を漏らした。
「…リーナも負けてないよね、いろいろと」
 …ディリーナの表情が、さらに怖いものに変化する。
 やがて静かな山中に、何やら不吉な鈍い音が響き渡った……。

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