孤  な 翼


 気がついた時には、独りだった。
 親と呼べる存在はなく、兄弟もなかった。
 当然、最初からいなかった訳ではないだろう。しかし、『自我』に目覚めた時には彼等は何処にもいなかった。それだけが真実。
 燃え盛る炎の中で見上げた空は、何処までも果てしなく遠く── その瞬間、理解した。


 たとえここで自分が死んでしまっても、誰もその事を悲しんでくれはしないのだと──。

+ + +

 大陸南西部── そこには世界的にも名の知られた火山が存在している。
 その山の名はディシタ。草木も生えない溶岩だけで出来た山。
 そこは南東部に存在する砂海と共に『不毛の地』として知られている。
 故にそこに立ち入る命知らずはおらず、またそこで生きる事の出来る生き物も限られていた。
 彼はその火口で生まれた。
 他の生き物ならば触れるだけで跡形も残さず焼き溶かしてしまいそうな熱の中、気がつくとそこにいたのだ。
 生れ落ちてから今まで、一体どれだけの時間が過ぎたのか。少なくとも、十年や二十年ではない事は確かだ。
 その間に人の世界ではいろいろ大きな騒ぎがあったようだが、彼には関係のない事だった。
 たまに気まぐれで周辺を飛び回る事もあったが、ディシタ周辺は荒野が広がっていて、人里もほとんどない。その内飽きて、飛び回るのも止めてしまった。
 変化など起こるはずもない日々。
 生きているのか死んでいるのか、それもわからないような単調な毎日に飽き飽きしながら、それでも自分で命を絶つ事はできなくて、そろそろどうにかなってしまいそうになる頃。
 ── 彼の一生を変える異変は起こった。

(…何ダ、コレ?)

 感じ取ったのは、微かな波動。大気を伝わって届く、強大な力の片鱗。
 たったそれだけなのに、感じ取るだけで身体の内が震えるような感覚を感じて、彼は戸惑った。
 それは時間が経つにつれ、大きくなって行く。近付いて来ているのだと理解したが、同時に首を傾げた。
 ディシタに好きで足を踏み入れる生き物が何処にいるというのだろう。
 熱と炎、硫黄のガス。ここには生き物を死に誘うものばかりが揃っているのに。
 だが、それは近付いて来る。同時に複数の気配を感じ取り、それが集団である事に気付いた。

(バカナ…イッタイ、ナニモノダ……!?)

 驚きと共に、久しく動かなかった好奇心が刺激される。
 危険だなどとは思わなかった。ここは彼の家、彼の庭だ。この地において、彼に逆らえるものなど存在するはずがない。
 …それは確かに驕りであったかもしれない。だが、それは限りなく真実だった。
 炎の中で生まれ、炎を食らって生きる。それが、彼。
 熱と火が支配するこの場所で、彼以上に力を持つものは存在しないのだから。
 久しく動かしていなかった翼を広げ、飛び上がる。上空に上がれば、よりそのやって来る方向がわかると思ったからだ。
 しかして、彼は遥か遠く、北東の方から近付いて来る一団を捕えた。
 一団── そう表現するのは少々間違いかもしれない。というのも、それはたった四体の生き物で構成されていたからだ。
 
(…水ト、大地…風ノ力ヲ感ジル……)

 つまり、この地に存在する「火」以外の全ての要素だ。あと一つ、よくわからない何かが感じ取れるが、彼は特に気に留めなかった。
 やがて、その一団から風の力を感じるものが離れ、彼の元へ向かって飛翔してくるのがわかった。
 強い風の力は周辺の熱を押さえ込み、瞬く間に彼の前に姿を現す。

《お初にお目もじいたしますわ、ディシタの王》

 それはその有する力を考えると、意外な位に小さかった。
 大きさにすると彼の身体の半分もない。人間で表せば、掌に乗る位だろうか。まさに小鳥の呼び名に相応しい姿である。
 だが、その身体を彩る色ははっとする程美しかった。深い青── 風切り羽だけが白い。

《わたくしは瑠璃羽のリンセイと申します》
《…瑠璃羽?》

 それは大してない記憶の中、僅かに残っている名前だった。
 確か、その羽の美しさを人間に珍重され、乱獲された結果絶滅したという──。
 何故その事を覚えているかと言えば、自分も似た境遇だと思ったからだが、実際に目の当たりにすると、確かに人間が好みそうな羽だと彼は思った。

《絶滅シタト……》
《ええ、わたくし以外に瑠璃羽が生きていたとしても、おそらく一握りでしょう》
《ソノ瑠璃羽ガ、オレニ何ノ用ガアル》
《我が主があなた様にお目にかかりたいと仰っています。申し訳ありませんが、同行していただけませんか?》

 リンセイと名乗った瑠璃羽は、見かけによらず大胆な事を言ってのけた。
 この地の『王』と認めながら、そんな彼に自らの主の元へ足を運べと言うのだ。相手が悪ければ次の瞬間には、この小鳥は炎の洗礼を受けていたに違いない。
 だが、幸か不幸か、その言い草は彼の逆鱗には触れなかった。

《会イタイダッテ? …オレニ?》

 今まで彼の元まで誰かが来た事もなければ、会いたいなどと言われた事もない彼は、その言葉に興味をそそられた。
 …刺激のない、ただ時間だけが無為に過ぎてゆく日々。そこに与えられた初めての刺激的な出来事だったから──。

《フウン…面白イナ。イイダロウ、会ッテヤルヨ》
《ありがとうございます。きっと主人も喜ばれますわ。あなた様に会う為に、わざわざここまで来たのですもの》

 リンセイも嬉しそうに羽を振るわせる。

《わたくしも嬉しいですわ。伝説の火喰い鳥にお会いするだけではなく、こうして直接お話まで出来るなんて》
《火喰イ……? …アア、人ハオレノ事ヲソウ呼ブノカ》

 耳慣れない言葉だったが、今まで己を表す言葉など持たなかった彼は、不思議な充足感を感じた。
 今まで曖昧だった形が、その言葉によってはっきりとした輪郭を得たような。
 そしてふと、疑問に思う。火喰い鳥というのは、多分種族を表す言葉だ。瑠璃羽というのもそうだろう。
 では── 『リンセイ』のような個体を示す名は?
 この自分にも存在するのだろうか。それとも、誰かにつけてもらったりするものだろうか。

《オ前…ソノ名前ハ、ドウシタ?》
《えっ? 名前というと…『リンセイ』ですか?》
《ソウダ。オ前ハ何故、ソンナ名前ヲ持ッテイルンダ》

 リンセイは一瞬考え込むように沈黙すると、もしかして、と再び口を開いた。

《あなた様には名がないのですか?》
《…アア》

 その意外そうな言葉に、胸が痛んだ。
 そうか、と思う。普通の生き物は、皆、名前を持つのが普通なのだ。
 自分はそれを持っていない。自分でつける必要などなかったし、つけてくれる存在もいなかったのだから。
 彼のそんな思いが伝わったのだろうか。リンセイは励ますように明るい声を出した。

《大丈夫ですよ、安心してください! わたくしだって、主人に会うまでは名前など持っていませんでしたよ。呼び名ならありましたけど》
《オレニハ、呼ビ名モナイ……》
《だったらなおの事、主人に会って下さい》
《オ前ノ主人ニ……?》
《ええ。リンセイという名は、主人が読み取って下さったものです。わたくしの本質を示す、魂に刻まれた特別の名前なのですよ。誰でも必ず一つ、持っている名前なのだそうですわ。もし、あなた様がわたくしの主人と会って下さるなら、お願いしてその名を教えて貰えば良いですわ。そうすればあなた様も名前が得られます》

 正直な所を言えば、リンセイの言葉は八割ほど意味がよくわからなかった。
 だが、名前が得られるかもしれないという誘惑と、ここまでわざわざやって来たというリンセイの主人に対する興味が彼の心を動かすのに十分だった。
 長い事独りきりで生きてきた彼は、あまりにも世間知らずで、愚かで、そして純粋だった。リンセイの言葉を疑心なく受け止める。

《…ソウカ。ソレハイイナ》
《でしょう? では早速参りましょう。わたくしが先導しますわ。着いていらして!》

 パサッと軽い羽音を立てて、リンセイが身を翻す。その後に付いて彼もまた羽ばたいた。
 僅かな距離とは言え、ディシタを離れるのは久し振りだった。最後にこの地を離れたのはいつだっただろう。
 ── だからこそ、彼は知らなかった。知っていたら、彼も簡単には誘いに乗らなかったかもしれない。
 …南西の地を中心に広がる、ある脅威の噂を知っていたなら──。

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