孤  な 翼


 ばさ…っ。


 木枯らしが吹く冬の庭に、羽音が響く。
 冬は日暮れが早い。すでに周囲には人気がなくなっている。彼は裏口と思しき木戸に近付いた。
 近付くだけで、ピリッと静電気のような感触が身体の中を走り抜ける。
 痛みまでには至らないが、不快な事は間違いない。神経に障るそれは、明らかにこの《悟りの塔》の管理者による、侵入者への牽制に違いなかった。
 しかし、だからと言って逃げる訳にも行かない。
 彼女の命令に従う以外の選択肢を、与えられていないのだから……。

(…ファイザード……)

 彼は呼びかける。
 会った事はないが、目的の子供は彼女の血を引いている。あの── 人の枠を越えてしまった、強大な力を持つ妖精使い・シリイの。
 ならば妖精である自分の波動に、誰よりも敏感だと思ったのだ。
 元より、それ以外の方法が思いつかなかったとも言えるが──。

(ファイザード…いるなら、出て来い)

 呼びかけながら、彼は自分自身を顧みる。
 一体、自分は何をしているのだろう。
 長い間ずっと独りで── その孤独に押し潰されそうな時に、あの女…シリイに会った。
 彼女に会って、ようやく自分はもう独りで生きて行かなくてもいいのだと思ったはずだ。彼女を主人として、その側に控え、種族こそ違えども数多くの仲間と共に──。
 …なのに。

 …クルシイ……──

 いっそ、完全に彼女にこの意識を支配されていたらどんなに楽だっただろう。
 もしくは…自分の意志で彼女に従うのであれば、どんなに幸せだっただろう。
 けれど、今── 彼の心は、苦痛に喘ぐ。
 そう、彼が欲したのはこんな一方的な支配ではない。たくさんの仲間でもない。
 ── たった一人でいい。
 『自分』を必要としてくれる誰かが欲しかった。
 いや、必要とされなくてもいい。ただ『自分』の存在を認めてくれる、それだけでいいから。

(…── ファイザード)

 命じられたままに呼びかけながら、彼は思う。
 この呼びかけに応えなければいい、と。
 もし彼が応えて、ここに姿を現したなら、自分はどんな手段を使ってでも、彼女の元へ彼を連れ去らなければならないのだ。
 出来る事ならそんな事はしたくない。
 ── そうした所で、事態は誰にとっても良い方向には行かないとわかりきっているのだから。
 しかし…──。

(── …だれ?)

 彼の願いも虚しく、目的の人物は彼の呼びかけに気付いたようだった。
 幼い少年の、舌足らずな口調そのままの思念が届く。そして同時に扉の向こうで、何者かの気配が動くのが感じられた。

(…ファイザード、出て来い……)
(来るな…!)

 相反する感情が彼から迸(ほとばし)る。

(その扉を開けるんだ)
(駄目だ、気付かない振りをしろ……!)

 主の命に逆らう事を考えるせいか、割れるように頭が痛んだ。
 それでも願わずにはいられなかった。
 …それは、感じ取った少年の波動が、その母親であるはずの人物の物とは似ても似つかない、優しく穏やかなものだったからかもしれない。

(…だれか、呼んでるの……?)

 しかし、彼の本音は聞こえていないのか、気配はどんどん近付いてくる。
 彼は心底焦った。
 今ならまだ、間に合うかもしれない。すぐに立ち去れば──。
 …しかし、彼の身体はそこから動けず、同時に彼は知っていた。たとえ、ここで彼が命に背いて、最悪命を落としても、シリイには何の痛みにならない。
 そしてまた、違う何者かが彼と同じ役目を与えられて来るに決まっているのだ。
 今度は…完全に意志そのものまでも支配されたモノが。

(…頼む、来ないでくれ……!)

 祈るように思う。
 自分の意志を奪われた人形のような生き方を、もう他の誰にも与えたくはなかった。
 …ずっと、独りでいる事が辛かった。
 誰からもその存在を知られずにただ生き続ける事は、この世に自分が存在していないのと同じだ。だから、彼女の言葉に魅せられ、その手を取った。
 けれど…今はわかる。
 たとえ誰にも知られなくても、自分の存在は無ではない。
 意志がある。自分なりの幸福と不幸、喜び、悲しみ、怒り── そんな感情、そんな心。
 そして…── 誇り。

(オレは…オレは……── こんな事、望んでいない!!)

 それは叫び。

(オレは、誰も不幸になんてしたくないんだ……!)

 誰かを不幸にするより、幸福にしたいと思う。
 誰かの悲しむ姿より、喜ぶ姿を見たいと思う。

(その為に…── 生きたい……!)

 その時、不意に目の前の扉が開いた。
 そこにいたのは、見た所三、四歳程の子供。それが、驚いたように目を大きく見開いて彼を見つめてくる。
 薄茶の髪に大きな若葉色の瞳で、母親には何処にも似ていないように思えた。ただそれでも確かに力の存在を感じる。
 母親の物とは比べ物にもならないが、それでも彼を惹きつけるだけの大きな力が、その小さな身体から感じ取れた。

(……ッ!)

 思わず息を飲む。
 どうして出てきたんだ、と咽喉元まで出かかった。しかし、意に反して口をついて出たのは、やはり命じられた言葉だった。

『…迎えに、来た』
「…むかえ?」
『我…と、一緒に来い……』

 必死に勝手に喋る口を閉じようとするものの、その支配は強力でせいぜい言葉を途切れさせる程度だ。

(どうする事も出来ないのか…!?)

 絶望で目の前が暗くなる。このままでは、自分はこのまま命じられた通りに、姿を転じてこの少年を拉致する事になるだろう。
 そして…この子供は、自身の父親の身代わりにされる。意志も人格も無視されて…彼女の望む通りに『造り変えられる』。
 これ程に幼ければ、シリイならば容易に支配出来るだろう。想像するだけで、胸が痛んだ。
 すると少年は、目を丸くしたままぽつりと呟いた。

「…いたいの? ケガ、してるの?」
(…?)

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。
 しかし少年はそんな彼の動揺など気付かず、更に続けた。

「ねえ、どこが苦しいの? ぼく、たすけてあげられる?」
(…たすけ、る……?)

 呆然となる。何しろ、助けを求めた記憶などない。
 なのに、目の前の少年は、その為だけにここに来たと言わんばかりに、こくこく、と頷くのだ。

「だって、言ってたでしょ? 『クルシイ、タスケテ』って……」
(──!)

 絶句する彼に、少年はその若草色の瞳を細めて、にっこりと笑う。

「だから、たすけてあげるよ。えっと…ぼく、まだエスメルーダ達みたいなこと、できないけど…でもがんばるから」

 だから言ってもいいんだよ、苦しいのなら──。
 その瞳が、そう語っていた。
 ぎりぎりと身体が締め付けられる。目的を果たせ、と彼に命じる。けれどもう、彼はそれに従う気持ちは起きなかった。
 目の前の少年は、彼の言葉や思念にしない思いを感じ取っている。ならば、と彼はありったけの意志の力で語りかけた。

(…『名前』を)
「── 名前?」

 彼の推測を肯定するかのように、少年は首を傾げる。
 それに勇気付けられて、彼は願った。

(名前を、呼んでくれ……オレの、名前を)

 自分から名乗っては意味が無い。だからただ望む。
 彼の持つ属性や種族、それらによって定められたこの魂に定められた名前。それを読み取れと。
 少年が何処まで自身の力を自覚しているか知らないが、妖精使いなら必ず出来るはずだった。
 しかして── しばらくじっと彼を見つめていた少年は、やがてぽつりとその言葉を漏らす。


「── …『フェラック』……?」

+ + +

「…だーかーらっ! いちいちくっつくなよ、鬱陶しいッ!!」
「え〜、いいじゃんか。減るもんじゃなしー」

 眉間に皺を刻んで怒鳴る少年に構わず、抱きついた腕に力を込める。

「せーっかく、あの小うるさいのがいないんだからさ」
「アラパスがいないのと、僕に抱き付くのとに、一体なんの関係があるって言うんだよ!」
「大ありじゃないか。アレがいたら、こんな風にイザとの気軽なスキンシップは楽しめないだろう?」
「……」

 大真面目に言ってやると、少年── ファイザードはもはや反論する気力もない様子で、はあ、とため息をついてくれる。
 ── あれから、十ニ年。
 彼によって女── シリイの支配を解かれ、そのまま一方的に彼の守護精になってから、それだけの年月が過ぎていた。
 あの頃、片腕でも抱えられそうだった少年は、今では彼と頭一つ分ほどの差にまで成長していた。
 成長期の少年にしては、いささか伸び悩みで、ついでに童顔だったりする為、何処に行っても本来の年齢より下に見られていたりするのだが、それでも彼にとってはファイザードがこうして成長している事実だけで十分感慨深かった。
 十二年の間に、いろんな事があった。
 《悟りの塔》からの旅立ち。魚精・アラパスとの出会い。そして──。

「それにしても、本当に思いきったよなあ……」

 言いながら、目の下にある頭をぐりぐりと撫でる。
 そこには、先日まであった髪がない。

「すっかりハゲ頭になっちまって……」
「ハゲって言うなっ!!」

 しみじみと呟く言葉に、すかさずファイザードが噛みつく。

「仕方ないだろ? 巡礼者は剃髪するってのが不文律なんだからっ」

 睨み上げてくる若草色の瞳に映る自分の顔を見つつ、彼はぼそりと呟く。

「変な決まり……」
「…── でも、言うな」

 どうやらファイザード自身もその決まりについては疑問を抱いているらしい……。
 実際の所、剃髪するようになったのはここ数百年くらいの事だったりするのだが、どうしてそうなったのか彼もよく知らない。
 …それだけ長い間生きてきたのに、何故かほんの一瞬の事のように感じるのが不思議だった。
 それだけ長く生きたのに── まだ、生きていたいと思える事が不思議だった。

「ま、最後まで付き合ってやるから安心しな♪」
「ッ!?」

 綺麗に剃られた頭に親愛を込めてキスすると、あっと言う間にファイザードの頭は真っ赤に染まった。

「そういうのはやめろって言っただろう!!」

 すぐに食って掛かるファイザードを、のらりくらりとかわしながら、彼は思う。
 たとえ、この世に再び独りきりになったとしても、きっともうあの時のように孤独には負けない。
 もう、彼は知っているのだ。
 『フェラック』── 彼の名を呼び、そして彼を必要としてくれた存在を。
 だから、この先何があっても…たとえ今、この場で命が尽きても後悔はしない。今、確かに自分は幸福なのだから。

「イザ、愛してるからなッ♪」
「うるさいっ!!」


 だから今は祈るだけだ。
 自分が幸福になれただけ、それを与えてくれたファイザードが幸福になれるように。
 ── この世でただ一人、最愛なる主に愛を込めて。

〜終〜

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After Writing

これは元トレカSSとして書き下ろしたフェラックとイザの出会い篇…の加筆修正版です(笑)
SSとして書いていたにも関わらず、短篇になりかける勢いだったのを削りに削って限定公開していたのですが、その時のあとがきでお約束?したように、加筆修正を入れて一般公開となりました

「フェラックって、実はうちのアニキ系(爆)キャラのプロトタイプなんですよね」とやはりあとがきに書いていたのですが、こうして見ると本当に主従愛というよりは、兄弟という感じの二人(笑)
イザは四人の《悟りの塔》の管理者に育てられましたが、ほぼ一人っ子状態だったので、無自覚の内にフェラックを守護精にした後は、従属ではなく兄のように慕ったに違いありません
子供の頃のイザはそりゃもー素直さ全開だったはずなので、結果、フェラックもブラコン気味に?(笑)
…という事はイザ、今は反抗期なんでしょうか(マテ)

フェラックとイザ、そしてシリイとのやり取りは『贖罪の丘』でちらっとイザの回想シーンとして出てきております
今後その詳細を書くかどうかはわかりませんが、ちょびっとフェラックの見せ場みたいなものなので、書いてあげたい気もしますねー(笑)
いつか書く機会があるかな??