螂

「…どうして、俺なんだよ。どうして子供を産む為に、他人の命なんかが必要になるんだ?」
 そもそもの疑問は、そこからだ。
 すると女は笑みを収めると、自嘲するような口調で答えた。
「…知らない方がいいわよ。知れば、きっと困るのはあなたの方だもの」
「な!?」
「今までのような生活を送りたいと思うのなら、知るべきじゃないわ。知ればきっと、あなたは今の生活を失う事になる。…最悪、殺されるわ」
「── ? ちょっと待てよ。最悪、殺されるって……??」
 最悪で殺されるというのなら、今の女に命を狙われているのはなんだと言うのだろう。
 それよりもマシだと言うのだろうか? 意味は一緒のようにしか思えないと言うのに。
 そんな彼の困惑に気付いたのか、女はくすり、と小さく笑い声を漏らした。
「ああ、そうだったわ。何も知らないんだから、『生命』の正しい在り方もわかってないのよね。もしかして、あたしに殺されるって思った?」
「え? …違う、のか?」
「違うわよ、全然。大違い。あたしは言ったでしょ? 『あなたの命を貰いに来た』って」
「ああ…だからそれって、殺して命を奪うって意味じゃないのか?」
「とんでもないわ。殺したりしたら足がついちゃうじゃないの」
 軽い口調で言い放った言葉は、やけに空々しく聞こえた。
 女の話を総合すると、どう考えても女がただの人間には思えない。先程のどんな犠牲も厭わないと言った様子では、殺人ですら躊躇(ちゅうちょ)せずに行いそうだった。
 なのに── それでも、罪を犯す事は恐れると言うのだろうか?
 そんな彼の疑問に気付いたのか、女は笑みを収めると、仕方がないと言わんばかりの顔で説明を加えた。
「…この場合の『命』ってのは、言うならば『生命力』の事よ。実際にはちょっと違うんだけど…まあ、それに近いわ。数日動けなくなったりするかもしれないけれど、回復する程度ね」
「……」
 だったら最初からそう言え。
 …と、咽喉元まで出かかったものの、寸でで思い止まる。そんな事を言えば、彼女の言う、『命』を提供する事に同意するようなものだ。
「大丈夫よ。これまでにあたし、何度も命力を貰ってるからそれなりにコツを掴んでるし」
「そういう問題か!?」
「そういう問題よ。少なくとも…あなたにとってはね」
 言いながら、女は再び身を寄せてくる。
 反射的に後ずさりかけるのを、彼は意志の力で踏み留まった。
「…あたしに、いえ、あたしの子供に、あなたの命を頂戴」
 真っ直ぐに向けられる真摯な視線。
 目が、反らせない。
「あたしは、絶対にこの子を無事に産まなくてはならないの。喪う訳には行かないのよ…何が、あっても」
 どうして、という疑問は口に出来なかった。
 気付いた時には女の腕が首に回り、その赤い唇が彼のそれに重なっていた為だ。
 ぎょっと目を見開いたのは一瞬の事。次の瞬間、まるで操り糸が切れた人形のように、全身の力が抜けた。
 そして──。
 幕が下ろされたように、視界が闇一色に塗り潰された……。

+ + +

 ずるり、と脱力した身体が崩れ落ちた。
 それを抱き止めもせずに、彼女は先程とは打って変わった冷ややかな目で、まだ少年と言っても過言ではない青年が地面に倒れ伏すのを見届ける。
「…ごちそうさま」
 ぽつりと漏らした言葉にも、先程まであった親密さはない。
 そのまま紅をつけずとも赤い、唇を手の甲で拭う。何度も、何度も。
 …命力を奪うには、口付けるのが一番手っ取り早い。そして…もし、命力を完全に奪い去るのなら──。
「やっぱり、全然足りないわね」
 一人ごちる。
 けれど、これ以上奪えばこの青年は死にはしなくても、植物人間になってしまう事だろう。
 生命、とは魂と命力のどちらが欠けても正常に機能しないもの。そして命力はある程度なら自分で回復するが、それ以上になると元通りには戻らない。
 過去、何人か青年のような人間を廃人にしてきたからこそわかる匙(さじ)加減だった。
「…早く次を見つけないとね」
 呟きながら、彼女はまだ膨らみのない下腹部を撫でる。
 愛しそうに── そして、悲しげに。
(大丈夫よ、お前は絶対に守ってみせるから。お前は…あたしに残された、たった一つの──)
 彼女は倒れた青年をそのままに、歩き始める。
 何時の間にか太陽は地平に半分沈み、西の空は群青に染まりつつあった。
(…何度夜が来ても平気だわ。あたしは一人じゃないもの──)
 そう思いながらも、夜になる事を恐れるように彼女の足は次第に速まる。
 早く次の『餌』を見つけなければならなかった。彼女の内で育つ命を産み落とすには、まだまだ力が足りない。
 命力を根こそぎ奪う方法が取れないからこそ、急がなければならない。
 一族に、見つからないように。見つかれば、腹の子は必ず殺される。
 それだけは許せない── だから一族でありながら、一族としての自覚のない者を狙うのだ。
(あの人に貰った『命』── 奪われてなるものか……!)
 思い出すのは、一番最初に命を奪った男の顔。
 ── 生まれて初めて、本気で他人を好きになった。愛した、愛された。
 でも── その結果、男は死んでしまった。彼女に自分の命を全て与える事で。
 あの時の絶望は、まだ心の奥底に沈んでいるけれど。


 彼女は駆ける。
 燃えるような夕暮れの中…その炎のような赤を全身に浴びて。
 やがてその背は、夕闇に溶けて消えた。

〜終〜


After Writing

実は何気に外伝だったりするらしい「蟷螂」です(マテ)

作中には一つも蟷螂なんて出てこないのになんでこのタイトルなのかは、ラストちょい前でわかったかと(^-^;)
メスの蟷螂は、産卵前にオスを食べちゃうんですよ。
オスはメスの養分になって、メスはオスの命を貰って子孫を残す…ってなイメージが重なったからです。
もしこれが人だったら辛いよなー、好きな人の命を奪わないと子供が産めなかったりしたら…そんな想像から出来た話です。
蟷螂は本能でやっているはずなんで、罪悪感などないでしょうけどね(汗)

一応、この話は夢食み(獏)の話なのですが、作中のねーさんが夢食みの中でもちょいと特殊な立場にある為、そうした背景とかに触れられていないし、食事シーンもございません(爆)
作中に出てくる「一族」とはすなわち夢食みの事なんですが……(汗)
でもまあ、そういう予備知識がなくても読めるはずだと思うんですが……どうだろう(−−;)

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