Invisible Moon

 見渡す限り、墓標が続く。
 無機質な世界。
 灰色の空。灰色の石碑。黒い大地。モノクロームが支配する、静寂の。
 なんて淋しい場所なんだ。
 心の中まで吹き込むような、冷たい風を感じてそう思う。
 そこには生きているものは何一つない。
 そう── そこは「死」のみが存在する世界だ。役目を終えて、永久の床に就く、魂達の終の場所。
 誰かが訪れる事もなく、誰かが花を手向ける事もない。
 せめて切花であっても、花があれば違うだろうに。
「随分と、優しい事を考えるのですね」
 声がかけられる。けれどその事に驚きも違和感もない。
 そう…ここは──『彼』の世界だ。
「ここを見て、そんな事を考えたのは貴方が初めてですよ」
 苦笑混じりの言葉。
「大抵の人間は…恐怖感しか持たないハズなのですが」
 確かに恐怖も感じはする。生きている人間でまったく「死」を怖れない者なんて実際にいるんだろうか、とも思う。
 けれど── それとは別に、そんな「死」と常に向き合わねばならない存在は気の毒だとも思うのだ。
「気の毒…ですか。本当に貴方という人は何から何まで変わった人ですネェ」
 ── 彼は、心底呆れたように呟く。
 でも…気のせいだろうか?
 その言葉に、ほんの微かながら笑みが滲んでいるようなのは……。

+ + +

「…あれ?」
 気がつくと、目前で広がっていた光景は掻き消え、先程までの長閑な昼下がりの公園へと戻っている。
 反射的に男の姿を捜すと、彼は先程と同じ位置に浮いていた。その事に少し安堵して、義孝はため息をついた。
「どうしました?」
 にやにやと笑いながら、男はそんな義孝を覗き込んできた。何だかちょっと小ばかにした様子に、むっとなる。
「…何でもねえよ」
 こんな奴に少しでも同情したのは無駄だった。そんな風に思った時、男は不意に真面目な顔つきで口を開いた。
「義孝クン。一つ忠告いたしましょう」
「あ? …何だよ、改まって」
 またしても考えた事を見透かされたのかと身構えると、男は全く予想外の事を言い放った。
「アナタにワタシの姿がここまではっきり見えている以上、アナタにはそういう類のものを視る能力があるという事です。どうやら自覚はしていないようですがね…ワタシのレベルまで視るという事は、今後…まあ、有体に言いますと、妙なものを視る事になると思いますよ。心した方がいいでしょう」
「…はあ? 妙な、もの……?」
「ええ。俗っぽく言いますと…いわゆる霊などを」
「何だって!?」
 ぎょっとなる義孝に、男はいたって真面目な調子のままで頷く。
「先程お見せしたヴィジョン── アナタはまったく正確にその本質を見抜きました。あそこは普通の人間ではワタシ同様、見る事も叶わないものです。つまり…それだけアナタの力は強いという事に……」
「ちょっと待て!? そ、それってどういう事だよ? 先刻のは、お前が見せたから見えたんじゃないのかよ!?」
 思わず男の言葉を遮って叫ぶと、男は困ったように肩を竦めた。
 何処となく道化師を思わせるそんな動作とは裏腹の、妙に同情的な視線が義孝の不安を煽る。
「ワタシも、まさかここまで強い力を持っているとは思いませんでしたからネ〜。大抵のヒトはまともなヴィジョンを見る事も出来ずに、ただ恐怖でパニックに陥るのが関の山なのですよ、実際。あそこまで視る事が出来て── 尚且つ、ワタシのような者に同情するオヒトヨシなんて、気の遠くなる程生きてきましたが初めてでしたよ」
「べ、べつに同情した訳じゃ…っ」
「そうなんですか〜? 結構嬉しかったので、お礼にアナタの寿命でもお教えしようかと思ったのですが」
「そんなもの聞かせるなよ!」
 男の言葉を反射的に遮って、義孝は頭痛がしてきた頭を抱えた。
 何をどうすればそんな事がお礼になると思うのか。先の知れた人生なんて、怖い以外の何物でもない。
 一瞬、男の思考回路を疑ったが、ふと目を上げその表情を見た途端、からかわれたのだと気付く。
「まあ、冗談はともかくとして……」
「ちょっと待て、今の何処から何処までが冗談だったんだ」
「…そんなに怖い顔しなくても……。大丈夫ですよ、寿命なんておいそれと口にできるわけがないでしょう」
「…まさか、そこだけなのか……? 変なもの視るとかいうのは……」
「あ、それは本当ですよ。嫌ですネェ、信じてなかったんですか?」
「当たり前だ!!」
「そんなに嫌がらなくても。宝くじ並みの高確率ですよ〜? 取りあえず喜んで……」
「喜べるか、ボケェッ!!」
 すっかり血圧の上がった義孝は、そこまで叫ぶとぐったりと肩を落とした。
 何が宝くじ並みの高確率だ。それなら本物の宝くじに当選させて欲しい。何が悲しくて、見たくもない妙なものを見なければならないのか……。
 一気に鬱状態に陥った義孝を、男は困った顔で見下ろした。
「…霊なんて、実在しないって思ってたんだぞ、俺は」
 ぽつりと漏らすと、男は労わるような口調でそうですか、と言った。
「そう思っているヒトはたくさんいますね。でも…本当は見えないだけで、いつでも何処にでもいるんですよ── 昼間の月のように」
「……」
「だから、霊とかそういう類は視る…つまり存在を認めてもらえる者がいると、近寄ってくるんです。そういう存在は彼らにとっては太陽のようなモノですからね」
「死人の太陽かよ」
「…初めから、気付かなければ一番いいんですが。知ってますか? ヒトの目は都合のよいものしか映さないんですよ。アナタはたまたま、見なくてもいい全てを見るような目になってしまっただけです」
 それはやっぱり宝くじというよりも貧乏くじのような気がしたが、先程までの激昂はもう起こらなかった。
 一つだけ、気付いたからだ。
「…ひょっとして、最初にあんたを視たのは幸運なのか?」
 男はその言葉には答えなかった。ただ曖昧に微笑むだけで。
 でもよくよく考えれば、この男と今のように会話など出来なかったら、心構えもなしに妙なものを視る羽目に陥ったかもしれない。
「きっとそうだな…悪い、一方的に怒鳴って」
「ふ…やっぱりアナタは変わり者だ」
 小さく笑みを漏らして、男は褒めているのかけなしているのかわからないような事を言う。
 そして何かを思いついたように、ふむ、と頷くと、男はにっこりと義孝に笑いかけた。
「そうですネ…ここで会ったのも何かの縁でしょう。本当にどうしようもなくなったら、ワタシを呼ぶといいでしょう。助けてあげますよ」
「へ?」
 思いがけない言葉に義孝が目を丸くすると、男はにやりと笑った。そしてそのまま、不意に上空へと浮かび上がる。
「お、おい?」
「スミマセンね、義孝クン。これでもワタシは結構多忙な身でして。今日はこの辺で失礼しますよ。…また機会があったらお会いしましょう。その時は再会を祝して、百万本の薔薇ならぬ百万本の菊の花でも持参しましょう」
「ちょ、ちょっと待てよ!?」
「では…せいぜい清く正しく生きてくださいネ〜♪」
「待てって、おい〜〜〜!?」
 一方的に別れを告げると、ひらひらと手を振りながら、男はそのまま颯爽と去っていく。あまりに突然の事で、義孝は呆気に取られた。
「待てって…マジで。聞けよな、おい」
 怒りどころか、それを通り越してばからしくなる。
「助けるってんなら…名前くらい名乗っていけよな……」
 これではどうやって呼べばいいのかわかりやしない。だが、心の何処かで彼をどう呼んだとしても、向こうはわかるような気もした。
 まあ、相手は(自称)『天使』さまなのだし。多少、その辺の融通はしてもらわねば。
 ── 百万本の菊、というのは勘弁して欲しいが。
 苦笑して、義孝は歩き出した。
 これからどうなるというのかわからないが、ひょっとしたらこれはこれで毎日が楽しいものになる…かもしれない。


 男が消えた秋空には、薄く消えかかった昼間の月が浮んでいた。

〜終〜


After Writing

この『目に見えない月(和訳)』という話は、そもそも友人との共同管理サイトに掲載していたものでして、一応は『秋』をテーマにした作品でした。
一応、とつくのは見てわかるとおり、作中で秋だぞーとは書いてあるものの、それだけだからです(オイ)

書いた当初は現代、というだけでバックボーンとか何一つ考えていなかったのですが、一つ続篇を思いつきまして。
そこからいろいろと設定などを考えている内に、『妖幻抄』との関連もちらほら出来てきたので、一緒にしてしまう事にしました(笑)
続篇の方はまだ途中までしか書き上がっていないのですが、『目に見えない月』よりもかなりしんみり・シリアスになるかと思われます。
ただ、義孝の混乱ぶりも変な所でお人よしな所も健在ですので、もし公開に踏み切れた日にはよければ見てやって下さい(^^)

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