のワルツ 〜White Honey〜

 午後18時半、ちょっと過ぎ。
 今日は残業とかがなかったみたい(あったらちゃんとハザマは連絡をくれる)。いつも通りの時間にハザマが帰って来た。
 ガチャリ、と鍵を開ける音がすると同時に、あたしは玄関に向かって走る。
「ハザマ、お帰りっ!!」
 出迎える事自体は珍しい事じゃないものの、ハザマは普段滅多に見せる事のない面食らったような顔であたしを見た。
 …そして、一言。
「── 何事だ?」
 『ただいま』を忘れての、この台詞。本気で驚いたみたい。
 あたしは気をよくして、全開の笑顔のまま、帰って来たままの状態で立ち尽くすハザマに飛びつく。
「!?」
 反射的に受け止めながら、それでもハザマは状況が掴めない顔。
 ── 今のあたしは人の姿。そうすると猫の時とは違って、ハザマにぎゅっと抱きつく事が出来る。
 …人の腕って、便利だなって思う瞬間。
「…ケイト?」
「大好き、ハザマ」
 何時も言っているけど、今日はちょっと違う。
 そのまま背伸びして、朝のおはようのキスみたいに頬にキスする。するとハザマはこちらがびっくりするくらい硬直した。
「…ケイト、一体どうした……?」
 どうしたっ、て……。
 何でそんなに驚くの? すごく困惑した顔…もしかして嫌だった、とか?
 そう思った途端、胸の奥が苦しくなった。思わず俯いた視界の端に、ひらひらの服の裾が見える。

《その代わり、めちゃくちゃ着飾って『わたしがプレゼントよ♪』とか言って迫るかも!》

 さっきテレビのゲストが言っていた言葉が甦る。それなら出来るって、思ったんだけどな。
 ハザマが買ってくれた、ひらひらのワンピース。ここに来て一年目、やっと人の姿を自分の意志で取れるようになった頃に、プレゼントしてくれた思い出の服。
 淡いピンクであたしのお気に入り。汚したくないから、今まで数えるくらいしか着てなかった。
 …あたしはあげられる物は何にも持ってないし。ハザマの為になら、多分この命を捨てられると思う。
 ── そういう気持ちを込めたんだけど、ハザマには伝わらなかったんだろうか……。
「ケイト……?」
「う……」
 駄目だ、涙が出そうだよ。
 泣いちゃ駄目だってば、ハザマがもっと困るよ。…そう自分に言い聞かせたけど、無駄だった。
 零れ落ちた一粒を切っ掛けに、両目から涙が溢れてくる。くっついた身体越しに、ハザマがぎょっとしたのが伝わってきて、益々悲しくなる。
「何で泣く?」
「…え、う…だって……」
 説明しようと思うけれど、うまく言葉にならない。
 咽喉の奥で言葉が詰まってる。形にならなくて、溶けて混じり合って、胸を焼く。
「…ケイト……」
 心底困ったようなハザマの声。…困らせたくなんて、ないのに。
 やがてハザマの大きな手が、宥めるように頭を撫でた。指先から伝わる困惑は益々あたしを悲しくさせたけど、それでも涙は少しずつ引いてゆく。
 …それからどれ位そうしていただろう。
 ようやく涙が止まってくれて、おずおずと顔を上げると、ハザマはやっぱり少し困った顔であたしを見下ろしていた。目が合うと少しだけ微笑む口元。
「ようやく泣き止んだか……」
「…ごめ…ハザマ……」
 声を殺して泣いたせいか、声が少し枯れていた。
 ひりひりする咽喉に少し顔をしかめると、ハザマはあたしをそっと引き離して苦笑の滲んだ声で言った。
「…夕食に、するか?」

+ + +

 その後、ハザマの作った晩御飯を食べながら(ちなみにメニューはあたしの好きなオムレツだった)、あたしはぽつりぽつりと事の経緯を話した。
 バレンタインデーというものを知って、あたしも何かしたくなったこと。
 何か作ろうかと思ったけれど、諦めたこと。
 そうしたらテレビで司会者とゲストが興味深い会話をしていて、それなら自分もできると思ったこと──。
 途中でハザマは笑うんじゃないかと思ったけれど、ハザマは笑わなかった。
 ただ途中、あたしがゲストの『わたしがプレゼントよ♪』という発言を口にした瞬間、何だか頭痛でもするかのようにこめかみを押さえたけれど。
「…そういう事だったのか」
 話し終えると、ようやく納得したという顔でハザマがため息をついた。
「いきなり抱きつかれた上に、泣き出されて…何があったかと思ったぞ、俺は」
「…ごめん…なさい……」
 確かに言われてみれば訳がわからない行動だ。
 しかもハザマは、今日がバレンタインデーだという事もわかっていなかったらしい。
 自分には無関係な事だと思っていたからな、とハザマは言った。
 本当かなあ……。あたしはハザマの職場の事をよく知らないけど、そこには一人か二人は女の人もいるんじゃないの?
 …そう思ったけれど、結局口には出来ずにあたしは別の事を口にした。
「えとね、ハザマ。嫌だった……?」
「…何が」
「抱きついて、キスしたこと」
 その瞬間のハザマの表情は、あたしが見た事のないものだった。
 ── 目元と耳が、赤く染まっている。もしかして、照れてる!?
 逆にその反応に驚いて目を丸くするあたしに、ハザマは憮然とした口調で口を開いた。
「…何でそう思うんだ?」
「え、だって…固まったから」
 だって、特別な事はしてないよ。
 頬にキスなんて、毎朝してるし。── 猫の時だけど。
「それは……」
 ハザマの目が少し泳ぐ。
 うわー、こういう困り方してるハザマって初めて見るよ?
 何だろう…── すごく面白い……!
「ねえ、どうして?」
 愉快な気持ちになって、調子に乗って追求すると、ハザマは照れたような顔のまま、いつもの口調で言い放った。
「いきなり説明もなしに泣くような子供に答える義務はない」
「…何それ!? ちゃんと答えてよ!!」
「うるさい。…ほら、零してる。ちゃんと手元を見て食え」
 そのままハザマは自分の食器を手に流しの方へ行ってしまう。
 はぐらかされたあたしは置いてけぼり。でも何だか腹は立たなかった。
 ちゃんと答えなかったって事は、嫌だとは思ってないって事だよね? ハザマの性格なら、嫌だったらはっきり言うはずだもん。
 そう思うと勇気が沸いてきた。今はまだ子供扱いだけど、今に見てろ!
 絶対にいい女になって、ハザマに自分から好きだって言わせてみせるんだからね!!
 そんな事を思いながらフォークを片手に闘志を燃やすあたしを、流し場からハザマが見ている事にあたしは気付かなかった。
(…頼むから、もうちょっと大人になってくれ……)
 そんな風に、ハザマが心の中で祈っている事にも。
 …そんなハザマの本心をあたしが知るのは、それからもう少し後のこと──。

〜終〜


After Writing

もうすぐバレンタインデーだし、たまには甘い話でも書こうかなと思って書いた話です。
SSに置いてる『子猫のワルツ』という話の、さらにその後なのですが(その為、未読の人には少しわかりにくい構成になってます・汗)
この間、小説置き場のマイナーチェンジをした時に、『子猫のワルツ』を改めて読み直したら…なんというか自分でびっくりしました。

わたしって、こういう話書けるんじゃん! …みたいな(マテ)

わたしは「ばかっぷる」を書くのは好きですが、「乙女の気持ちv」を書くのは非常に非常にひっじょうに苦手にしておりまして。
…自分で書いたし、書いた記憶もあるんですが…自分で書いたのが信じられないくらい、甘くて(笑)
でもバレンタインデーには丁度いいや、と思ってさくっと3時間くらいで書いた話がコレです(^^;)
正に「ケイト降臨」って感じですね……。
予定ではもうちょい短くてほのぼの系になるはずだったのに…文章全体からハートが乱れ飛んでいるかのよう(爆)

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