Seed
〜 A Story of 'Miracle' 〜

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0−2.はじまりの日々(1)

 車は随分と長い時間走り続けた。
 それは同乗者が苦手とする人間である気まずさから来るものだけではなかっただろう。
 風景は整然とした、見ようによっては無機質にすら見える街を抜け、道は大きな凹凸のないものから、がたがたと車体を揺らすような、舗装のない道へと変わる。
 周囲にあったいくつもの建物が遠ざかり、代わりに姿を見せたのは、冬の最中でも葉を残す常緑樹と針葉樹の混じった山と、すっかり枯れ果てた草の覆い繁る荒野だった。
 そんな風景を目の当たりにした事だけでも驚くに値する事だったが、車が更に山深い場所に向かう事に気付いた時は、思わずそれまで視線を向けないようにしていた隣の席に目を向けていた。
 彼が『博士』と呼ぶその人は、相変わらず無表情に窓の外を見ている。
 こんな民家もろくにないような場所にその人が向かう理由がわからず、まだ幼いと言って過言でない彼は困惑を極めたものの、やはり黙って顔を戻した。
 山の奥に、道は続いている。
 運転手は心得たものなのか、最初からずっと無言でハンドルを動かしている。
 資源的な規制がかかっている今の時代、手動で動かす車を持つのが一部の限られた人間だけだという事を、彼は知識としては知っていた。
 逆を言えば、運転する技術を持つ人間も少ない。今更ながらに興味がわいて、そっとその横顔を眺めると、運転手もまた博士同様の年輪を顔に刻んだ男だった。
 唇が横に引き結ばれているのが、その性格の一端を垣間見せさせる。何だか頑固そうな人だ、彼はそんな感想を抱いた。
 そんな彼の視線に気付いたのか、ちらりとバックミーラー越しに運転手が彼の方に視線を向ける。
 一瞬の事だったが、その視線に軽い困惑がある事に気付き、彼は心の中で首を傾げた。
 今までにいろんな目を向けられた来たけれど、彼のような目は初めてで。何故だろうと考えて、やがてその困惑が自分が同行している事に対してのものなのだと思い当たった。
 周囲はどんどんその緑を増して行く。
 けれどもその暗い緑は、心を浮き立たせるものではない。今も頭上に広がっている、鉛のような重苦しい空に似ている。
 つられるように彼の心も沈んでゆく。終着点が見えない事が、余計にそれを掻き立てた。
 一体、これから何処に連れられてゆくのか。
 一体、自分はどうなるのか。
 一体、博士は何を考えているのか。
 疑問ばかりが膨らんでゆく。
 なのに心の中にも身体の外にも縋(すが)れるものはなく、彼は自分が独りきりである事を今更ながらに思い知らされた。
 ぎゅっと、膝の上に乗せていた手を握り締める。湧き上がる不安を耐えるように。
 助けてくれる人など、何処にもいない。── この広い世界の、何処にも。
 そんな苦い思いを噛み締めていると、不意にガクン、と軽い衝撃が走り、車が止まった。
 無意識に俯(うつむ)いていた顔を反射的に上げると、周囲は少し開けた場所に変わっていた。
 何も言わずに運転手が先に車を降り、最初に車に乗せられた時とは逆に、博士の方からドアを開ける。
 次いで、彼の方へ。
 そろそろと降りると、そこに目的地らしき建物が見えた。
 山荘── そう表現すべきなのだろうか。背後から木々に飲み込まれそうな程小さな、生活するにはあまり適していないような、少し古ぼけた建物が、視線の先にひっそりと佇んでいる。
 博士の個人的な所有物のようだが、一見した所、彼のものにしてはいささかみずぼらしいもののような気がした。
 博士は再び、彼を一顧だにせず先に歩き出す。
 急ぎ足ではないが、比較的長身で歩幅が広い。はっと我に返った時には僅かに距離が出来ており、彼は慌ててその後に続いた。
 来るな、とも、待て、とも言われなかったという事は、ついて来いという事なのだろう。
 思いついて運転手の方を振り返ると、再び車の中に戻る所だった。ここへと連れて来る事だけが仕事だったようだ。
 先に行く人に追い着く頃には、周囲は十分手入れが行き届いているとは言えないものの、庭だとわかる場所に足を踏み入れていた。山荘はもう目と鼻の先にある。
 近寄ってもやはりこじんまりとした印象は拭えない。
 しかも、半ばまで壁が蔦のような蔓性の植物に覆われていて、おそらく窓辺から覗くカーテンが洗いたての色をしていなかったら、空き家だと思った事だろう。
 だが、その建物には確かに人間が住んでいた。
 パタパタ、と軽い足音を彼の人よりちょっと良い耳が捕らえる。山荘の中からだ。体重の軽そうな音からして、自分より少し年下の子供のようだ。
 そして。
 博士がその古ぼけた木製の扉に続く数段の階段に足をかける前に、ギイ…ッと重い軋む音を立てて開き、中から何かが飛び出してきた。

「おじいさま…!!」

 いかにも心待ちにしていたと言わんばかりの声を上げて、それは博士に駆け寄り、問答無用にその身体へ抱きつく。
 小さな子供に慕われる博士── それは彼が知る限り、初めて目の当たりにする光景で、思わずその目を疑ってしまう。博士が子供好きでない事は、自他共に認める事実でもあった。
 だから最初、彼は馴れ馴れしいとも言えるくらいの態度を見せたその子供が、博士に邪険に振り払われるのではないか、と心配した。
 博士の身体が壁になって、はっきりと姿が見えない。だが、足音から推測した通り、年端も行かない子供── それも少女である事は、その声からして確かだった。
 だが、彼の心配を余所に、博士はそうした反応を見せなかった。
 抱き返すような事こそしなかったが、黙って受け止めている。やがて抱きついている少女が、面食らったまま立ち尽くす彼に気付き、首を傾けてその顔を見せた。
 ようやく顔を見る事が出来たその少女は、柔らかな焦げ茶の波打つ髪に、周囲の森を想わせる、吸い込まれそうな程に深い緑色をした瞳の持ち主だった。
 身に着けているのは、小花柄のいかにも女の子といった感じのワンピース。それが嫌味なく似合っている。
 ── 何処にも、博士と似ている所がない。
 それもそのはず、博士には家族と呼べる人間が一人もいない。これは彼に限らず、公に広く知られた事で、間違いはないはずだ。
 では、そんな博士を『おじいさま』と呼ぶ、この少女は何なのか──。
 そんな彼の困惑に気付いた様子もなく、その少女はその大きな瞳を不思議そうに瞬かせ、次いでその顔に邪気のない笑顔を浮かべると口を開いた。

「…だあれ?」

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