Seed
〜 A Story of 'Miracle'
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0−4.はじまりの日々(3)
先程の少女── ブルーローズへ改めて引き合わされたのは、その山荘のまた違う部屋だった。 喩(たと)えるならば、無菌室だろうか。 まるで天蓋のように特殊なシートで覆われた小さなベッドに、彼女は横たわっていた。 眠ってはいなかったが、少し青い顔をしている。 それは先程までの様子からはまったく想像出来ない姿で、彼は居心地の悪さを感じずにはいられなかった。 この微かに薬品臭が漂う部屋も、必要最小限に調度品は揃っているけれど、幼い少女の部屋にしては殺風景であるのも、何処か今まで彼がいた場所を連想させる。 (…病気…なのかな……) これから共に暮らすという少女に初めて興味を抱いたものの、それは好奇心よりも不安からだった。 持病を抱えているのだとしたら、きっと始終気を配らなければならないだろう。今まで病気一つした事のない自分に、それが出来るだろうか。 実際の年齢より大人びた所のある彼だが、子供である事は変わらない。 そんな彼の不安に気付いているのか、いないのか。博士は彼を押し出すようにして、ベッドへと近寄らせた。 「…ローズ、気分はどうだ」 その声はやはり優しさの欠片もない。 だが、その声に目を向けたブルーローズの顔には、先程見せた喜びの感情が浮かぶ。 「ちょっと気持ち悪いけど、でも平気よ。おじい様、今日はおうちへ帰れるの?」 ちらちらと不思議そうな目をこちらに向けながら、ブルーローズは期待に満ちた声で博士に尋ねた。 そんな彼女の言葉を受けて、博士が横に控えていた先程の女性に視線を投げかけた。 おそらく看護婦か何かなのだろう。サイドテーブルに置かれたカルテのようなものを確認し、彼女は黙って横に頭を振った。 「……。いや、まだ駄目だ。あとしばらくはここにいなさい」 再び目を戻して言われた言葉に、ブルーローズの顔はくしゃりと歪んだ。 大きな瞳がたちまち潤む。今にも泣き出しそうな目は、底知れぬ淋しさを訴えていた。 「いやよ、おじい様。おうちに帰りたいわ。だって、またおじい様は帰ってしまわれるのでしょう? おじい様と一緒にいたいわ。どうして帰っちゃ駄目なの……」 「ローズ、お前は病気なんだ。ちゃんと治さなければならない。ミズ・スティングは優秀な看護婦だ。ちゃんと言う事を聞いて、おとなしくしなさい」 「でも……」 「わかっている。ここはお前には少し退屈な所だろう。だから彼を連れてきた」 「…え?」 今にも零れそうな涙が、途中で止まった。 驚いたように見開かれた目が、今度は真正面から自分を見つめてくる。その緑の瞳に映る自分もまた、驚きを隠せない顔をしていた。 先程の話で心構えは出来ていたつもりだったのに、いざ話が進み出すとそれが半ば思い込みであった事に気付く。 ぽん、と肩に何かが乗せられ、我に返った。 それが博士の手である事を知り、一瞬身を竦ませてしまったのは一種の条件反射だろう。 「彼の名は、パーフェクトブラック── これから、お前と共に暮らす事になる」 「…ぱーふぇくと……?」 言われた事が理解出来ない様子で、言い辛そうに彼の『名』を呟く。そんなブルーローズに言い含めるように、重ねて博士は繰り返した。 「そう、お前は兄弟を欲しがっていただろう? 本物の兄弟のようにはいかないだろうが、彼も家族になるんだ」 その言葉に、みるみる内にブルーローズの表情は明るいものに変化していった。だが、逆に彼の心は動揺に支配された。 (…家族……?) 確かに一生見守れと言われたが、よもやそんな単語がこの博士の口から出るとは思わなかったのだ。 思わず横にいる人の顔を見ると、博士は相変わらずの無表情で小さく頷いた。 ── そのように振舞え。 言葉にせずともそう言われているような気がして、彼は目を再び目の前の少女に向けた。もう、後戻りは出来ない。 ブルーローズの青褪めた、けれども喜びを隠さない顔を見つめ、彼は出来るだけ自然に見えるよう、意識して微笑んだ。 「初めまして、…ブルーローズ」 口にすると、やはり馴染みのない言葉は少しぎこちなくなる。 けれども、名を呼んだ事はブルーローズを喜ばせたようだ。先程の涙の気配は何処へやら、満面の笑顔を浮かべて尋ねてきた。 「ローズの、お兄様になってくれるの?」 一瞬、どう答えるべきかわからなかった。 うん、と頷くべきなのか── それとも別の反応を返すべきなのか。 けれども博士の手は肩から動く事はなく、否という言葉だけは口には出来ないのは確かだった。でも──。 「…お兄さんになれるかは、一緒に暮らしてみないとわからないよ」 考えた末に口にしたのは、そんな言葉だった。 ブルーローズの目が、きょとんと丸くなる。そんな答えが返って来るとは思わなかったのだろう。 それでも、出来るだけ目の前の少女に嘘はつきたくなかった。…何処か、自分に近いものを感じるこの幼い少女に。 「僕等はまだ、お互いの事を何も知らないだろう? だからすぐに君の『お兄さん』になれる自信はないんだ。でも…友達には、なれると思う」 続いた言葉に、ブルーローズはその言葉を初めて聞いたような顔になり、やがておそるおそる口を開いた。 「…お友達……?」 「うん。…君が嫌でなければだけど」 「ううん! 嫌じゃないわ!」 慌てた様子で、ブルーローズが身を起こした。 横に控えていた看護婦がすかさず押さえつけようと腕を伸ばすのを、博士が視線で押し留める。 ブルーローズはそんな外野の様子など気付かずに、その手をこちらへと伸ばしてきた。 「お兄様も欲しかったけれど、お友達もずっと欲しかったの! 本当よ?」 嫌だと言ったらいなくなってしまうと思ったのか、必死に言い募るその姿に、一人ぼっちの淋しさが垣間見(かいまみ)えた。 ── その孤独を、自分もよく知っている。 いつの間にか、肩から博士の手が消えていた。それに気付かないまま、彼は自らブルーローズの元へと歩み寄った。 間に透明なシートを挟んで、向かい合う。視線を合わせるべくかがみ込み、真正面から少女を見つめた。 近くで見ると、ブルーローズの瞳はまるで宝石のようだった。きれいだ、と思う。この翳りのない瞳を、曇らせたくはないと素直に思えた。 ── 彼女が、これから自分が『一生』を捧げる主人。 そこに本当の意味での『自由』は存在しないのかもしれないが、それ程悪いものではない気もしてきた。 「…ローズの、お友達になってくれる……?」 不安そうな顔でブルーローズが尋ねる。 初めから選択肢のない自分に対して、そんな心配をする必要は何処にもない。それでも、あえて彼はきちんと答えた。 「うん。…これからよろしく、ブルーローズ」 「…うん!」 自分の何気ない一言で、たちまち笑顔を見せる幼い少女。 ── この笑顔を絶やさないこと。それが僕に与えられた『役目』。 博士のような支配ではなく、その笑顔でブルーローズは彼を縛る。それは今までにない暖かさを心に齎(もたら)した。 それが何であるのか、彼が気付くのはもうしばらく先でのこと。 わからないままに、彼もまた笑顔を浮かべていた。今度は作り物ではない、心からの笑顔を。 |
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