Seed
〜 A Story of 'Miracle'
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0−5.はじまりの日々(4)
空は優しい青に染まり、穏やかな陽射しが緑溢れる庭を照らし出す。 人によって人工的に造られた庭ながらも、そこには確かに生命が明るい光の中で息づいていて。 ここにいると、無機質な街中からそれ程距離的には離れていない事実が、何だか信じられなくなってくる。 ── 山荘での出会いから、数ヶ月。季節はあらゆる生命が芽吹く春へと変わっていた。 「ローズ?」 広い庭の何処かにいるはずの少女の名を呼ぶ。今ではもう、彼女の名は口に馴染んだものになっていた。 「何処にいるんだい?」 周囲を見渡してみるが、何処にもそれらしき姿は見られない。 何処かにいるのは確かだし、建物の中ならばすぐに居場所がわかるというのに、この庭では彼も彼女を見つける事は難しかった。 気配が全く掴めないのだ。こうなると、彼女が自分で居場所を教えてくれなければどうしようもない。 「ブルーローズ?」 もう一度呼びかけると、何処からともなく聞きなれた声が返って来た。 「ここよ! PB」 声のした方向へ目を向けると、建物の陰からブルーローズが手を振っていた。 楽しそうな明るい笑顔。彼女の方へと歩み寄りながら、良かった、とほっと心の中で安堵の息をつく。 時折、姿が見えないと不安になる。 何処か自分の知らない所で具合が悪くなっているのではないか、そんな悪い考えが浮かんでしまう。 「そんな所で何をしてるの? もうそろそろ、薬の時間だよ」 薬、という言葉を聞いた途端、その幼い顔が曇った。 「…飲みたくない……」 渋い顔で呟く顔があまりにも嫌そうで、思わず彼は吹き出してしまう。 「よっぽど苦手なんだね、あの薬」 「そうよ。とってもとっても、苦いのよ。PBも飲んでみたらいいんだわ」 むう、とむくれた顔で言い返してくる。 PB、とは彼の呼び名『パーフェクトブラック』の略だ。 あまりに長くて呼びにくいからと、ブルーローズが考えた彼女だけの呼び名だった。 最初は馴染まなかったその呼び名も、今はもう自分の名前として定着している。 『パーフェクトブラック』という呼び名に対しては、相変わらず嫌悪感が付き纏うのに、それを省略した『PB』にはそうした感情が湧かない事は、彼にとっても不思議な事だった。 「僕は遠慮するよ。僕は身体の何処も悪くないからね」 「…ずるいわ」 益々むくれて座り込むブルーローズの隣りに、彼も腰を下ろした。 彼女に対面した山荘にいた看護婦── ミズ・スティングはここにはいない。 二月程前に山荘から今いる屋敷── 博士の持ち家の一つ── へと越してきた際、役目は終わったとばかりに必要最小限の事を彼に指示して去ってしまったのだ。 この屋敷には、現在彼とブルーローズしか住んでいない。毎日、食事の世話などの為にハウスキーパーがやって来るけれど、彼女達も夕食の支度をしてしまうと帰ってしまう。 幼い子供二人には、余りにも広すぎる屋敷。 けれども以前は、この広い屋敷にブルーローズは他人に囲まれて一人で住んでいたらしい。 「…博士を待っていたの?」 そこは丁度、屋敷の門の辺りが見える位置だった。 その質問に、ブルーローズはこくりと頷く。 自分達を引き合わせて以来、博士が彼等の元を訪れたのは片手の数ほど。しかも数時間程度の短い滞在だった。 博士を『おじい様』と慕うブルーローズにとって、その人の訪れは何よりも楽しみで。 いつも前触れもなくやって来るその人を、じっと待ち望んでいる姿を見る事は、彼には正直辛い事だった。 ブルーローズが言うには、以前はもっと頻繁(ひんぱん)に彼女の元へやって来ていたらしい。 それが来なくなったという事は── 。 (…その為に、僕を?) つい、そんな風に勘繰(かんぐ)ってしまう。 自分を側に置く事で、自分が来ない事でブルーローズが抱くであろう淋しさを和らげようと考えたのなら、その考えはあまり成功しなかったと言えた。 「おじい様…いそがしいの?」 「どうだろう…僕もよく知らないけど、でも、暇ではない事は確かだと思うよ」 「そっか……」 しゅん、と萎れた顔に罪悪感を感じるものの、妙な期待を抱かせるような嘘はつけない。 彼が知る限り、博士は多忙を極めていた。 彼がどのような事を専門にしていたのか── そしてそれが、非常に特殊なものであった事をそれなりに知っている。 つまり、その人の代わりを勤める者がいないのだ。 「おじい様…ローズのこと、忘れていないわよね?」 「もちろんだよ」 不安そうな問いかけに、そう答える事しか今は出来ない。 ふと自分の手を見つめる。自分から見ても、小さな手だった。ローズよりいくらか年は上でも、子供に過ぎないのは事実で。 ── 自分は本当に無力なのだ、と思い知る。 博士からは『見守る』だけでいいと言われたけれど、この数ヶ月でブルーローズの存在はそれだけで済ませる事の出来ない程に、彼の中で大きなものへと成長していた。 本当の家族だったら。 血の繋がりのある家族だったなら── ブルーローズは自分をもっと必要としてくれるのだろうか。 そんな── 考えても無駄な事を思ってしまう程に。 彼にとって、博士は今でも『支配者』であり、とてもブルーローズのように心を寄せる事が出来るような対象ではない。 むしろ、必要がなければ顔を極力合わせなくない位だ。 けれども、その人が来るとブルーローズはとても喜ぶ。心の底からの笑顔を見せる。 ── 無条件に。 この数ヶ月で、自分達の関係はとても親密なものになったと言えるだろう。 ブルーローズは彼の後をついて回り、彼も彼女の世話を慣れないながらも、自ら進んで焼いていた。 …それでも。 ふと気付くと、ブルーローズは彼の側を離れ、一人こうしていつやって来るともしれない博士を待っている。 (…僕だけじゃ駄目なんだ) そう思うと、胸の奥がチクチクと痛むのは何故だろう。 自分が役に立っていない気がするからそう思うのか、それとも別に理由があるのか── 彼にはわからなかった。 「さあ、そろそろ家に入ろう? 具合が悪くなってしまったら、博士に叱られてしまうよ?」 放っておくとこのままこの場を動きそうにないブルーローズに、最後の切り札の言葉を出すと、渋々といった様子でブルーローズは頷いた。 「わかったわ、飲むわ。…ミズ・スティングが来ちゃうもの」 どうやら幼いブルーローズにとっては、苦い薬よりも無表情な看護婦の方が苦手らしい。 そんな正直な彼女にくすりと笑って、彼は立ち上がりその手を差し伸べた。すぐに小さな手が握り返してくる。 「じゃあ…ちゃんと飲んだら、ローズが好きなココアを作ってあげるよ」 立ち上がるのを手伝いながら、ブルーローズが少しでも薬を飲みやすくなるようにそう言うと、たちまちブルーローズの顔に笑顔が戻った。 「本当?」 「うん。この間、作り方をミセス・マッキリーに教わったんだ」 「うわあ、うれしい! ありがとう、PB!!」 素直に歓声を上げるブルーローズに、ほっとする。教わっておいて良かった。 料理も、当然ながらココアも今まで一度も作った事がなかったので、料理としては初歩の初歩とも言える程度でもコツを掴むのは難しかった。 指先を軽く焼けどしたりしたし、分量がよくわからなくてとんでもなく粉っぽいココアを作ってしまったりしたその苦労が報われる。 ブルーローズがいつも笑顔でいる事、それが今の彼のたった一つの目標だった。 |
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