Seed
〜 A Story of 'Miracle' 〜

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0−7.The day of "Green"'s death

 夜中に胸騒ぎを感じて目を覚ました。
 何だろう── 何か、気持ちが落ちつかない。
 外は静まり返っていた。無意識の内に時計を確認する── 午前五時をいくらか過ぎた辺りだ。
 この辺りの人間の大部分が眠りに就いているはずの時刻。静かなのも当然のはずなのに、今日に限って異質なものに感じるのは何故だろう。
 やがてその理由の一つに思い当たった。
 …風の音が、しない。
 完全に風が凪いでいる。いつもは微かに葉擦れの音が聞こえてくるのに、それが一切聞こえない。
 そんな日が今までになかった訳ではないけれど、今日に限ってはその事が不安を掻き立てる。
 まるで、自分以外のものの時間が停止してしまっているかのようだ。
 そのまま再び眠りにはつけそうになく、彼はベッドから身を起こした。
(…何だろう……、すごく嫌な感じがする……)
 第六感、虫の知らせ── そんな表現を思い浮かべながら、無意識に窓に目を向けた。カーテンに遮られ、外の様子はわからない。
 夜目が利く事を感謝しながら、彼はそのままベッドを降りて窓辺に向かった。
 外の様子を見た所で、何かが変わるとは思えない。けれども、そうしなければならないような気がしてならなかった。
 カーテンに手を伸ばし、一気にその布を引こうとした時。
 彼の人よりも若干良い耳は、ある物音を捕えた。
(── …!!)
 隣の部屋から聞こえてくる。壁を通して聞こえてきたのは、くぐもった苦痛の声のようだった。
 認識すると同時に部屋を飛び出す。隣の部屋の扉に飛びつき、そのままノックもせずに扉を開く。
「……ローズ!?」
 窓辺に置かれたベッドの上に、彼女はいた。
 窓から差し込む微かな光を背に、身を丸めて苦しげに魘(うな)されている姿を確認した瞬間、すうっと頭から血が下がる感覚と軽い眩暈を感じた。
(…どうして)
 駆け寄るのももどかしく、ベッドに近付きその顔を覗きこむ。
 まだあどけなさの残るその顔は、青白い光の下苦しげに歪んでいた。はあはあ、と喘ぐように漏らされる呼吸は、今にも途切れそうに乱れている。
「ローズ……!」
 名を呼びかけ、意識の有無だけでも確かめようとする。
 同時に枕元に置いてある薬に手を伸ばし── 求めるものがそこにない事に気付いて心の内にで舌打ちをする。
 周囲を見回すと、沈静剤やその他の薬剤のカプセル等の壜が少し離れた所に転がっているのが見えた。
 おそらく苦しみの中、ブルーローズも手を伸ばし、うまく掴めずに床に落としてしまったのだろう。
 拾い上げようとその場から離れようとするのを、ぐっと腕を掴まれた事で妨げられる。
「ピ……、……」
「ローズ?」
 見ると、彼の腕を白い手が掴んでいた。元々色白ではあったけれど、今はまるで紙のように白い。
「どうしたの、ローズ。何処が苦しい?」
 慌ててその手を取り、問いかける。指に感じたひやりと冷たい感触に、心が冷えた。

 ── これは、夢だ。

 そうとしか思えなかった。久しく見ていなかった悪夢。その一つなのだと。
 だって、ここしばらくブルーローズの体調はとても良くて。顔色も良く、食欲も普通で。…こんなに突然、悪化する予兆なんて何処にもなかった。
 けれども目の前で苦しむ少女の、苦痛で潤んだ瞳や血の気の失せた唇はやけに現実的で── 彼を混乱させる。
「…いたい…の……」
 やがて吐息に紛れるように零れ落ちた言葉に、ズキリ、と彼の胸も痛んだ。
「痛い…何処が、何処が痛い?」
「から…だ、ぜんぶ…っ……!」
 苦痛の中、自分の問いかけに必死に答えようとするブルーローズの姿に追い詰められる。
 今、自分に何が出来る?
 これは本当に── 夢、なのだろうか……。
「── たすけて…おじい…さま……」
「……!!」
 おそらく無意識に口にしたであろうその言葉に、はっと我に返った。
 これは、夢なんかじゃない。紛う事無い、現実だ……!!
 たった一つだけ。苦しむブルーローズを見ている以外に出来る事を思い出した。
 けれどもそれは──。

『もし、君の手に余る事があったら── 連絡するといい』
 
 この屋敷に移ってきた時に博士によって告げられた言葉。
 本当に見守るだけで良いのかと尋ねた自分に、博士は表情を変えずに淡々と答えた。

『特にあの子の身体に関する事ならなおさらだ。…知識のない君には、どうする事も出来ないだろうからね』

 ── それは無力だと言われたも同然の言葉。
 けれども、反論も出来ない程に確かな事実だった。悪意からの言葉でないからこそ、その現実を認める事は苦痛を伴ったけれども。
「待ってて、ローズ。もう少しだけ、頑張るんだ」
 自分は無力だ。
 大切なのに── 守りたいのに。何一つ、この手は守れない。
 枕元を離れ、博士の元に直接繋がる端末の置かれている部屋に向かって駆ける。
 今までろくに使われていなかったその部屋は冷え切り、何処か埃っぽい。その隅に置かれた端末に向かい、以前教わった手順を必死に思い出しながら立ち上げる。
 部屋の照明をつける事すら、意識の外に追いやられていた。もどかしい指先でいくつかのスイッチを入れる。
 …闇にぼうっと浮かび上がる画面。認証を求められ、そこに十二桁に及ぶIDナンバーと、八桁のパスワードを入力する。
 時間にすれば、おそらく数分。けれどもそれが恐ろしく長く感じた。
 カタカタ、と微かに端末が処理する音が誰もいない部屋に響く。
 長い事使われていなかっただけに、その端末自体の性能も良いとは言い難いに違いない。 
 早く── 一秒でも、早く。
 祈るように願い、今頃は一人きりで苦しみに耐えている少女を想う。
 ── 概念としては知っている『神』というものを、今まで信じた事なんて一度もなかったけれど。
 今はそれに縋る人々の気持ちが理解出来るような気がした。
 …何も出来ない時、人は目に見えない何かに祈る事しか出来ないから。

「── 絶対に、守るから」

 やがて思いは、実際の言葉として唇から零れ落ちる。自分の無力さを思い知る事になっても、なけなしのプライドを捨てるような行為であっても。
 それでも喪いたくないものが、今の自分にはあるのだ。
 ── たとえこれで、彼女の側にいる事が許されなくなってしまっても。

+ + +

 長い、長い夜が明けて。
 地平から姿を見せた太陽が、変わり果てた世界を照らし出す。
 夜中に駆けつけ、ようやく呼吸が落ち着いたブルーローズの元を離れた博士は、窓辺で呆然と立ち尽くす彼の隣りに立ち、その有様を目の当たりにすると静かに口を開いた。
「── まるで、この世の終わりのようだ」
 見下ろす先には、広い庭。
 そこには昨日までは確かに瑞々しい若葉が輝いていた。なのに──。
「…枯れてる……」
 その庭には、冬でも緑を絶やさない常緑樹も数多く植えられていた。
 それすらも含めて、植物と呼べるものは全て枯れ果てていた。
 緑だった葉は黄色く変色して地面に落ちている。落葉が地面に広がっている様は、まるでいきなり秋が訪れたようだったけれど、そうではない事が丸裸になった木々の様子で明らかだった。
 異変が起こったのは、この庭だけではなかった。見渡せば隣の家やそのまた隣、全ての庭先から緑色が消えている。
 ── たった一晩。
 それだけで魔法のように、輝いていた生命が失われてしまったのだ。
 …やがて、彼等は知る。
 その異変がこの周辺だけではなく、世界中で起こっていた事を。

+ + +

 それはある日突然、世界中で起こった。
 突然起こって── 気が付いた時には『結果』しか残されていなかったので── 人々はその事実をただ受け止めるしかなかった。
 植物という植物が突然活動を止めた日。
 緑が失われてしまったその日を、後に人々はこう呼んだ。

 The day of "Green"'s death ──『緑の命日』。

 そしてそれが、物語のはじまり。

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