Seed
〜 A Story of 'Miracle' 〜

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1−1.リトル・ローズ(1)

 かつて『この世に存在しない』と言われ続けたもの。
 それが、あたしの名前。

+ + +

「ローズ」
 不意に背後からそう呼びかけられ、彼女はびくりとその細い肩を震わせた。
 そろそろと声の方へ顔を向けて来る。
 そんな様子を見て、彼はまるで悪戯をしようとして見つかった子供のようだと思った。
 …もっとも、実際のところ、彼女は『子供』と言っても差し支えのない年齢だったのだけれども。
「…先生」
「こんな時間に外へ出てどうするつもりだったんだい? もう、子供は寝る時間だよ」
 彼のそんな言葉に、彼女はぷうっと頬を膨らませて反論してくる。
「子供扱いしないで」
 だが、たった今している仕草が鼻につかない程には、彼女は子供だった。
 実際年齢は十二歳前後。まだまだ顔立ちに幼さは残っていたし、身長だって彼の胸よりも低い。
 しかし彼は、彼女が子供扱いされると怒るそんな微妙な年齢── つまりいわゆる『お年頃』である事を承知していたので、取り合えず謝っておく事にした。
「悪かった。…で、話は戻すが…一体何処へ行く気なんだ?」
「それは、その……」
 問い質すと、途端に彼女は困ったように口篭もる。
 その様子だけで彼にはわかった。彼女が何をしようとしていたのかを。
「…行くのか?」
 静かに述べられたその言葉に、彼女ははっと面を上げた。
 暗闇の中、彼女の柔らかく波打つ髪がふわりと動く。それに縁取られた白く、小さな顔。そこには強い意志を秘めた二つの宝石が輝いている。
 夜の闇の下、それらが持つ色彩はわからないが、その表情ははっきりと見て取る事が出来た。
 彼のよく知る女性と、瓜二つの容貌。
 ふと、『彼女』もこの位の年齢の時はこんな感じだったのだろうか、と益体もない事を考える。── 似ていて、当然だと言うのに。
「今更私は止めないよ、ローズ」
「…先生、でも」
 微笑んでやると、彼女は辛そうな目をした。
 そんな顔を見たい訳ではもちろんなかったから、彼はさらに言葉を重ねる。
「君は彼女の為に生きているんだろう? 彼女の願いを叶える為に。…君はここへ来た時にそう言っていたはずだ」
 思い返すのは数ヶ月前のこと。突然、自分の元へと転がり込んできた、古い知人とそっくりな容貌を持つ少女。
 一目で彼女が何をする為にここに来たのかを理解した。
「私はただの傍観者に過ぎない。…そうする事を『彼女』と約束したからね。だから君が決断したのなら私は止めない。それがどんなに険しい道だとしてもね」
「先生…ありがとう」
 彼の言葉を信じたのか、彼女はほっとしたように微笑んだ。そして彼の元へ歩み寄ると、ぎゅっと抱きついてくる。
 その小さな身体を感じ、彼は微苦笑を浮べた。
 止めはしないとたった今口にしたと言うのに、止める事は出来ないのだろうかと考える自分の身勝手さに。
「本当に、ありがとう。あたし…どうしても先生に出て行く事が言えなくて」
「止めると思ったから?」
 彼の胸に顔を埋めたまま、彼女は頭を振った。そしてぽつりと、言葉を零す。
「…ううん。先生が…ブルーローズの事が好きだったんだって、気付いたから」
「── そうか」
 答える口元に、苦い笑みが浮ぶ。
 彼女── 『ブルーローズ』が好きだった。…そう、『だった』、つまり過去の事だ。
 ブルーローズは結局、彼の気持ちなど気付かなかったし、彼も彼女に気持ちを伝えた訳でもない。
 彼女は最後まで彼の事など見なかった。
 ブルーローズにとって意味があったものは、たった一つの事だけだったのだ。

『わたしは、奇跡を起こして見せるわ』

 ── それが、彼が聞いた彼女の最後の言葉。
 毅然と上げられた顔、その瞳にあった真摯な光に、自分は何も言えずにその背を見送る事しか出来なかった。
 残されたのは、彼女が自分に残した何処のものともしれない一枚のカードキー…それだけ。
 そして、それも今は目前にいる、『彼女』と同じ名を持つ少女の物だ。
「気をつけて」
 それが彼に与える事が出来る、精一杯の言葉。
「地上のUVは予想以上に強烈だ。ゴーグルとコーティング剤は持ったね」
「もちろん。…多分、長い旅になると思うから、持てるだけ持ったわ」
 軽くしゃがみ、彼女の額にキスを落とす。道中、彼女が出来る限り幸運に見舞われるように。
 出来る限り早く── 彼女の使命が果たされるように。
 祈る事しか、傍観者である彼には許されていないから。
「…私はここから祈っているよ、可愛いローズ。出来るだけ早く、彼女の遺した夢と──『彼』が見つかるように」
「うん。…行ってきます。それから── さよなら」
 元気に頷き、彼女も彼の頬にキスを返す。── お別れのキスを。

+ + +

 彼女の姿が見えなくなるまで見送って部屋に戻ると、彼は小さくため息をついた。
 今まで気付かなかった。この家がこんなにも広く、淋しい場所であった事に。
 彼女が突然尋ねてきて、共に暮らしたのはほんの僅かな間だったのに── 元々の状態に戻っただけなのに、この胸にぽっかりと穴が空いたような有様はなんだろう。
(…あの子はここにいるべき存在ではなかったんだ)
 自分に言い聞かせる。
 記憶になお鮮やかに残る彼女達を、出来るだけ早く思い出に変える為に。
 少女は初めからここへは来なかった。
 あれは束の間の幻。手に入れる事が出来ないもの。…どんなに焦がれても。


 あの少女は──『青い薔薇』なのだから……。

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