4月3日、小樽散歩
小樽、川又商店

 札幌駅で電車を乗り継ぎ、小樽に着いてみると、小雪が舞っていました。20年ぶりの小樽の印象は、ずいぶんさっぱりしたなという感じでした。駅前の大通りが拡張され、電線の地中化も進んだからでしょう。でも古い建物は連続して残っていて、小樽らしい北の港街風情は健在でした。上のスケッチは色内2丁目の川又商店を中心に、隣接する町屋たちを早書きで描いたものです。川又商店は、元は早川という文房具店で、明治37年の大火で焼けて翌年建て替えられた、木骨石造の建物だと、説明板に書かれていました。その説明が、日本語の他に英語とロシア語なのも、北に来たなと感じさせるものがあります。建物正面左に卯建(うだつ)と呼べるような防火壁を掲げています。その装飾も見事でした。後方にはマンションがそびえていますが、小樽は大都市札幌の通勤圏でもあるのです。かつて小樽は札幌より人口も多く、北海道の金融・経済の中心だったのですが・・・

左から、明治29年の岩永時計店。ひとつおいて、明治26年の旧第百十三国立銀行小樽支店。さらに両側に卯建をあげた町屋と続く
上の写真は、色内大通り沿いの古い建物の連続です。左から、明治29年の岩永時計店。ひとつおいて、明治26年の旧第百十三国立銀行小樽支店。さらに両側に卯建をあげた町屋と続きます。それらに挟まれた塔を掲げた建物は新しいのですが、下屋の扱いで隣との連続をしつらえたしつらえたり、意匠的にも小樽らしさの範囲内だと思います。
運河沿いの旧小樽倉庫、小樽博物館の並び
 このパノラマは、運河沿いの旧小樽倉庫、小樽博物館の並びです。鯱(しゃちほこ)がいかにも北の勇都らしいいでたちです。新しい建物もそれなりに胸をはっていました。
旧日本郵船小樽支店

 最後に、佐立七次郎作、明治39年竣工の旧日本郵船小樽支店です。同年11月、日露戦争の講和条約による樺太の国境画定会議が開かれた建物です。佐立七次郎は、コンドルの弟子、東大造家学科第一回卒業生4人のうちのひとりです。他の辰野金吾、片山東熊、曽禰達蔵に比べると、地味な存在といえるかもしれません。現存する作品はこの建物と、日本水準原点標庫という小品のみなので、彼の作品としても貴重なものです。

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