4月5日、釧路へ
 札幌・釧路間は、1981年に開通した石勝線を経由することで、かつての滝川経由(根室本線)より47キロも短縮されました。以前は北海道でも指折りの車窓風景といわれた「狩勝越え」も、新狩勝トンネルであっさり省略され、十勝平野に下りていくS字カーブも、ふりこ機構の特急が速度を落とさず曲がっていきます。それでも釧路まではたっぷり4時間の旅路です。写真は、十勝平野からの日高山脈。
日高山脈

 釧路に着いて宿に荷を解き、街を歩きました。感じたのは、人、特に子供が歩いていないこと。また、空き地が目立ち、街が歯抜けになってガランとしてしまった印象でした。観光シーズンではないのですが、釧路生まれの建築家毛綱毅曠による複合施設「フィッシャーマンズワーフ」も閑散としていました。
 少し寂しくなって、駅に戻り、タクシーで釧路湿原の展望台へ。すると、途中の道は多くの車で渋滞が起きそうなくらい。幹線道路沿いには、郊外型店舗が軒を連ね、広々とした駐車場は車で埋まっていました。周辺には新興住宅地が広がり、子供の遊ぶ姿も目にすることができました。つまり、車型社会に変わってしまい、人々の活動がかつての街中から、郊外へと移ってしまっていたのです。タクシーの運転手さんも、「奥さん連中にしたって、街中より、こっちのジャスコの方が買い物に便利だって」と言っていました。これでは、鉄道を利用するのは一部の人だけになって当然かもしれません。池田、北見間140キロを結ぶ「北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線」もこの春、4月20日をもって運転終了となります。
 下の写真は、北斗展望台からの釧路湿原です。心が洗われるような風景でした。

釧路湿原
 釧路湿原を後に、親戚のお宅を訪問しました。ここのおじいちゃんは、元SLの運転手。2000年のある記念に、東京駅を書いた絵をプレゼントしたのですが、その絵と6年ぶりの対面です。アトリエ・リングのホームページの最も初期に、トップページに掲げた絵です。夜は釧路の街に出て会食しましたが、おじいちゃんも、北海道の鉄道の斜陽化を憂いておられました。
東京駅のスケッチ
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