12月28日、三角線・三角港その1(海のピラミッド)
海のピラミッド

27日は夕方4時過ぎに出発。赤羽の鉄橋から、今年こちらで見る最後の太陽が、山の端に沈んでいくところでした。東京駅18時3分発の寝台特急「はやぶさ号」は満席。子供連れの声が何組も聞こえてきて、帰省ラッシュらしいムードを満載して、西を目指します。
 28日になり、山口あたりですっかり夜が明け、九州を南下して、11時48分、熊本着。ホームに隣接して建っていた煉瓦造の長大な車庫が残念ながら取り払われ、明るいイメージに変わりました。九州新幹線の工事のために、ホームの変更が進んでいたことも、明るい印象の一因でした。そのホーム3番乗り場の先に、ホームが切り欠いた部分があり、そこが新4番乗り場で、三角線のディーゼルカー1両が待っていてくれました。ささやかな「寄り道」のスタートです。
 三角線は、宇土半島沿いに先端の三角まで、営業キロたった25.6キロの盲腸線です。明治32年開業と大変古く、天草・熊本の海路を含んだ交通が重要だったことがわかります。車内はほぼ満席で、今でも地元の人たちの重要な足なのです。12時19分発。今回が初乗りで、単線の線路が鹿児島本線から緩やかなカーブで離れていく時には、初めての線路を行く感慨がゾクゾクッと沸いてきました。
 しばらく平野を走った後、宇土半島の北側で海に沿うようになると、右手、島原湾の先に雲仙がいかつい山相を表してきます。駅ごとに、こまめに乗客の乗り降りがあり、しだいに、海沿いながらディーゼルのうなりとともに、標高を上げていきます。鋭角的に突き出た宇土半島は、富津岬のような砂州の半島ではなく、平野のほとんど無い、山の半島だったことに始めて気付きました。それもそのはず、西日本を東西に貫く中央構造線に沿っているのです。地図で見ると、山襞が東西に走り、標高478メートルの大岳というのが最高峰でした。写真は、網田(おうだ)駅での交換です。

網田駅

熊本アートポリスで吉松秀樹氏が設計した「宇土マリーナハウス」を右手眼下に望み、峠越えのトンネルで半島の南側に移ると、同じくアートポリスで入江経一氏が資料館を設計した石打ダムのある石打駅着。こんな海のそばにダムがあること自体、この宇土半島の険しさを察することができます。入江氏の建築にも興味深々なのですが、でも今回は、これらの建物は残念ながら割愛しなければならないタイトなスケジュールなので、そのまま乗り続けます。あっという間に高度を落とし、目の前に海が見え出して、13時6分、終点の三角着。
 三角駅を降りて正面に出迎えてくれたのが、トップの写真の「海のピラミッド」。やはり熊本アートポリスで、葉祥栄氏の設計になるものです。天草・熊本の交通の要衝である三角港のシンボルとして、1990年に建てられました。貝殻をイメージさせる有機的かつ幾何学的な造形は、明快ですがすがしく、フェリーターミナルとしてのランドマーク性を発光している感がありました。
 ところが、その三角・島原フェリーの運航が去年の8月29日で終了してしまったのです。ターミナルの入り口に張り紙がしてあって、「燃料油の高騰をはじめ諸般の事情により航路の維持が困難・・・」と書かれていました。航路・鉄路を結んでいた島原から熊本へのラインの片方が無くなり、三角線は結んでいた手の先方を欠いた状態になってしまったのです。これで正確な意味での盲腸線になりました。交通の主権が車に移ってしまったのです。
フェリーターミナルという機能を失ってしまった「海のピラミッド」には人影もなく、ガランとした中の空間には、イベントで使った舞台のしつらえのようなものが、そのままになっていました。下の写真は、インテリアの螺旋状のスロープです。

海のピラミッド 螺旋スロープ

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